33人が本棚に入れています
本棚に追加
寺崎朱里
「ここ、重要な」
コツコツとチョークで黒板を軽く叩いたあと、長い数式の下に白いラインを引く。
清水先生の低音ボイスは今日も素敵だ。
寺崎朱里は高校二年になるまで数学が苦手だった。
小学校高学年で習った素因数分解から苦手意識を持ち始め、√を使った計算ではもうちんぷんかんぷんになっていた。
数学なんて、社会に出た時、本当に役に立つの?
つまらないし、退屈で死にそう。
ずっとそう思っていた。
けれども、清水先生の授業だけは別だった。
熱が出ていても受けたい。あの、がっしりでも細すぎでもない整った逆三角形の背中や、チョークを握る骨ばった長い指や、少し天パ気味の長めの髪が秋風に遊ばれているのを見ているだけで時間が溶けた。
自分の熱視線に先生がいつ気がつくのかと思うとドキドキして、板書を写すこともできない。そんな朱里の真っ白いノートの余白に、ペンを握った誰かの手が伸びた。
『バカリ ボーッとしすぎ』
素早く残された文字に気がついて左隣を見ると、クラスメイトの遠藤紫脩がつまらなそうに耳を掻いていた。
──あんな平凡な教師のどこがいいんだか。
以前、彼から冷やかな目でそう言われたことを朱里は思い出した。
クラスで1、2を争う頭のいい遠藤にとっては、先生の授業はつまらなくて退屈すぎるらしい。だが朱里は違う。来週の期末テストでいい点を取るために、放課後も残って数学の猛勉強をした。先生に褒められたくて必死だったのだ。
しかし数日前、悔しいことに、そんな朱里の影の努力をよりにもよって遠藤に見つかってしまった。以来朱里はこうして彼からバカにされ続けている。
朱里は消しゴムを取り、無言で彼の字を消した。
……先生は平凡じゃない。
すごい才能があるんだから。
自分だけが知っている先生の隠し事を思い出すと、朱里はふふふと声に出して笑いたくなってしまう。
──それは、先々週の出来事だった。
最初のコメントを投稿しよう!