清水橙士

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清水橙士

 ……やっぱりアレを生徒に見られたのはまずかった。  数式を板書をしながら、清水橙士(とうじ)はある種の恐怖を覚えていた。  背中にひしひしと感じる、寺崎朱里の視線が痛い。 「絶対、誰にも言いふらしません!」  二週間前、朱里はそう言ってやはり今のように目を輝かせていた。  そして彼女は、自分も作家になりたいのだと熱く燃え滾る胸の(うち)を明かしてくれた。  あの時自分の持っていた原稿が彼女に何らかの誤解を生ませたらしいと気づいたものの、眩しすぎる彼女の視線に圧倒され、橙士は自分から掘り返す勇気を失ってしまった。テスト期間の準備の忙しさもあり、結局そのまま放置してしまっている。  それでいいのだろうか。彼女が本当に誰にも言いふらさないというのなら、それでいいのかもしれないが。  板書の手を止めて、橙士は小さく首を振る。  いや、やっぱり教師として、嘘をつくのはいけない。  あの原稿を書いたのは俺じゃないと、はっきりと寺崎に伝えなければ。  それに──この件ではもう一人詫びないといけない人物がいる。  小説の本当の書き手である、あの子に。  放課後、橙士は原稿の入ったA4の封筒と牛乳プリンを持って、市内で最大の医療施設である双葉総合病院へと向かった。 「由黄(ゆき)。元気にしてたか?」  四床入りの病室に入ると、窓際のスペースで空を見ていた小さな横顔が振り向いた。    
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