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清水由黄
「お兄ちゃん」
もう二十歳にもなるのに、未だにうっかりするとそう呼んでしまう。
清水由黄は唇を塞ぐように指を置いた。
由黄は五つ年上の兄、橙士のことが大好きだ。
体の弱い自分が入院をしたのはこれで三回目になる。家族の中で足手まといになっているといつも負い目を感じているが、橙士と会話をしている時だけはそんな後ろ暗さを忘れられた。
「由黄の好きな牛乳プリン、買ってきたぞ」
「いつもありがとね」
大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられ、伸びた前髪がくすぐったくて目を瞑る。
この感触も好きだ。いつまでも撫でていてほしい。
けれどもその手はすぐに離れ、買ってきたばかりのプリンを持ち上げた。テレビ台の下に備え付けられた小型冷蔵庫へとそれを片付けたのは、もうじき夕飯だと分かっているからだろう。
秋を象徴するいわし雲が浮かんだ夕空を背に、橙士がベッドサイドの椅子を引き出して座る。
由黄がドキッとしたのは、「あ、そうだ」と言いながら彼がカバンから封筒を取り出した時だった。
「由黄の書いてきた小説、じっくり読ませてもらったよ。返すのが遅くなってごめん。今、テスト前で忙しくて。でもすごく面白かったよ! これなら本当にプロになれるんじゃないか?」
「ほ、ほんと? ありがと……」
由黄は思わず周囲に視線を走らせた。
「あ、ごめん。恥ずかしいんだったな。誰にも言わないでって言われてたもんな……」
「う、うん……」
由黄の心臓がトクトクと音を立て始める。
隠し事が兄にバレたらどうしよう。そう思うと、指先まで冷たくなり、由黄は慌てて原稿の入った封筒を掛け布団の下に隠した。
「それで、ひとつだけ、由黄に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
橙士の申し訳なさそうな声で、由黄は彼が頭をかいていることに気づいた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「実は……うちの生徒の一人に、原稿を見られちゃってさ。由黄が書いたことは一言も言ってないけど、ごめん!」
両手をパチンと合わせて、橙士は謝る。
由黄はその姿に泣きそうになる。
謝るのはこっちの方だよ、お兄ちゃん。
どうしても言えない言葉を、由黄は頭の中で反復する。
騙していてごめんね。
実はそれ書いたの、私じゃないの……。
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