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羽田翠
「夕食の時間です」
午後六時半を過ぎ、病室に患者たちの夕飯が配膳され始める。
「じゃ、そろそろ帰るよ。まだ学校で仕事が残ってるから」
看護師の羽田翠と交代するように病室から出てきたのは、翠が担当している清水由黄の兄の橙士だ。
猫毛なのかパーマなのか分からないが、癖のあるふわっとした髪が可愛いとナースの間でも人気のある人だった。
彼の妹の由黄ちゃんも、イケメンの兄に負けず劣らず、お人形のように可愛らしい。線の細い青白い顔が薄幸そうで放っておけないと、翠は常々思っている。
「お兄さん忙しいのに、由黄ちゃんが入院してからほとんど毎日来てくれるね。優しいね」
「はい……」
優しく声かけをしたが、ベッドに座っている由黄の元気はない。どうしたのだろうか。テーブルの上に配膳をしながらよく顔色を観察してみると、うっすらと涙が浮かんでいるようだ。
「由黄ちゃん。どうしたの? 大丈夫?」
「翠さん……。私、苦しくて……」
「医師呼ぼうか⁉︎」
「ううん、そういうのじゃないんです」
肩を震わせて泣きながら、由黄は掛け布団の下から見覚えのあるA4サイズの茶封筒を取り出した。
「翠さんから借りた小説……お兄ちゃんにも読ませたくて、又貸ししちゃって……」
「なんだ、そんなこと。いいのいいの。たくさんの人に読んでもらって感想聞きたいから」
翠は由黄に寄り添い、肩を抱き寄せて背中をさすった。
「それだけじゃないんです、私……お兄ちゃんに、まるで自分が書いたように話しちゃって……。本当は私、こんな小説を書く才能なんて全然ないのに、お兄ちゃんに褒められたくて……嘘ついちゃったんです……」
ポロポロと溢れる涙の美しさに、翠は胸が締めつけられてしまう。
ああ。なんて可愛いのかしら、この子。
妹に欲しい。
ぎゅっと由黄の頭を抱き寄せて、自分の豊満な胸に押し付ける。
あのお兄さんと結婚すればこの子が自動的に妹になるのだろうか。だとしたら、積極的に兄の方へアプローチしてみてもいいかもしれない。そう思ってしまうほど、翠は由黄を愛しく想っていた。
けれども、きっとダメだろう。
翠は由黄にふさわしい姉にはなれない。
「翠さんみたいに、私も小説書けたらいいのに……」
翠は由黄の頭を撫でながら、ごめんねと心の中で呟く。
目線は布団の上の茶封筒に移る。
残念だけど、私もないのよ、そんな才能。
由黄ちゃんが喜ぶなら、いくらでも書いてあげたいけど、ね。
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