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遠藤藍子
「うん。まあまあ面白かったと思うよ。俺の方から文芸に推薦しとくわ」
「マジで⁉︎ あざます‼︎ やったー!」
「ああ、でもあんま期待すんなよ? 俺がいいって言ってるだけで、文芸がどう返事するかは分かんないから。身内くらいならいいけど、先走ってあんまり自慢すんなよ?」
「おけおけ。弟にもまだ内緒にしとく」
「弟?」
おっと。うっかり口を滑らせそうになった。
遠藤藍子は電話の向こうの元彼で今は雑誌編集者をしている奈良橋蒼生に向かって「なんでもない」とごまかした。
奈良橋は豪快なため息をついて、じゃあなとあっさり通話を閉じる。
仕事の疲れが溜まっているのか、やけに元気のない口調だった。
それとも、また女にフラれたか。
「まあ、もうあいつのことなんてどーでもいーけどねーーー! ヒャッホーー‼︎」
ポテトチップスコンソメ味をパーティー開けして、缶ビールをプシュッと開ける。
「カンパーイ! っても一人だけどねーーー! ウヒャヒャヒャヒャ‼︎」
「うるっせえな、何騒いでんだよ姉貴!」
深夜の零時近くに、勉強しているしっかり者の弟に叱られた。
藍子はぺろっと舌を出し、コツンと自分の頭に自分でげんこつを落とす。
「ごめんごめん、いたの忘れてた。静かだからもう寝てるのかと思ってた」
「寝てたとしたら余計騒いじゃいけないよな……⁉︎」
弟の目から怪光線が走り、藍子の眉間を焼き切ろうとしたので、危ういところで上体をそらして躱す。
藍子の年の離れた弟は、都内の有名私立高校に通う秀才だ。成績は学年でもトップクラスで、特に最近、数学で負けられない相手がいるらしく、まだ受験まで一年もあるというのにこんなに遅い時間までガリ勉している。
藍子はそれが少し残念だと思っている。
「あんた、数学より本当は国語の方が好きだったのにね」
もう小説は書かないの?
そう尋ねようとして、おっと。これまた言ってはいけないことだった、と藍子は再びげんこつを自分に落とす。
「おい……なんか態度が怪しいな⁉︎ 何か隠し事してんじゃねえか⁉︎」
「べっつにー? 何も隠してないよーん」
嘘である。
藍子が勝手に弟のパソコンを覗いてしまい、そこに書かれた小説を見つけてしまったことや、それを勝手に印刷かけて「自分が書きました!」と編集者の元彼に送りつけたこと。ついでに、さっきのポテトチップスコンソメ味も弟が買ってきたもので、藍子が食べる権利はないのに勝手に開けてしまったことも含めるか。
我ながら、隠し事が多くて困る。
ぺろっと反省の舌を突き出した藍子を、弟がカミソリのような細い目で見ている。
「怪しい……」
「何にも隠してないよ、本当だってば!」
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