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遠藤紫脩
姉の態度がおかしい。
遠藤紫脩は、嫌な予感に包まれながらも自分の部屋に戻るしかなかった。
姉がビールを矢継ぎ早に飲み始め、呂律が回らないほど酔い出したからだ。
ああいう時は、何かある。
幼い頃からの経験で分かっている。
自室のノートパソコンを起ちあげ、何かおかしなことをされていないかチェックするが、それらしい痕跡は見当たらない。ロックのパスワードを変えておこうと紫脩は思った。予防策はそれしかない。
デスクトップ画面のアイコンも、それと分からないフォルダに入れて隠しておく。
その中の一つに、『初恋』というタイトルのテキスト文書があった。
一ヶ月前に書き上げた、自作の私小説だ。一応主人公たちの名前は架空のものにしてあるが、中身はほぼ自分自身の経験で、小説という形をした日記のようなものである。
「もしこんなの見られてたら自殺もんだな……」
ゴミ箱のアイコンへ投入しかけて、やめる。
また動かそうとして、やめる。
煮え切らない指をへし折りたくなって、結局そのままノートパソコンの蓋を閉じた。
紫脩は勉強中だった数学のノートに目を移す。
こんなもの、本当は紫脩も勉強したくない。
それなのに必死になって予習しているのは、恋敵の数学教師になめられないようにするためと、隣の席のあの女子に質問された時、いつでも答えられるようにするためだ。
──あいつの授業より、俺の方がもっと上手に教えてやるのにな。
放課後に一人で教科書をめくっていた寺崎朱里の横顔を思い浮かべながら、紫脩はゆっくりと瞳を閉じた。
胸に秘めた隠し事を、いつか彼女に明かせることを祈って。
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