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「ゆいさぁぁぁあん」
赤ら顔の恵子ちゃんがぐにゃぐにゃになりながら掛川さんに抱きついた。
「嫌ですよ! ずっとこっち住んでればいいじゃないですか!」
「ひっつくな暑苦しい。茹でダコみたいな顔しやがって」
「だって、ゆいさんいなくなったら誰が豆乳持ってきてくれるんですか! 誰がアホみたいにエビチリ食ってお金たくさん落としてくれるんですか! 金づるいなくなるこっちの身にもなってください! どうせいなくなるなら潔く死んでください。いっそ諦めがつくんで! 車に轢かれるとか海に落ちるとか! そうだ。私、海に突き落としてあげましょうか?」
「君、本当に刺客送ってきそうで怖いわ。豆乳送ってあげるから頑張って育乳してて。そういえば、こないだ豆乳ショコラってのを二十九年ぶり一回目に飲んだんだけど、めっちゃ不味いのな」
「ショコラってチョコでしょ。不味いに決まってますよそんなの。てかめっちゃ豆乳飲んでますね。私より飲んでんじゃないですか?」
「お前は三億年くらいエビチリだけ食ってろ」
年度末のある日、会社のプロジェクトメンバーで掛川さんの送別会が開催された。退職し、地元に帰るとのことだった。新幹線で四時間、そこから在来線に乗り継いでさらに三時間かかる田舎で、掛川さんが言うには「最近、水道が通った」らしい。
日程調整した結果、送別会は、不運にも平日のど真ん中に行われた。金曜だったらまた違ったのだろうが、明日も早いので……と一次会終了後にはぽつぽつと人がいなくなり、気づけば、全く飲み足りない掛川さんと、二次会は当然あるものだと思って翌日を午前休にしていた僕の二人が取り残されていた。
「二軒目行くぞ」
そう言って掛川さんがまず向かったのは、近くのコンビニだった。ビールと適当な缶酎ハイを何本か買って、次に向かう先は、例のごとく僕が毎日歩く道だった。
「閉店しました」
恵子ちゃんの第一声。
「OPENって札かかってんじゃん」
「閉店することにしました、今。刺されたくなかったら出てってください」
恵子ちゃんは包丁を握ってニヤニヤ笑っていた。
「なんでもいいから作ってくれ。こっちは勝手に飲んでっから」
掛川さんはコンビニの袋を持ち上げて見せた。
「だから、これがアデリーペンギンで、こっちがフンボルトペンギンで、これはジェンツーペンギンですって」
恵子ちゃんはスマホの画像を次から次へとめくっている。
「ペンギンめっちゃかわいいよな。羽根ちょっと広げてぼけーっと立ってるのがたまらん。種類までは知らんが」
「そうなんですよ、かわいいんですよペンギン。ペンギン見るためだけに水族館の年パス買いましたし」
恵子ちゃんはさっきからエビチリを箸で持ち上げたり下ろしたり、延々喋っていてなかなか口に運ばない。
「昔サークルのイベントで水族館行ったんだけど、入り口すぐのとこにペンギンがいてな、俺たちが一周する間こいつずっと一人でペンギン見てたんだぜ」
掛川さんは缶ビールをぐいっと飲み干し、次の缶を開けた。
「ゆいさんだって水族館好きでしょ」
「一周目ざっと見て目星つけて、二周目でじっくり見る派」
「ゆいさんの県って水族館ありますっけ?」
恵子ちゃんは缶酎ハイを呷る。
「あるわけないか! 人口三人くらいですもんね、確か」
「それな。連絡手段は糸電話だしな」
「そういえば、彼女さんはどうするんですか? 連れてくんですか?」
恵子ちゃんは、鶏の唐揚げにレモンをかけながら言った。
ちょっと待って、掛川さんって彼女いたの?
「意外ですよね。いるんですよ、学生時代からずっと付き合ってるかわいい彼女が。ねー!」
「でもあいつめっちゃケツでかいよ? 四畳半くらいある」
喧嘩するほど仲が良いの原理で、掛川さんと恵子ちゃんはそのうち付き合うんじゃないかと勝手に想像していた。なんなら僕が知らないだけで実はもう付き合っているのではと思っていたくらいだった。それだけに、掛川さんに彼女がいるという事実はかなりの衝撃だった。
学生時代からというともうそれなりの年数になるだろう。
「とりあえずは俺一人で先に帰って仕事始めて、近いうちにはあいつも呼ぼうと思ってる」
「結婚するんですか?」
「多分な。結婚式お前らも呼ぶからよろしく。枯れ木も山の賑わいっていうだろ」
「ゆいさん友達いないから私たち以外呼ぶ人いないんでしょ」
「いるわ。めっちゃいるし。髪の毛くらいいるわ」
「ほらやっぱ二人じゃん」
恵子ちゃんは彼氏がいたり、結婚を考えたりしていないのだろうか。こういう仕事をしていれば、客として来店した男性と知り合うことも多いだろう。
「私はとりあえず、陽くんの握手会に行くのが夢です。あの神聖なおててに触らせていただきたい」
「お前こないだ母親になんて言われたっつってたっけ」
「『いつまでも虹色お花畑じゃ困るの!』って泣かれました。あと、正月におばあちゃんが、『恵子にいい人ができますように』って神社や寺をはしごしてたそうです」
「親不孝者め。もう幸太でいいじゃん。いい男だぞこいつ」
「無理です」
間髪入れずに恵子ちゃんは答えた。不意打ちのようにフられて、僕は心の中で泣いた。
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