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追加エピソード この人編 4
全身に汗をびっしょりとかいた酷い寝覚め。
寒くもないのに身体が震えている。
これは警告だ。
ちんたらしてたら女がこうなるぞと、無意識化で自分が思っていたことを目にしたのだろう。
相変わらず女は自分を大切にしていない。
作った食事は二口を食べたらお腹いっぱいと言う。
そんな訳ない。
ガリガリに痩せて、頬も痩けて、二十代だというのに肌艶はなくガサガサだ。
俺は更に踏み込む覚悟を決めねばならない。
女が逸らし続けている痛みを抉り出し、突き付けて、前に進めるように。
だがこれは、最悪な結果をもたらし兼ねない。
諸刃のカケ。
俺に、今の名前のない関係の俺に、それをしていい資格はあるのだろうか。否、ないなら持てばいい。
女を喪えない。失いたくないんだ。
あの悪夢は、俺の内部で凍り付かせていた感情を、否応なしに表に引き摺り出した。自覚させた。
贖罪などではない。
そんな勝手に押し付けたものじゃなく、もっと深くて、もっと単純で、もっと苛烈な想いが秘められている。
過去に涙する女。
だけど未来に向かおうと足掻く女。
もがいて苦しんでいるのに、そうじゃないと、自分の気持ちから逃げてるくせに、知ろうとしない女。
手を伸ばしたのに、縋り付いたのに、その先を振り解くのも受け入れないのも女。
弱いくせに強情。
自分はボロボロなのにこちらを気遣う健気さは、どうしようもないほど愛しくて。
腹をくくる。
俺も向き合う時が来たのだ。己の気持ち、気付いてしまった感情に。
自分を捨てた男に会うのは勇気がいるだろう。
これから打ち明けねばならない内容も重くて辛い。
男が少しでも不快な態度を見せたら容赦なくぶちのめしてやる。気合いを入れて向かえば、男は号泣し受け入れた。
女の怯えを払拭し、愛した記憶、証を、情けない姿を晒して喜び、真摯な対応をする。
ああ、今分かった。
目にするまでは、浅はかな一時の感情で欲を吐き出したクズだと思っていたけれど、そこに嘘はなかったんだ。捨てたくて捨てたんじゃなかったんだ。
女の言うことは正しかった。
運命に負けた。
それなら負けた運命を俺が背負ってもいいはずだ。
負けを勝ちにする自信はある。
ただし、女が俺をそういう対象として見てくれればの話しだが。
ソッと静かに伸びた華奢な手が重なる。
弱々しい力でぎゅっと握られる。
……望んでも、いいのだろか。
こんな中年が、まだ女に言ってない秘密を抱えた中年が、欲しいと……未来が欲しいと、望んでも。
握り返した手は振り解かれない。
応えるように、もっと熱く絡み付いてくる。
帰ったら聞いて欲しい事があるんだ。
最低最悪な過去だけど、聞いてくれる?
その後で、もっと大事な事も言いたいんだけど……そこまで辿り着けるかは謎だけどね。
辿り着くよ。
何とも軽い返しをされ苦笑い。
だといいな。
もっとも、辿り着かなくても、いつか必ずそこに到達して見せるけど。子供が産まれる前に、必ずね。
( 完 )
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