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追加エピソード この人編 2
今日が休みで良かった。
涙の痕が残る女の寝顔を眺める。
その表情に苦しみの色がない事に安堵したものの、勝手にベッドまで運んでしまった自分が濡れた頬を拭いていいのか悩む。
今更か。
朝方まで続いた女の話しは悲しいものだった。
私は運命に負けた女。
彼と元カノの運命に弾かれた不要物。
なのにこうして子供を宿してしまい産む決断をしたから、バチが当たったんだろう。
そしてそれは、卑屈に捻れ拗れていた。
宿った命を産み出すのが罰ならば、あの変態に襲われた事を罰だと言うのなら、母にトドメを刺した俺が今生きているはずがない。とっくの昔に悲惨な死でも迎えてなきゃならない。
女はかつての俺と同じだった。
母とも……同じだった。
生きることに疲れ果てている。
勝手に罰を求め、勝手に死を求め、生きながら死人のように過ごしているだけだ。
俺は知っている。
その先に待っているのは無意識の自傷行為。
誰かが気にかけてやらなければ、ちょっとした衝動で身を刻み、飛び降りるだろう。
自分の辿って来た道を再現させたくなかった。
母の辿った道はもっとだ。
思考は同じでも女と母は傷付いた被害者で、俺は完全なる加害者側。
同情ではない。憐みでもない。
加害者の俺が生き残っているのに、被害者である女が死んでいいはずがない。母と同じになってくれるな。
その思いだった。
見かけたら必ず声をかける。
荷物を持ってたら無理やりにでも取り上げ、体調を気にかけた。貰いものと称し、妊婦に良いと聞いた野菜や果物を差し入れたりもして。
隣人という立場だけでは限界がある。
そう痛感したのは、マンションの通路で女が倒れているのを助けた時だ。
食欲がなくて。
聞けば、二日食べてないと言う。
悪阻ではない。吐き気はない。体調は良い。だけど何かを口にするのが億劫で。
ケロッとした顔で異常な事を淡々と語る姿にゾッとした。
腹はどんどん大きくなるのに、それに応じて女の生きる気力が低下している。産むと言っているのに、真逆の事をしているのが分からないのだろう。
その日から、俺は隣人をやめた。
残業も休日出勤もやめた。
倒れた事を理由にし、朝晩、必ず無事な顔を見せろと部屋にも押し掛けた。
お節介焼きの中年おやじ。
世話好きの中年おやじ。
若者に説教垂れる中年おやじ。
独り身の長い、家事に手慣れた中年おやじ。
最後と中年おやじしか合ってないけれど、性格を激変させねば女の命も子の命も失われそうで。
怖かった。必死だった。
過去には戻れない。
俺の過ちはなかったことに出来ないし、母も生き返ることはない。これは勝手な償い、代用行為による贖罪。……分かっている。
でも助けたい気持ちは本当だ。
投げやりな生き方をしているのに、それに気付けないほど心が弱っている女。なのに、無理して笑い、取り繕おうとする。
意地っ張りで、なんていじらしいのだろう。
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