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追加エピソード この人編 3
危なげで儚い。
俺がいなければひっそりと消えてしまいそうな女。
母と重なる過去を持つ女。
悪夢がやって来る。
あの日、見ることのなかった続きを携えて。
喧嘩に口論。
家庭崩壊一直線の両親のやり取り。
うんざりだった。本当にもううんざりだったんだ。
父の不貞を責める母。開き直る父の罵倒。
何でこんな夫婦の元に産まれたのか。
小さい頃から続けられた光景に、思春期特有の過敏さが反応し……爆発した。
ああ、言わないで。言うんじゃない。
十五の俺を今の俺が止める。叫ぶ。でも届かない。
「父さんの不倫相手が妊娠したなら好都合じゃないか。別れろよ。別れたらいいじゃないか」
「何でそんなこと言うの? 貴方も父さんの味方なの? 私を苦しめて来た相手に、父さんをあげるような真似をしろと?」
「そうじゃない。でも母さんは泣いてるだけじゃないか。いつもそうだ。見てるだけ。だからこんな結果になったんだよ」
「……こんな、結果?」
「だってそうだろ? 父さんとあの人は愛しあっている。だから妊娠した。止めなかったのは母さんで、別れなかったのも母さん。父さんに縋るようなみっともない事をせずに、さっさと離婚すれば良かったんだ」
「……貴方は、私が悪いと、言うのね」
違う。そんな事を言っているんじゃない。
俺は母さんに未来を見て欲しかった。
自分を見もしない、大事にしない男に見切りを付けて、新たな一歩を踏み出して欲しかったんだ。
だけど。
若い俺はそんな心の内を上手く吐き出せなかった。
言葉足らずで、何より、鬱々と湿っぽく泣くだけの母に、強気にも出れない母に、父に愛を求めるだけの母に、イライラして。……して。
母の気持ちに、寄り添えなかった。
だから深い考えもなく、自分の激情のまま、言ってはいけない言葉を投げ付けてしまった。
「ああ悪いね。結局母さんは一人じゃ生きられないから、あんな腐った男でも必要なんだろう? 父さんはそれを見透かしてる。弱く意気地のない所をね。今だってそうだ。せっかくのチャンスなのに決断しない。泣くだけだ。そんなウジウジしてたら俺が母さんの夫でも嫌になるよ」
母はもう、返事をしなかった。
曖昧に笑い、俺に背を向け、部屋に閉じこもる。
追いかけろ。今ならまだ間に合うから。
叫べど叫べど、過去の映像は揺るがない。
十五の俺は動かない。
また逃げるのかと、更に追い討ちをかけるようなことまで、散漫にも言い放っている。
そして。
その日の夜、母が首を吊って自殺した。
俺が殺した。
俺が、未熟な俺が、十五の俺が、母を死に追いやったのだ。
葬儀に不倫相手を伴う父。
自分勝手に振る舞い、母をないがしろにしてきた父は、最後の最後まで最低な奴だった。
でもそれ以上に最低な俺が、何を言えるというのだろう。
悪夢の終わりに見た母の顔が、死に顔が、なぜか女の顔に重なって見えた。
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