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追加エピソード この人編
思い出さない夜はない。
決して消えることのない、あの日の過ち。
母が自殺した。
その背中を押したのは紛れもなく俺だろう。
戻りたくても戻れない過去は、あれから二十五年も経つというのに、未だ胸の奥で燻り続けている。
大人になった俺は、仕事に逃げる事を覚えた。
毎日を忙しくしていれば、自身の内部に目を向けなくて済む。残業や休日出勤、人の仕事を手伝うフリをして貪欲に奪ってこなしていれば、いつしか出世しか興味のない冷徹人間と呼ばれるようになっていた。
俺のこの姿勢は俺の意図に関わらず、会社内や社外での評価を上げていく。陰口の通り並々ならぬ上昇志向の持ち主、それを体現しているように見えたのか、上司や取引先の社長などからお見合いや縁談がひっきりなしに持ち込まれるようになっていた。
結婚願望はない。
恋人や大事な人は作らない。
誰かと共に歩くなど、母を殺した俺に出来るはずがないだろう。
気付けば、もう四十。
慣れた一人暮らし、慣れない夜の訪れ、あの日から一日足りとも欠かさずに見る悪夢は、今日も間違いなくやって来る。
眠りたくない。
いつも思うのに、人間は本能に忠実だ。
ああ、まただ。
また、あの場面を繰り返す。
泣き叫ぶ母の悲鳴。
怒鳴り付ける父の声。
それを、遠くから見ているだけの俺。
ああ、嫌だ。嫌だ。これ以上進んで欲しくない。
悪夢はどんな時でも俺を引きずり込む。先を促す。
抵抗しても拒否しても、容赦なく責めてくる。
だが。
この日は違った。
唐突に耳に届いた異常音。
日常で出す生活音ではない、危機を知らせるもの。
咄嗟に飛び起きて外に出た。
同時に、空き部屋だったはずの隣りの部屋から、揉み合うように男女が転がり出て来る。
痴情のもつれ……じゃない。
何だこいつ、変態か!!
下着を被る男を引き倒し殴り付ける。
しっかりと押さえ込み、警察に通報。
横目で捉えた女の頬が痛々しく腫れていたから、救急車も呼んだ。
怯えて震える女。恐怖で動転している女。
一人にするのは良くない。出来ない。
助けた縁で、事情聴取にも病院にも付き添ったけれど。
全てを終えたのに、女が俺の服の裾を掴んで離さない。振り解くことは、出来なかった。
怖い目に合ったから誰かに縋りたいのだろう。
分かる。その気持ちは理解出来る。
だけど俺はただの隣人。
女にとったら助けた恩人もしれないが、知り合いでも友人でもない男に縋るのは良くない。
なるべく穏やかに。
信頼出来る相手、例えば両親とか兄弟とか友人とか、そういう人を呼んだらどうかと提案すれば。
貴方がいい、と。
貴方といたい、と。
聞きようによっては誤解を招く言い方をする。
困惑している間に女は俺を部屋に連れ込み、上がることを戸惑っていたら泣き出した。そして、そこから始まった女の一人語り、過去を聞かされることになる。
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