寂寥の時節≪せきりょうのとき≫

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 そんな境遇であることを全く意に介した様子になく、少女は笑っている。 「酷い有様ですね」  若い住職は、庭にちらりと視線を向けて、苦笑を浮かべる。  長い袖の片方をもう片方の手で押さえ、お辞儀のような所作で足下に転がったバケツを拾い上げる。そっと、庭の隅に添えるように置いた。  少女は僧侶の動きを眺めながら、脳の片隅で、そんなところに――などと思う。 「いつまでそうしているのですか」  溜息交じりにその言葉に、少女はつーんと顔を背ける。 「すぐに乾くよ。それにどうせもう、誰もいないんだからいいでしょ」 「……ご家族は哀しまれますよ」 「わたしは悲しくないもの。いなくなって、とっても清々してる!」  ふふん、と得意げに腕を組んだ。  住職は小さく息をはく。ぬかるみの酷くないところを選ぶように庭へと踏み込む。  落ちたサンダルを片方ずつ拾い上げると、屈んで踏み石の上に揃えて並べた。  少女がそれを目で追っていると、顔を上げた住職と目が合ってしまう。 「それでも、お祈りぐらいはしましょう。お隣なんですから。――さ、どうぞ一緒にいらっしゃい」  差し出された手から、少女は目をそらす。  その幼子のような素振りに、住職は苦笑を漏らした。 「では、気が向いたら、後からでも構いません。また様子を見に来ますので、貴方もいつでもいらっしゃい」  手を下げ、立ち上がる。軽く裾を払い、背を向けると訪れた時と同じように静かに去って行く。  少女はずっと顔を背けていたが、気配がなくなると顔を上げ庭から玄関へと視線を滑らせた。  はじかれたように立ち上がり、踏み石に足を下ろす。置かれたサンダルを履こうとして、蹴っ飛ばしてしまい、もたつく足にいらいらする。慌てて拾い上げて足を乱暴に突っ込み、庭を駆け抜け、扉のない門壁に手を置く。  そのまま勢いよく外へ出ようとして、聞こえてきた声に足を止めた。 「ああ御坊、ご苦労様です」  声は寺と少女の家の向かいに住む老婆だった。少女の祖母とは長い付き合いのある。 「さっきまた音がしましたけど……今年もですか」  老婆の声は低く、怪訝そうだ。足を止め、会釈を返す住職は老婆の言葉に困った様子だった。 「……盆も近いので」 「もう何年になるか……いい加減気味が悪くてねぇ。早く取り壊してくれないかしら」  住職は微苦笑を浮かべたまま何も言わない。 「あらやだ、足止めして」 「いいえ。お勤めがございますので、また」 「ええ。また寄らせてもらいますよ」  互いに会釈をして、老婆の方が先に去って行く。  住職はこちらにしばし背を向けたまま老婆の姿を見送るように佇んでいる。  少女は住職を追うかどうか、迷って門壁の影に身を潜めていた。 「出てきて構いませんよ」  住職は塀に向かって振り返っていう。  少女はそっと顔を覗かせた。 「聞いていましたか?」  穏やかに訊ねられ、少女は少し迷って首を振る。 「なんのお話だったの?」 「そろそろお盆ですね」  少女が見上げて問うと、住職は笑う。 「お寺は忙しいもんね」  そう言うと、住職の黑い袈裟の袖を、摘まむようにして握る。  住職は何も言わずに、微笑む。 「ええ。手伝って頂けると有難い」 「……気が向いたらね」  少女が住職の顔をちらりと見上げるように言う。表情の見えない少し遠い横顔。口角がほんのわずかに上がるのを見て、少女もそっと俯いて笑った。
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