1人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
ある日、あと一年あまりで夫婦ともに40歳の大台に入ることに気が付いた。
「ねえ正樹、私たち大台も近いし子供のことちょっと真剣に考えるためにも、今度クリニックに相談に行ってみない?」
「紗(さ)枝(え)が行きたいならいいよ」
多少の難色を示すだろうと予測していたのに、あっさりと承諾したのは意外だった。
思い返せば以前から一般の不妊の原因は100%女性にあると思い込んでいる節があった。それに基本的に自分の正当性を疑わない性分の人だから、自分たちの場合も男性側である自分に原因があるかもしれないなんて少しも思ってなかったはずだ。だからクリニックへ行くことだって自分も受診するのではなく、単なる付き添いのつもりだったろう。
クリニックでは二人そろっての問診のあと、別々の部屋に促された。私は内診のため、正樹は精子を状態を把握するためだ。
内診は何度受けても慣れない。カーテンの向こうでは医師も看護師も必要な部分しか見ないはずだと思うけど、一番無防備な姿を晒すことへの羞恥心と抵抗感は全く消えない。
私の気持ちは別として、検査は滞りなく終えられた。
が、正樹は違った。結果として精子を採取できなかった。
特別な器具や装置を使うわけではなく、個室でマスターベーションして準備された容器に射精するという採取方法だったらしい。
本人にしてみれば簡単なことではなかったのだ。唐突に「そこで自分でやって出してください」と言われたわけだし、腹をくくって内診台に乗る私よりも、もしかしたらデリケートなことかもしれなかった。
それでもやってみたのかとか、勃たなかったのかなんて聞くのも酷だから、問い詰めたりはしてないけど、とにかくダメだった。
いつだって「ぼく悪くない」スタンスの、正樹のプライドは傷ついた。
けれど検査のためには何としても精液は必要で、そのためには再度クリニックで採取するか自宅で採ったものを速やかに提出するのか二択しかない。動揺を精一杯押し殺して、彼はキットを持ち帰る方を選んだ。
そして帰宅するなり、玄関の床にそれを投げつけた。
最初のコメントを投稿しよう!