毛皮を着替えて

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 その頃のニャウは、年とともに細くなった食が一層細くなっていた。カリカリフードをふやかしたものも、猫缶を人肌に温めたものも、大好物のちゅ~るも、ほんの少しずつしか受け付けず、やがて水以外口にしなくなり、起きて歩くのは水を飲むためか排泄のためだけになった。それ以外の時間はこんこんと眠るだけ。耳が遠くなったせいで、多少の物音がしてもほとんど反応しない。  痩せてぺたんこになった腹は浅い呼吸だとわずかしか動かず、私は日に何度も息をひそめて見つめ、ちゃんと息をしているかを確かめて安堵する…を繰り返した。もう自力では飛び乗れないニャウのために時々洋だんすの上に乗せてやり、そこで全身を撫でてやるのも日課になった。  目を細めてのどを鳴らす、枯れ果てたような小さなニャウがますます愛おしく感じられた。  お別れの時はずっとずっと先のことでであってほしい、そう願っていた。  いつもリビングのソファの下で寝ているニャウが、その夜に限って私たちの寝室にやってきた。のぼれるはずもないのにベッドにのぼろうとするので、見かねて抱き上げふたりの枕元に寝かせてやった。ニャウのゴロゴロを聞きながら眠りについた。  なんとなく「その時」が近づいている気がした。気がするだけであってほしいと思った。  アラームが鳴るより前に目が覚めると、ニャウは私の首元にぴったり添って丸くなっていた。  正樹を起こさないようゆっくり起き上がってニャウを抱き上げ、「おはよ」とそっと声をかけた。耳の遠いニャウに聞こえたかどうかはわからない。けど、ニャウは尻尾を振って反応した。ニャウの尻尾があんなに大きく動くのを見るのはどれくらいぶりだっただろう。ぶんぶんと左右に大きく振れ、直後だらりと下がった。 「ニャウ、うそ…」 と、たぶん言ったと思う。  私が抱き上げてやるまで、ニャウはがんばってくれたんだ、尻尾を振ってお別れするまで、がんばってくれたんだ。  彼女の最期を思い出すと一通りの儀式を済ませたあとでも、じわじわと涙が染み出てくる。  もっと撫でてやりたかった、もっとちゅ~る食べさせたかった…。  そんなことを骨壺を抱えてつぶやくと、正樹は、俺は毎食ちゅ~るでいいと思ってた、ニャウの方が触られたがらなかったなどと返して、穴が開いたようになっている私の心をえぐった。  そういえばニャウが旅立ったことを、ベッドで抱き上げたまま知らせたとき、正樹はちらっと見ただけでまともにお別れしなかった。  老いさらばえてぱさぱさの毛にも触りたくなかったのだろう。棺がわりの化粧箱に入れてやったのは私、お気に入りのぬいぐるみを入れてやったのも私、ベランダの花を摘んでブーケを作って供えたのも私、火葬場で係の人に託したのも手続きをしたのも私。正樹がしたのは行き帰りの車の運転だけだ。
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