毛皮を着替えて

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 人ひとり猫一匹の姿が消えて突然一人暮らし状態になった2LDKは、正直広すぎる。生活音をたてる者が自分しかいない空間は静かすぎる。  多少のざわめきがほしくて、テレビをつけっぱなしにするようになった。好みの音楽を流すよりそちらを選ぶのは、誰かのしゃべり声を聞きたいからかもしれない。  テレビをつけたまま風呂に入り洗面台で髪を乾かしていた。  ドライヤーを切ったとき、同時に何かの音が途切れたように感じた。テレビは変わらず音を垂れ流している。観光バスと乗用車が事故ったニュースだ。  携帯が鳴って、何コールもしないうちに止んだ。さっきのは着信音だったのかも。  見れば着歴が数回。見知らぬ市外局番に下3桁が110。警察?  またかかってきた。 「山根(やまね)紗枝さんの携帯ですか? 私○○県警の斎藤(さいとう)です…」  聞けば、今まさにニュースでやってる事故で正樹がケガを負い病院に搬送されたという。  とにかく病院に行かなくちゃ、頭に浮かんだのはそれだけだ。  病院に行くには? 何したらいいんだっけ? 何も思いつかない。思いつかないときはどうしたらいいんだろう? 相談だ、だれに?  元同僚で猫友でもある珠(たま)希(き)がひらめいた。ニャウとの別れを報告したきり連絡をとってない。たぶんそっとしてくれてるのだと思う。  着歴から彼女の名前を見つけ出しタップしようとした瞬間、着信画面に切り替わった。  発信者は田畑乙彦(たばたおとひこ)、今の職場の同僚、厳密に言えば後輩だ。 「どうしよう」  出るなり、珠希に言うはずの言葉を口走ってしまった。 「どうしたんですか?」  乙彦の声を聞いて、少しだけ頭が冷えた。 「えと、警察から電話があって、ケガで病院にいるって、病院どこだっけ? あ、病院はわかってる、でも行き方…」 「紗枝さん今どこ? 家? 俺行くから、落ち着いて待ってて」  待てとか落ち着けとか言われてもそう簡単にはいかなくて、だからといってじっとしてもいられなかった。リビングや玄関、キッチンをウロウロ歩き回り、スマホを意味なく触り続けることしかできなかった。  テレビは情報をながしているけど内容は全く入ってこない。  どれくらい時間がたったのか、チャイムが鳴った。インターフォンのカメラが乙彦を映し出した。 「何かごめんね、あがって」  リビングに通すと乙彦はソファに座りテレビを消した。 「あ、お茶淹れるね」  キッチンに行こうとして止められた。 「そういうのいいから、とにかく何があったか話して。順番とか考えなくていいから」  ○○県警の斎藤って人から電話があって、病院に来てくれって、旦那がケガしたらしい、今ニュースでやってる事故、旦那はちょっと前に家出したままでどこにいるかわからなくて、どうして○○県にいるのかもわからない、前に会社に電話したら有給取ってるって言われて…。 「よし、行こう病院、俺車で来たから」  乙彦は立ち上がってそう言った。 「でも場所…」 「病院の名前聞いたんでしょ? ナビで行ける」  移動の間、あまり話さなかった。話したのは、電話がかかってきたときのことだけ。 「ごめんね、ありがとね、さっき電話くれたときちょうど猫友に連絡しようとしてたところで、その人に言うつもりだったことを乙彦に言ってしまって」 「それで『どうしよう』? うん、いやいいよ、俺だってペットロスの紗枝さんがちょっと気になって電話してみたんだし、実は飲みながら話聞こうと思って、缶ビール開けるつもりでいてさ、やー開ける直前でよかったよ、一口でも飲んでたら運転無理じゃん」 「ありがと、ホント色々ありがと」
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