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曰く、結婚をするまで、私は人ではなかったらしい。
「飼うなら犬でしょ」
猫飼おうかな、と呟いたら聞こえたようで返事が返ってきた。まだ、結婚する前だったと思う。
「なんで」
「猫は柊乃さんやろ」
ゆうるりと抑揚を付けて語尾をあげる西の方の喋り方。
「あ、でも」
「蝶々かな。いっつもどっかふらふら行くし、飛んだまま帰ってこなさそうや」
気の抜けた彼独特の空気感は、一歩間違えれば臭くなりそうな言葉も、格好のつかない自然な言葉にしていた。
彼の言う通り、どうやら私は現実との乖離が大きい。自分のなかの時間は人よりも遙かにゆっくりと流れていて、常識と呼ばれる当たり前の価値観やルールも、薄いアクリル板を一枚隔てて、どこか他人事みたいな世界にある。
「これで、なんか一安心やねえ。助かるわあ」
印鑑を手に、もともと困り顔の眉をさらに下げて、にこにこと笑っていた彼を見ていたときも、こんな紙切れ一枚でなぜ彼が助かるのか、よく分かっていなかった。
ポケットの財布は片道の旅費。
帰りは気が向いたときに通帳で帰ってくる、それができる時代。施設の先生も友人も、十八で出ていくのだからと、強く引き留めることはなかった。
そこから数年。私はあまりに自由過ぎたのだ。
遠く西洋の中世化学、錬金術には「結婚で完全になる」という思想が存在するのだという。以前、読んだ本の一節にあった内容。
ふらふらと頼りのなかった私を、ひとところに留めているのだから、意外に言い得て妙な発想なのかもしれない。
気付けば、夢現で家の前までたどり着いてしまっている。
(久しぶりに一人でいるからだろうか)
僅かに舌に残ったラムネの甘味料が、すう、と鼻を抜けた。
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