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 サクラメントへ出発の日。早朝五ツ鐘。  貴族馬車と護衛馬のチェックも終わり、ロークワゴン学院長の登場を待つ。  そのエイシスの前には、2人。  エイシスとカムシンは無難にまとめた旅行スーツ。  対して、エイシスが呼んだ覚えのない新顔は、シルクハットにタキシード。さらに、どこで買ってきたのか覆面(アイマスク)までつけていた。  仮面舞踏会かな?  エイシスには目許を隠すまでもなく誰かは分かっている。それでもあえて護衛責任者として、訊ねないわけにはいかなかった。 「カムシン。説明して。俺、聞いてないよ」 「すまねえ。あまりにも悔しかったから、つい愚痴ったらいつの間にか泥を全部吐かされてた。その上、一枚噛ませなかったら暴れるって、その……言うから」  カムシンが敗残の将のごとく面目を失った顔でうなだれた。 「ということは、俺がきみを選んだ時点で、人選を間違えたってことかな」 「いや、それは……まことに悪かった」 「きみ、名前は」  タキシード覆面は、軍隊式の敬礼をする。ますます奇異な姿になった。 「まいどぉ! クラリティから来よりました。ウパ・ダージリンいいますねん!」 ((これはひどい……っ))  エイシスとカムシンは思わずため息をついてしまった。 「クラリティの人に怒られるから、普通にしゃべっていいよ。ディンブラ」 「ちゃうちゃうちゃいますねん。せやから、わて。ウパ・ダージリンですわ」  言い張りつつも、目が挙動不審にそわそわしている。バレないと思ったのか。 「じゃあ、旅の間中ずっと、その変な口調を続けるんだね。俺たち、フォローしないよ? ギャグやジョークが駄々スベっても、爆して屍、拾う者なし。それでいいんだね」 「うっ。それは……すみませんでした」  しょんぼり肩を落として、ようやく降参した。ギャグが滑った後の孤立無援の恐怖を知っているのだ。 「あと、その偽名もダメだから。リゼ・アッサムに改名。頭にたたき込んで」 「えー。ダージリン。結構気に入ってたんだけどなぁ」  口を尖らせるノアに、エイシスは真顔を振った。 「ダージリンは、クラリティに実在するアデルローズ商家の家名なんだ。タチバナ家も世話になってる。バレると俺が親から本当に怒られるから勘弁してくれ」 「げっ。大当たりっすか……わかりました。んじゃあ、眼帯も取ります?」 「それは、アルトちゃん次第かな。怖がられたら、外して」 「そうじゃなかったら?」 「この仕事が終わるまでずっと付けてて。服装も後でなんとかするとして、護衛に女性がいることで、舐めてくる軽薄者がいるかもしれない。この旅は楽しんでもらっていいから、切り替えは素早くできるように」 「了解」 「カムシンは、マセラティオ・ギブリを名乗ってくれ。通称はマセラ。護衛が平民だとアルトちゃんが軽んじられる。そういう世界だから承知しておいてくれ」 「わかった。ん、ギブリ……どこかできいたことがあるぞ」 「去年、俺が頼んで学校で稽古付けてもらった助教グラハム・ギブリだよ。国立枢機院第3師団〝千鬼隊・赤鬼〟の千騎隊長さん。  きみの師匠と父共通の友人だ。本人から許可はもらってる。ケンカや飲み屋のツケで、その名前を使わなければいいってさ」 「あっ。あのチビ親父か。めちゃくちゃおっかなかった。あいつがおれの親父かよ。ヘマしたら拳骨で殴られそうだぜ」  まんざらでもない笑みで軽口を叩くカムシン。実は周りに厳しかった中で、カムシンには「見所がある」と褒めたのを本人も忘れてなかったらしい。  エイシスは一瞬微笑んで、すぐにそれを引っ込めた。 「ふたりとも、傾注。本旅程は、往路3日。滞在1日。復路2日の計6日間だ。  要人護衛対象レイヴンハート公爵令嬢アルトは、単独で町へ出歩く習慣がある。それは旅先でも同じかもしれない。外ばかりじゃなく内でも油断できない。要人が女性である以上、同じ女性はリゼしかいない。きみにウェイトがかかるけど締まっていこう」  3人でうなずきあった。  予定時刻から遅れること、15分。  エイシスが何かトラブルの気配を感じた頃に、ようやく館からロークワゴン学院長とアルトが出てきた。どう見ても、子供の二人連れにしか見えない。 「学長っ。話はまだ終わっておりませんぞ!」  館の中から雷のような怒声が飛びだしてきた。 「学長っ」 「もう、うるさいなー。話しはさっき終わったでしょお。今回に関して、諸君の出番はない。そういう日があってもいいじゃないか」 「そういう問題では……っ」  館の前で並ぶ若者3人の視線にようやく気づいて、男は口を閉じた。  黒褐色の五分刈り頭。体躯もギブリをうわ回る。明らかに本職の護衛騎士(ガーディアン)だ。しかも公爵家の。 「おはよう、諸君。旅立ちには最良の良き日だ」  ロークワゴン学院長は、さっさと男の存在を視界の外に追いやり声をかけてきた。エイシス達も挨拶に応じ、姿勢を正す。なんと言っても雇用主さまだ。 「良き日って……曇りなんですけど」 「土埃が立たないからだよ。旅行・進軍には曇りが幸先いいんだ」  リゼのツッコミに、エイシスが苦笑して説明した。 「エイシス。その覆面彼女は?」 「俺が個別に雇用しました。リゼ・アッサムとマセラティオ・ギブリです」  紹介すると、ノアは一歩前に出てお辞儀した。  ロークワゴンの目がふいに鋭くなった。 「お辞儀が深すぎる。靴の踵も高すぎるよ。うん、護衛経験は素人だね」  こども学院長の指摘に、ノアがハッとなる。  エイシスはすぐに謝罪した。 「申し訳ありません。護衛対象と年齢の近い女性という条件だけで人選しました。ただ腕っぷしは、俺が信頼に置くに足りると判断しました」 「不適格だ。非常識だ」  護衛騎士が吐き捨てたが、ロークワゴン学院長はまったくの無視。 「うん。何事も経験だ。この旅での成長を期待しているよ。あと、これね」  気安くエイシスの両手に書簡と金袋を手渡した。  ずっしりとした重みにエイシスは軽く目を瞠った。 「袋は、いわずもがなの旅費だ。きみらの報酬は入ってない。姪をあまり不自由させないでやってよ。あとハメを外しすぎないように」 「はい。承知しました。それで、この書簡は?」 「レイヴンハート領港湾都市クラリティの執政長官リュート・ロウ宛てだ。アルトの必要に応じて手配協力するよう頼んである。総裁代行権者であるぼくの証印入れたから、なくさないようにね」 「は、はいっ」  本当に正式任務だという実感に、エイシスは声が上擦りそうになった。学生の身で騎士の叙任もすませてないが、これが初仕事だ。 「それと、さっきレイヴンスパーダ家から連絡があった」  レイヴンスパーダ家。〝隠密公〟と称されるフリード・レイヴンスパーダを頭領とする両双家の情報や護衛を担当する一家だ。公式の場に顔を晒すことは滅多にない。 「ジュークの行方が、分からなくなっている」 「えっ」 「学長っ。それを彼らに言う必要はない」 「だまらっしゃい」  とたん、護衛騎士の口がなくなった。エイシス達3人は目を見開いて言葉を失った。 「どうも、ジュークの護衛監視についていた職員が不覚をとった。幸い大したケガじゃないけどね」  驚いたのは、エイシスだけだった。他のふたりは顔を見合わせている。 「学院長。今後、彼はこちらにくる。ということですか」  ロークワゴンは腕を組むと、難しい顔になった。 「あの子は分かりやすい性格でね。アルトがいないとダメなんだ。あの事件以来、自分の魔法の才能を怖がってる。だから〝片割れ〟に寄りかかることでバランスをとっていた。しかしそれでは、あの子も、ぼくら竜の魔術師も、行く先々で困ることになる」  エイシスは学院長のとなりを見た。  アルトはどこか不服そうに視線をさげている。館の中で叔父と姪で何か主張をぶつけたのだろうか。それに今の説明は、ロークワゴンの私見なのだろう。  だがエイシスも学院長の洞察は的を射ていると思った。  もし、ジュークが魔法使いとして心のバランスを欠いているのなら、むしろ双子は離さず心の成長を待つべきではなかったのか。  はじめから兄弟のいない自分とは境遇が違う。血を分けた姉弟なのだ。互いを補うために寄りかかって何が悪いのか。  となると、アルトにも何か片割れに寄りかかるだけの何かが欠けているのだろうか。そうは見えないが。  エイシスの内心をよそに、ロークワゴンは言葉を継ぐ。 「アルトに会いに行くことの予測はできていたんだ。けど、まさか別居生活から半年も経たずに、監視を殴って脱走するとは思ってなかった。旅の初手から不測の事態だけど、見つけたら、多少手荒になっても捕まえてレイヴンスパーダ家に引き渡しておいてほしいんだ」 「一度、双子で行動を共にするところを見てから、考えてはいけませんか」  エイシスの言葉に、アルトの表情が明るくなった。  逆に、ロークワゴンの顔は曇った。ギロリと睨み上げてくる。 「大元帥の決定事項に、ぼくらは疑義を挟めないって言ったよね」 「はい。でも俺は竜の魔術師ではありません。そして、ジュークの逮捕連行は、大元帥のご意思ではありませんよね」 「エイシス・タチバナ。きみは両双家に──」 「はいっ。その通りなのです!」  アルトが両拳を握って割って入った。  彼女も弟に会いたいのだ。経緯はともかく、こちらにやってくるのを楽しみにしている。今はそれがわかっただけで充分な気がした。 「学院長」  エイシスが見つめると、ロークワゴンはプイッと顔を背けた。 「ぼくは今日も忙しいんだ。明日もきっと忙しいよ。だから旅で起こることまで関知できない。気をつけて行ってきなよ。きみ達の旅路に、星の巡りがあらんことを」  エイシスは父から仕込まれた王国軍式の敬礼すると、同僚に騎乗を合図した。  それからアルトの手を引いて、馬車へエスコートする。 「ありがとうございます。弟を庇っていただいて」 「ううん。まだまだ。これからだよ。あと、思い出したんだけど」 「はい?」  アルトが小首を傾げて、こちらを見上げてくる。 「ジュークから、君に手を出したら殺すと言われていたのを、今、思いだした」 「まあ……っ」  12歳の淑女は驚いた声で、目をぱちくりさせた。つながれた手を見て頬を赤らめる。 「タチバナ様。ジュークに殺されないでくださいね」 「大丈夫。今のジュークには無理だよ。俺はこう見えて強いんだ。あと、旅の間だけでいいから、エイシスと呼んでほしい」 「あ……っ。で、では、私も……」 「うん、もう呼んでるよ。初めて会った時から。この旅を楽しもう、アルトちゃん」  アルトはつぼみがほころぶように破顔して、うなずいた。  馬車のドアを閉め、ロックをかける。 「御者さん。ジュークの姿を見かけたら、合図くれます?」 「だなも」  エイシスはうなずいて、その場を離れた。御者が出発の合図を発した。 「レイヴンハート公爵令嬢アルト様、御出立っ!」
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