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 王都フルハウス。国会議事堂貴族院・控室。 「サクラメントは今度こそ、終わりだな」 「かもしれん、な」 「12年ぶりに、またロードが観測されるとはな」 「前回は、国立枢機院の機転でどうにかなったらしいが、今回はさすがに数が多いと聞く。グランド総裁といえども無理だろうな」 「タチバナ家も所領と運命を共にするらしい。退役願を出したと言うぞ」 「サッタージョンの反乱終結から30年。余所者にしてはうまくやったな」 「次は、誰があそこを治めるのか。今度はデミリオ4世の時とは違い、旨味は大きいぞ」 「おい。さすがに現段階でそれは、不謹慎だろう」 「だが、あそこは港湾都市クラリティへ続く我が国最大の交易の要衝だ。あそこの領主ともなれば、収益は莫大。今国会での補正予算もその災害復興措置がすでに盛り込まれている。新領主ともなれば、領民の尻を叩いて数年で再建できる。違うか」 「アデルローズ商人あっての収益だ。ヤツらも今回のことで、あの町を見限るかも知れん」 「それはなかろう。今まで散々あの都市(まち)で甘い汁をすすってきたのだ。信用手形取引市場開設。商事裁判権の獲得。クラリティ、アデルローズ皇国の名だたる大商業都市との株式レートの統一。もう少しでゲルマニア国境沿いのアルゲントまでその経済網を伸ばそうとしていたのだぞ。どれもわが国屈指の優遇特権だ。  あそこまで育てておきながら、ベヒモスの横断ごときで今更どこの都市に鞍替えできる。周りはいまだに頭の古い田舎領主ばかりなんだからな」 「その辺にしておけ。今の発言は暴言だぞ。たとえ田舎領主が本当のことだとしてもな」  議員達は軽快に笑いあった。 「だが、次期領主は、タチバナ家ほど領民に寛容になれるか?」 「あれはタチバナ当主が支配というものをいまだ理解しておらんだけだ。民は愚かであるほど御しやすい。商人は二枚舌の腐肉食いだ。甘い顔をすればこっちが食われるぞ」  ジリリンッ! ジリリン……ッ!  開会前のベルが鳴り、議員達は一斉に立ち上がってゾロゾロと控室を出て行った。 「ふんっ。ずいぶん言いたいことを吐いて行ったものだな」  彼もまた立ち上がり、向かいに座っていた青年も立ち上がる。 「で、次期領主は誰になるのだ?」 「メンドーサク閣下。閣下もお人が悪い」  青年が困惑ぎみの笑顔を浮かべると、メンドーサク辺境伯もニヤリと凄味のある笑みを浮かべた。子供が見たら泣き出す魔王面だ。  青年は物静かな視線を窓に向け、守るべき故郷に思いを馳せる。 「もはやサクラメントに一発逆転はないでしょう。ですが、わがタチバナは、あれしきのことでその場に膝を屈することはありません」 「ふんっ。相変わらず執念深いではないか。余所者が造った領邦(くに)にしては」 「むしろ後のない余所者が造ったからここまで執念深くなれたのですよ、閣下」  メンドーサクはうなずいた。 「ならば踏まれても、春麦のごとく蘇ってくるか。タチバナは」 「はい。タチバナは、あの土地をグランド総裁に託されたのです。我われは一度救われた命。絶望などするはずもないでしょう。我われは、蹂躙された土地で立ち上がることが、あの方の義に報いる務めと考えております」 「ふんっ。その言葉。やはり貴様は商人には向いておらんな。フィリー・ダージリン」  メンドーサク侯爵は歩き出す。青年も後に続く。そして、侯爵はふと立ち止まり、肩越しに振り返って褐色肌の青年を見た。 「やはり東方の騎士〝サムライ〟というのは、お前たちのような者を言うのか?」 「ふふふっ。さあ。それはどうでしょうか。そもそも──」  青年は鋭い目で、微笑を浮かべた。 「ベヒモスの通過線は、サクラメントだけとは限りませんし」  お互いそれ以上なにも言わず、控室を足早に出て行った。    §  §  §  王都フルハウスの中心部マロニエ地区。  貴族街であり、交通量の最も多い場所でも知られていた。  ペルボンシュ伯アングレイブは補正予算審議から戻ると、執事達からの出迎えを振りきって、書斎に籠もり、鍵をかけた。そして、 「おのれ、グランドっ!」  来客用のイスを蹴り上げた。もっとも、イスは絨毯に引きずった傷を付けただけで、さほど動きはしなかった。アングレイブはそれが余計に腹立たしくて、イスに掴みかかる。 「痛いよ、痛いよ。ペルボンシュ伯爵。もうやめてよ」  突然の声にアングレイブは怒りも忘れて、本来、自分が座るべき執務イスを見る。  修道女が座っていた。  白い法衣を着、黒いスカプラリオ(フェード教の教義で着衣義務となるエプロン)。薄い眼鏡をかけた女性だった。柔らかな面差しが家主の警戒感を削がれた。華やかさはないが、落ち着く朗らかな微笑だった。  だがその黒いスカプラリオは確か……おや、思い出せない。 「誰だ。どうやってここに入ってきた」 「失礼いたします。ドアが開いていましたもので、先にここで待たせていただきました」 「何を言っている。鍵は、ワシが持っておるコレきりだぞ」ポケットを叩く。 「なら、今日はかけ忘れておいでだったのでしょう。それよりも、ベヒモスロードのことです」  その名を出されて、アングレイブはまた怒りに我を失いそうになった。  修道女は軽く手で制して、話を切り出してくる。 「ええ、わかります。襲来後の損害補填のことは、そのお怒りで充分。でも、わたくしなどにはどうすることも叶いませんので、悪しからず」 「なっ。それなら、何しに来たっ」  彼女は立ち上がるとデスクに紙を広げた。それから眼鏡の奥でやわらかな目が手招きする。  アングレイブは憤懣(ふんまん)を抱えたまま歩み寄った。なぜか逆らえなかった。 「……っ? これは、この地図は」 「はい。サクラメント領周辺の地図でございますよ。ほら、ここに閣下のペルボンシュ領もここに。曾祖父様以来の慣れ親しんだ土地だとか」  しなやかな指がさしたのは、サクラメント西の領邦だ。忌々しい。補正予算審議では、サクラメントの三分の一しか損害金が認められなかった。  都市の経済価値は同じだと財務省官僚の言質をもらっていた。サクラメントは当時の国王すらも(さじ)を投げた悪領だった。  それがある時、東方から来たのならず者に支配された。今でこそ経済発展を遂げたが、それもアデルローズ商人の言いなりではないか。  なのに、なぜ余所者が造った土地より、先祖代々王国に仕えてきたペルボンシュ家がここまで冷遇を受けなければならない。 「くそっ、くそっ、くそっ!」 「落ち着いて聞いてくださいましな。閣下」 「落ち着いているっ。ワシは冷静だっ。それでこれがなんだというのだ!」 「はい。ベヒモスロードの通過予測進路を変えるのです。こちらへ」  薄い眼鏡をかけた修道女はある都市を指さした。  ──CLARITY(クラリティ)を。 「あのバケモノの進路を変える? どうやって、しかもその町は……」  レイヴンハート公爵領。【両双家】が愛してやまない珠玉の港湾都市だ。ここを中心にしてレイヴンハート家の栄華と、王国の経済基盤を支えていると言っても過言ではない。 (まさか、この女……っ)  悪魔の契約。その言葉がとっさに脳裏をよぎって、アングレイブは噴き出てもいない額の汗を袖で拭った。 「閣下に負担を強いる公爵様には、自らその負担を強いていただいて、閣下の傷心を肩代わりしていただこうではございませんか」 (そう、そうか。確かにそうだ。〝血塗られ公〟も一度、失う苦しみを知ればよいのだ)  そうとも。ワシが【両双家】の逆鱗を踏むのではない、魔物が踏むのだ。くくっ。痛快ではないか。 「だが本当にできるのか。相手はあのベヒモスの(ロード)だぞ?」 「できなければ、ここには現れません。実は、もう手筈は整っておりますの」 「おおっ。本当か……っ」 「はい。そこで、閣下にお願いがございます。人を少しばかりお貸し願えませんか。お金ですっぱり縁が切れる者なら、尚よろしいかと」  アングレイブはきょとんとして修道女を見つめる。 「まさか、貴様。総裁閣下を亡き者に?」 「いいえ。それには、まだ時期尚早かと」  朗らかな笑顔の奥から、闇に潜む者の視線を感じた。 (うっ。この女、相当怨んでいるな。グランド・レイヴンハートを)  アングレイブの直感は、しかしそれ以上の穿鑿(せんさく)をためらった。相手の冷心の一端に触れて、正気に戻ったと言ってもいい。  この国で、竜の魔術師に盾突いて無事で済むはずがない。竜の魔術師がいかに強大であるかを曾祖父の代から面々と語り継がれてきたのだ。  アングレイブ自身もまた、家名安泰のため、子供に受け継いでいかねばならぬ。決して拳を振り上げてはならない相手を見極めるくらいには冷静だ。 「閣下。この計画を邪魔する者が出てきそうなのです」 「ん? 出てきそう、とは?」  女は地図を畳むと、法衣の袖に入れた。それから窓ごしに曇天の空を見上げる。 「星の流れを改変したところ、星の軌道が元に戻ろうとするのです。よほど強固な星の結びつきなのでしょう。ですので、その結びつき、断ち切らなければこの計画はご破算になりかねませんの。困りますでしょう?」 「なるほど。占星術の秘技であるな」 「はい」 「相わかった。人はどれだけ集めればよい」 「追加も入れて、50人ほどでしょうか。それでダメなら……。ともかく、彼らの行く先々に網を張りませんと」  本気で貴族馬車でも襲う気なのか。 「承知した」  彼女は小さくうなずくと、部屋を出て行く。その入口でピタリと足を止めた。 「な、なんだ?」 「一応、申し上げておきますわね」 「んっ?」  修道女は穏やかに微笑んだ。 「この契約を誰かに他言されましたら、殺しにまいります。悪しからず」  バタン──。ドアが閉まり、部屋が静寂に満たされた。  アングレイブは言葉もなく、その場に尻餅をついた。  彼を受け止めたのは、奇しくも自分が蹴飛ばしたはずのイスだった。 「私は今、何を承諾させられたのだ……?」
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