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3
マセラティオ・ギブリは、気が利く男だ。
都市シャルトル。
学園都市セプテンバーから南西へ約3時間ほど馬車を走らせた町で、ブランチ(朝食と昼食の間に摂る食事のこと)休憩を取る。
「宿は2部屋のダブルでいいよな。探してくる」
「ああ。頼むよ」
宿の手配をギブリに頼み、その間にエイシスのほうは、リゼにスーツを揃えてやる。
スーツと言っても、馬上で立ち回れるくらいの安物だ。貴族が見ても侮られない程度におさえ、料金の2割を払って急ぎで頼む。できあがりは夕方とのこと。
事実上の足止め。旅費とは関係ないので、3人で出し合ってのプレゼントになった。
「先輩。すみません」
頭を下げてくるリゼに、エイシスは笑顔でうなずいた。
「そこは、ありがとうでいいと思うよ。どうせスーツ持ってなかったんだろ。いいよ」
申し訳なさそうに、でも嬉しそうに微笑む後輩に、エイシスも笑顔で応じる。どんな女の子の笑顔でも眺めるのは嫌いじゃない。
「ちなみに、あのタキシード。誰の?」
「兄貴のです。成人式に着てったのを思い出して、実家から引っぱり出してきました」
「へえ。アッサム、お兄さんいるんだ。初めて聞いた」
「アスカっていいます。巡察官で、あたしの目標です。でも今のタキシードはもう着れなくなってましたから。めちゃくちゃ背が高くなっちゃったし」
リゼは眩しそうに微笑んだ。
「アッサムは、学校を出たら巡察使に進むのか?」
「いえ。一応、このまま剣を活かしたいから王国軍に入ろうかと思ってます。先輩は」
「俺は否応なく、そっち。正式に士官配属決まったら、父の秘書から領主修行を始めて、国立枢機院の幹部候補生の訓練にも参加して、社交会にも顔出して、3年くらい王都と領地を往復したら……幕僚に入るのかなあ」
「えっ。それってすごくないですか?」
「もちろん、猛勉強した結果の話だよ。父親がグランド総裁に見込まれてるから、息子で失望させられない。結構重いんだよ。これが」
「偉大な父親を持つと、子供が苦労をしますものね」
そう他人事のように口を挿んできたのは、アルトだった。
「まあね」
エイシスはなぜか笑えなかった。
4人揃ったところで、ブランチは、カツレツとフタツノウサギのシチューに決めた。ビーフシチューより手頃な値段だったのでそっちを選ぶ。エイシスの知る限り、フタツノウサギは繁殖力が普通のウサギよりも高いから、値が安いと聞いたことがある。本当だろうか。
意外にも、お嬢様は残さず食べきった。
「あら、うちのフタツノウサギは自慢料理だけど、よく食べたわねえ」
食器を下げる女給が嬉しそうにアルトに微笑みかけた。
「大変美味しゅうございましたっ」
アルトは歓喜に目を輝かせ、護衛たちを困惑させた。
(何か目覚めさせてはいけないものを、目覚めさせてしまったかもしれない……)
食後の飲み物に、護衛三人はコーヒーを、アルトはミルクティを頼んだ。
そこで、ギブリがテーブルにお菓子の布袋を置いた。
「宿の手配の帰りに、メレンゲ屋を見つけてさ。お嬢さんの口に合えばいいんだけど」
ギブリは一応、エイシスに伺いを立てる。エイシスはアルトにうなずいて見せた。
「これ、なんですか?」
「どっちも玉子の卵白を泡立てたメレンゲの菓子だよ。こっちの丸いのはマカロン・クラックレで、中にアプリコットジャムが入っている。こっちの涙型で白いのがメンチコフ。中はジンジャー入りショコラだね」
エイシスはしげしげとそれを見つめて、
「メンチコフはこの町が昔から名物にしてる砂糖菓子だったよね。──アッサム。毒味して」
「アイアイサー……うっ、甘っ!?」
「当たり前だろう。菓子なんだから」
ギブリが広い肩をどっと落とした。
エイシスもメンチコフをひとかじりして、すぐにコーヒーを飲んだ。
「これは、コーヒーが進むなあ」
「もうっ、いいですかっ?」
お預けを食ったアルトが焦れたように見つめてくる。
「これは失敬。どうぞ、問題ありません」
アルトがメンチコフを摘まむと、ふむふむといった様子でサクサク食べてしまった。
「あとは……馬車の中でいただきますね」
そう言って、一つ残った袋を引き寄せる。そしてマカロンも同じように残した。
エイシスとギブリは互いに目配せする。
それから店を出ると、宿へ向かった。
「え。宿屋? 居酒屋じゃないんだ」
リゼが建物を見あげて意外そうに訊ねると、ギブリは顔をしかめた。
「さすがに藁ベッドに寝てもらうわけにはいかねーだろうが。それにこの町に宿屋があったし、一応3、4軒真っ当な店の値段を聞いて廻って、ここに決めた」
「へ~、気が利いてるぅ。いくらぐらい?」
「4人で、36ロット」
「うっほぉい。たっか。高くない?」
「なら、次の町はお前探すか? ──エイシス。次の町はどこだ」
「ディオル=レアンだね。ちょっと治安が悪いけど、クレルモンの丘までの最短になる」
「あ、あの……」アルトが挙手して遮った。
「ディオル=レアンの前に、プールジュに寄ってみたいのですけれど」
「プールジュ?」
アルトの要望に、エイシスは頭の中にたたき込んだ地図を見返した。
「ディオル=レアンの北だね。でも、アルトちゃん。どうして?」
「はい。当家のメイド長が昔住んでいた町なのです。一度、見てみたくて……ダメですか?」
アルトが上目遣いでエイシスを見つめてくる。
ドキドキしない。ドキドキしない。
「うん。わかりました。数時間の滞在なら構わないでしょう」
「んじゃ、リゼ。ディオル=レアンで、お前探せな」
ギブリが上から目線で命じる。
「いっ。マジで?」
「お嬢さんがダニに食われない清潔なベッドで、36ロットより安い宿屋を見つけてきたら、その日一日、お前の召使いになってやるよ」
「いっ、言ったなあっ!?」
「皆さん、仲がよろしいのですね」
アルトがエイシスを見上げて微笑んだ。
「それだけが取り柄みたいなもんだからね」
「いいえ。寂しくないというのは、幸福の条件に入ると思います」
急所を突かれたな。エイシスはとっさにうなずくので精いっぱいだった。
勝手に飛び入りしてきたディンブラにリゼ・アッサムと偽名まで与えて護衛に加えたのは、彼女がアルトと年齢も近く同じ女性という点も、ある。
一方で、見慣れた〝おバカ〟をやってくれた後輩のおかげで、不安が消えたことが大きかったのだ。
エイシスが王都に来て彼らに出会って手に入れた、心のどこかにあるバランスが均れた気がした。
いつもの3人が揃えばなんとかなる。どんな困難にも対応できる。そう思えた。
それは寂しさだったのかもしれないし、友情かも知れないし、互いに気の置けない居場所だったのかもしれない。
(別に、困難なんて大げさなものでもないけどね)
エイシスは、なんとなく後ろを振り返る。
「そういや、学院長に到着の伝文、出したのか。おれ達だけで宿に戻っておくか?」
マセラティオ・ギブリは、気が利く男だ。
「うん。ごめん。そうしてくれると助かる。そんなに時間はとられないと思うから」
笑顔で応じて、エイシスは大通りから脇道に入った。
父に言わせれば、任務放棄と叱られるだろうか。
護衛とは、護衛対象を安全に前へ進ませることが至上命令。現れた敵を無力化することだけで充分なのだ。
「でもね、父上。こちらはたった3人なんですよ」
対して向こうは……5、6、7……10、11……13、14……まだ増える。しかも勢力が2つ。雑魚と光り物が混じってる。
さすがに〝五月蠅い〟。
§ § §
シャルトルにある大聖堂の脇。雑木林にはいる。
ケンカでは定石なのだが、一対多勢のケンカはしないようにしている。
体力的に無理があるし、弱いところからやっていくと、本当に敵意を持っている強い者が逃げる可能性があったからだ。強いヤツほどケンカを嫌う。実は暴力こそが集団行動でもっとも不経済で、無駄だと知っているからだ。
況んや、戦争をや。である。
だがこの論理をひっくり返せば、利用できる。
ようは、2つの勢力をいがみ合わせて、戦争を始めさせるのだ。
労力を費やし、不経済活動にメンタルを摩耗させ、残った者達に疲労を与える。
「待てや、このガキぃ」
「おいっ。あの若僧を捕まえろっ。金貨200枚だ!」
後ろから意外な情報が投げ込まれた。
「ふーん。俺の首、意外に安く見積もられてるな。学割かな」
シラけた気分で、エイシスは前方で立ち塞がるている威丈高な数人の一団に突っこんだ。
先頭で仁王立ちしているのは、あの五分刈りの大男だった。
「エイシス・タチバナだなっ。停まれっ」
「できるわけないでしょ。話があるのなら、後ろのをなんとかしてくださいっ」
言うが早いか、エイシスは護衛騎士の中央をスライディングで抜けて、彼らの後背を駆け抜けた。
「待てっ、タチバナ! ──ぐおっ!?」
護衛騎士の背後に襲撃者たちがぶつかった。
「無礼者っ。われら公爵家護衛騎士の一団と知っての狼藉かっ!」
「知るかぁ! あのガキを捕まえたら金貨200枚なんじゃ。さっさと道を開けろい、この木偶の坊!」
「で、木偶の坊だとっ? 威勢で命を縮めたな、下郎っ。あの世でおのれの蒙昧を後悔するがいいっ」
「おい、野郎どもっ。金のアヒルに逃げられたらコトだ。講釈師だか騎士だかしらねえが、こいつら踏み倒せぇ!」
雑木林で白刃が一斉に抜かれた。
エイシスはというと、すでにその雑木林から脱出していた。
宿には黄昏どき、夕食前には戻ろうと決めた。
王都でケンカに慣れた生活をしていると、事件の嗅覚がにぶりがちで困る。
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