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4
旅の主体であるアルトだけには、この旅が危険と隣り合わせだと思われたくなかった。
(とはいえ、俺が狙われている原因についても、さっぱりなんだけどなあ)
ひと悶着から離れようと雑木林を出ようとした。その時だった。
エイシスは眉間にビリッと電気が走った。
「──ッ!?」
いい知れないプレッシャーが迫ってくる。
「まっすぐこっちにくるっ。俺のマナの流動を追尾でもしてるか。っていうか、本気で追ってきたのか。あいつ」
〝第三の男〟の狙いも自分のようだ。男になんかにモテても嬉しくない。
とっさに雑木林から出て、相手を捜した。
空に。
プレッシャーの相手が雲の彼方から突っこんでくる。その影はみるみる大きくなり、あっという間に人の像を結んだ。
「今時の魔女は、ホイールボードにのって空を飛んでくるのか。ハイカラだな」
ホイールボードとは、木製の車輪を着けた板に乗り、路上で遊ぶ子供の玩具だ。たまに王都下町の子供が馬車がいないのを見計らって、やっている。
軽口を叩きながらも、エイシスは再び雑木林で射線を切って駆けだした。
ある意味、この場であいつが一番ヤバい。
「仕方ないな。ここは猛毒をもって他の毒ごと制してみる?」
エイシスは通りを挟んで大聖堂の脇の林にまた駆け戻った。
雑木林の中では金属の打ち鳴らす音があちこちで起きていた。
「おいっ。あの若僧だ。さっさと捕まえろ!」
襲撃者の一人がわめいた。
そこへ突然、頭上の枝葉が何かを受け止めて乱暴に揺れた。
男たちは一斉に上を見あげた。直後、不運な男の顔面に四つの車輪を付けたホイールボードが直撃した。
「うわっ、痛そ」
エイシスは顔をしかめ、剣を抜いた。片刃を返した峰で打ちかかる。
男の首許に当て身。声もなく倒れている間に2人を左右に胴抜き。4人目はエイシスに間合いを詰められ、慌てて身構えた。がら空きの足をスライディングで刈る。
剣先があってもエイシスには停まって見えた。だから──、
(ちょっと隠れさせてもらうよ)
敵の群れ──と言っても10人を割り込んでいたが──の中に飛び込んだ。
エイシスは前の護衛騎士2人の間を走り抜ける。虚を突かれた騎士がそれを見送った。
その左右の男がほぼ同時に昏倒する。
「くそっ。あれを避けんのかよ」
少年の声が追いかけてくる。ちょっと怖い。
「わ、若様っ!?」
護衛騎士の一人が飛び込んできた闖入者に向かって叫んだ。
うわ、ばか。エイシスはとっさに眉をしかめた。
「ああぁ?」
少年は幼さの残る声で、煮えたぎるマグマの恫喝声を出した。
「誰に向かって上から目線で物言ってんだ、テメェはぁっ!?」
鍔ぜり合いをしていた護衛騎士と襲撃者が、示し合わせたわけでもなく一斉にその場から身を退いた。
「オレを若様扱いしていいって、誰の許しを得て言ったあっ!」
「も、申し訳ございません。その、お、お許しくださいっ」
「お前、ベゴニア家だったな。許す許さねえじゃあねーのよ。誰の許しを得てオレの名を呼ばずに、こっちに声をかけたんだって訊いてんの。オレの言葉、わかるよな?」
〝若様〟が、少年の中で〝若僧〟と呼ばれているのと同義。使用人から見くびられていると判断するのだという。
この気性のむずかしさは、祖父譲り父親譲りなんだそうだ。
エイシスはメイド長タントから最初に聞いていたから、この地雷(落雷の後にしばらく地面に溜まる雷精のこと)を踏まずにひと夏を過ごせた。
家庭教師の最短は2時間ともたず、顔面をボコボコにされて屋敷から蹴り出されるのだとか。
「わ、わかります。ですから、若様。申し訳──」
言い終わるのを待たず、木剣が護衛騎士の腹を打ち払った。騎士といえども木剣を腹部に受けてなお立っていられる者は、そういない。
(へえ。夏が終わっても、ずっと修練続けてるんだな)
剣筋を見て、エイシスは命を狙われていても、他人事のように嬉しかった。
「お前、クビ。姉貴のそばに近づくことすら許さねーよ。──アベンシス・バルザミン」
「はっ!」
戦闘中にもかかわらず、護衛騎士は直立不動で少年に正対した。
「撤収させろ。お前たちじゃ姉貴の信用どころか心証まで害しかねない。護衛不適格だ」
「お、御曹司。恐れながら──」
弁明し終わるのを待たず、木刀が鋭く首筋にあてがわれた。なみの12歳の修練ではない。護衛騎士も抗弁する気迫を斬り落とされた。
「わかれよ。お前らはずっと前から姉貴に嫌われてんだよ。気詰まりだってな」
「……っ」五分刈りの男は拳を固めて押し黙った。
「オレも今なら、姉貴の言葉がわかんぜ。だいたいさ。お前ら、なんでこんな場所で、平民相手にケンカしてんの?」
バルザミンと呼ばれた護衛騎士は目を見開き、怯えた目で主人の息子を見る。
「御曹司、これには……っ」
「まさかこの騒ぎで、うちの家名まで出してないよな。出してたら、親父に言うぞ。うちは並みの貴族じゃねーからな。部下に市井でつけ上がった真似されると、家の沽券に関わるらしいからさあっ」
バルザミンは顔面蒼白にして口を噤み、押し黙った。
「お……お、お許しください」
「騎士なら、態度で身の証を立てろ」
突き放すように言い放つと少年は騎士達には見向きもせず、今度は襲撃者に向かい合った。
「ここ仕切ってるリーダー、誰よ」
襲撃者は毒気を抜かれた様子で顔を見合わせた。そのうち一人が仲間の人垣を割って出てきた。
「お前?」
「ああ、そうだ。なんだ、ボウズ。小遣いでもくれるのか?」
軽口を吐き、下卑た笑みを浮かべる巨漢だった。
少年にはニカッと笑った。次の瞬間だった。
リーダーとされた巨漢が地面に倒れた。額が割られ、白目を剥いている。
(夏終わって半年も経ってないのに、何この上達……)
「お前ら、リーダーの選び方は気をつけた方がいいぜ。よし、次のリーダーは?」
訊ねられて、男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「ちっ。歯ごたえのねえヤツらだぜ。──エイシス。立ち会え」
やっぱりこうなるか。エイシスは頭を掻いて腐った。
「まったく。少しは時間稼ぎくらいしていってくれよー」
「エイシス。また逃げるのかよっ」
(面倒くさい……いや、待てよ。これも案外、戦力補充か)
エイシスは軽く両手を広げた。
「わかった。わかりましたよ。でも俺は今、大切な仕事を受けてる。知ってるよね」
「ああ、姉貴の護衛だろ。今、職務放棄してるけどな」
うっさいなあ。くそガキ。
「俺に負けたら、今、この場から俺の言うことを聞くこと。それで、いいよな?」
彼はムッとして睨み付けてくる。
「ちゃんと本気でやるのか?」
「それは稽古を始めた時から言ってたろ。きみ次第だよ──ジューク。俺を本気にさせてくれ。きみが勝った時は、たぶん俺は死んでる。だろ?」
少年は嬉しそうに笑って木剣を構えた。
(はいはい。そんなに俺がお嫌いですか。そうですか)
お互い合図はかけない。少年は殺し合いだと思っている。だから、エイシスも表面上はそれに合わせる。
そして、次の瞬間──、双方の手許が同時に消えた。
──カコーン!
木剣の一陣閃風がエイシスの頬をかすめ、後方の大木に当たって地面に乾いた音をたてた。地面に落ちたのは、木剣の先だった。
そして、少年の喉元には真剣の片刃がつきつけられていた。
「くそぉっ!」
エイシスが剣を引くと、少年は魂の芯から悔しそうに吼えた。
真剣と木剣で戦えば、こうなる。わかっていただろうに。
それに考え到らない時点で、勝負は決まっていた。
(いや……本当にそうだろうか)
真剣と真剣で立ち合っていれば。エイシスは今の仕合を脳裏で見つめる。
「ほら、約束だったろ。次に仕合った時に観念するって。自分自身の始まりを、きみが決めるんだ」
目の前の少年は悔しさに唇を震わせたまま懸命に口を引き結んでいた。
「ぐっ……オレの、負けだ」
「よし。じゃあ、言うことを聞いてもらおうか。男と男の約束だからね」
彼は短くなった木剣をじっと見つめている。腹立ち紛れに地面に叩きつけることはしない。
12歳で、少年は真の敗北を受け入れた。エイシスに負けたのはこれが一度や二度ではない。
なのに今、自分が進む道に上がいることを認めた。たった12歳で、だ。
彼は、ここから強くなることを胆に銘じた。
エイシスは、そんなジューク・レイヴンハートが嫌いじゃない。
「約束……オレに帰れって言うんだろう。どうせ」
「いや、それが、さ。実は、人手不足なんだよね」
「はぁあっ?」
子供のくせに露骨に香ばしい顔するの、やめろよ。
「今日から旅行中は、俺の弟って事で、一緒に来てくれないかな?」
「ええぇっ。なんっだ、それ。完全に罰ゲームじゃんかっ!」
エイシスは思わず噴き出した。
「だから罰ゲームなんだよ。今からきみは……うん、ジョーイ・タチバナと名乗ること。俺のことはエイシス兄さんと呼ぶように」
「あんたが、に、兄さん……悪夢だあ」
ある日突然、空からホイールボードに乗って、弟ができた。
仏頂面にふてくされた生意気が服を着ているようなクソガキだけど、エイシスは不思議と悪い気分ではない。
それに、たぶん彼ならギブリやリゼともすぐに仲良くなって、いつかあの事実に気づかされるだろう。
打ち込んだ木剣の先が地面ではなく、エイシス・タチバナの背後に飛んだことの真意を。
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