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「だいたいのことは、ダイアクロウ家とレイヴンスパーダ家から報告が来ています」  ランチ皿を前にグレイスンが切り出すと、ジュークとエイシスは腰を浮かせた。釈明しようとするふたりをグレイスンは手で押し留める。 「その話は、また今度にしよう。実は時間がない。──アルト様。いただいていたお手紙の通り、ベヒモスロードが航路を変更しました」  アルトはランチ皿のプチトマトを見つめたまま、動かなくなる。 「現在。山脈中央のゼルデンに停泊。このままの進路を取れば、2日後にはサクラメント領中央を抜け、3日後にはクラリティに到達する模様です」 「クラリティっ!? うちの領地じゃん」  ジュークは驚いた顔を、じいやに向け、それから姉に向ける。 「グレイスン卿。それではここへ来る時に襲ってきた魔物はロードからの?」 「はい。その可能性が高うございます。ロードの進路変更に伴う索敵範囲に入ったものと」 「変です。ロードが姿を現していないのに、ガルグイユが進路に先行しているなんて」 「はい」 「私たちが撃滅したことでの、本隊迎撃への影響は」 「さほどには。ただ、近々にも追加到来する斥候バチは数を増すでしょう。遭遇戦は極力避けとうございますが。このままでは我々はロードと他艦からでる大群との挟撃に遭いましょう」  アルトはうなずくと、上着のポケットからB5紙を取り出した。それをグレイスン卿に差し出す。 「これは……フレスヴェルグ山脈ですか?」 「はい。山岳路を書き起こしたものです。幸いゼルデンの集落も描き込んであります」 「これを、どこで?」  セツドウは笑顔をおさめると、斬り込むような眼差しで令嬢を見つめた。 「山岳路は、最新版の『ダリア地理地質実相報告書』の火山性熱帯の調査分布図に、アルフォンソ・モリゾの手記にあったベヒモスの航路統計から抜粋したものを照合してみました」 「モリゾ……あの者が、これほどの物を」  セツドウが眉根をひそめた。  これにはさしものグレイスンも、あ然とした。 「公文書書籍は、下級貴族の馬車2台分でございますよ?」金額の話だ。  呆然と目を見開く面々の中で、アルトは恥ずかしそうにうつむいた。 「どうしてもベヒモスの生態について地質学上の観点からアプローチしてある資料が欲しかったのです」 「確か、アルト様は〝東風かぜ〟の病理研究論文を書いておられませんでしたか」 「はい。ですから、動物や魔物が運んでくる土壌の移動を調べようと……。東風かぜの流行は30年前後の秋の終わり、冬の入口から始まって夏に終わる。それはあたかもベヒモスの到来周期と時を同じくしているのです」 「ちょっと、あんたのお姉ちゃんでしょ。フォローしてあげなさいよ」  リゼが双子の弟を肘でつついてけしかける。ジュークは露骨に顔をしかめた。 「無理に決まってんだろ。っていうか、東風かぜってなんだよ」 「えっ。そんなの知るわけないじゃん」 「真顔で無知を(さら)すなよっ。リアクションに困るわっ」 「疫病の一種だよ」  エイシスが言った。 「身体に黒い斑点が浮かぶことから〝黒まだら病〟とも言われてる。東からの冷たい風が吹く(とき)、つまり秋から冬にかけての雪風に乗ってやってくると昔から言い伝えられてるらしくてね。大都市より下水道が整備されてない中規模の都市や村落に多いらしい。母も薬師だからその脅威は知ってる。ひどい時には、ひと冬で7つも8つも町が全滅するこわい流行病だそうだよ」 「町が、全滅!?」おバカコンビが同時に声をあげた。 「病気は、魔法じゃどうにもならない分野だからね。でも、それがベヒモス襲来と関わりがあるかどうか調べようと思いつく人がいるとはね……。そうか。だからベヒモスが排泄しないことを最初から知っていたのか」 「……はい。でも──」 「うん、そうだね。ベヒモスに乗ってやってくるガルグイユはどうなんだろう。彼らの生態はベヒモスと同じ物どころか、人間や家畜を奪ってる。まず排泄はするだろう」  エイシスの推測に、アルトは密やかに鼻息した。フォークでプチトマトを左右に転がしながら、眉をひそめる。 「はい。(フン)をベヒモスの背中に溜め込んでいるとすれば、そこに病巣が蔓延(はびこ)っている可能性は否定できません」 「確かにね。でもアルトちゃん。俺はそれが全てだとは思わないよ。遠因──いくつかある入口の一つじゃないかと思う」  アルトはハッと顔をあげた。 「どういうことでしょうか」 「ここからは母の受け売りになるけど、東風かぜは人の手を介して口に入って蔓延している節があるからさ。ベヒモスやガルグイユだけの責任じゃないはずだ」  常日頃から手を洗わない。手づかみで物を食べたり飲んだりする。家畜を触った手で家族を抱きしめる。それで病気になっても本人たちは何気ない日常の習慣だ。気づかなかっただけなのに悪魔や魔物にばかり原因を押しつけるのは、人の無知傲慢だ。そうエイシスは言った。  その説明に、アルトは満足げに何度もうなずいた。 「私もそう思います。ベヒモス達が自分たちの航路を外れなかったのは、そういう意味もあると思います。人間界との接触を避ける意味です」 「ところが、それが今崩れた。ベヒモスの方から。おかしいよね」 「そうなのです。なので、私は今回のことに、テロリズムを感じます」 「テロ? 人為的な工作ってこと?」 「はい。大型ベヒモスが出現したタイミングで、統治が安定しているサクラメントと王国の主要交易都市を同時に狙うという、その図々しい悪企みが魔物に考えつけるとは思えません」  アルトが言いきると、グレイスンとセツドウが同時に吹きだした。 「父上?」  エイシスがきょとんとした様子で父親を見る。 「いや、失敬。実に言い得て妙だと思ったのだ。図々しい。うん、ベヒモスロードの航路変更が人の悪意のなせる業なら、確かにサクラメントとクラリティと一石で二鳥を落とせる。まさに図々しい所業だ。どうやら我々は、長く戦線にいすぎて、そんなわかりやすい思考感情も切り捨てていたようだ」  アルトはセツドウを真っ直ぐ見つめた。 「ですので、この山岳路を信じるのであれば、おそらく今、ロードは人を追っています」 「人を?」 「はい。ロードは本来の山をつたわずに、人が成した山岳路の網にそって進んできているはずなのです。つまり道を走る馬か馬車を追走しているのではないでしょうか」 「そして、人がロードの追走を振り切ったと?」 「あの緩慢な前進速度です。難しくはないでしょう。それに、かつてベヒモスが人を追った事実はありません。そして──」  アルトは真摯な眼差しでおとな達を見つめ返した。 「──人が、ロードの怒りに触れたことも一度もないのです。その怒りが暴走に繋がらない今なら、ロードを人の敵にせずにすむ。事は一刻の猶予もないのです」  グレイスンは素早く席を立つと、天幕の外に控えた伝令2名を呼びつけ、二言三言いいつけて走らせた。  セツドウはちっとも食事の進んでいない自分のランチ皿を見つめ、嘆息した。 「エイシス」 「はい」 「帰省に及ばず。そう手紙にも書いた。それでもサクラメントに戻ってくるつもりか」  父の厳しい眼差しを、エイシスは真っ直ぐ見返した。目にありったけの勇気を込めて。 「はい」 「それはおのれの信ずる正義に(もと)る行いではないと言い切れるな」  エイシスは(しか)とうなずいた。 「はい。サクラメントはや父上母上だけの町ではありません、領民やサナたちタチバナ家の存続を思い、死力を尽くして守った英霊の町でもあります。私も同じサクラメントの民としてあの地を守りたいのです」  セツドウは少し目をしばたたいてから、力強くうなずいた。 「ならば、よし。タチバナ家当主として命じる。その身命をなげうち、アルト・レイヴンハート様をお護りし、サクラメントの守護者となれ」 「はっ!」  父子は、やおら自分たちの剣を掲げると鯉口を切り、カチンと金打(なら)した。  アルトは顔を羞恥心で真っ赤にしてうつむいてしまった。  グレイスンも半笑いで眉をひそめるという奇妙な顔をつくる。 「セツドウさん。お頭のいないところで、そんな大仰な誓いを立てないでくれ。縁談の話なら、まだ先だろう」  とたん、ジュークが飲みかけていたミルクを霧吹き状に吹きだした。 「お気になさらず。そういう話ではなく、これは父と子の誓いなのです」 「あの、セツドウ子爵閣下」久しぶりにギブリが口を開いた。「エイシスに帰ってくるなって手紙で書いたのは、その気持ちを試す意図だったんですか?」  セツドウはあっさりうなずいた。 「領民や領邦の危急を知ってなお、見ないフリをして王都で暮らし続けるのも、愚息の生き方。そして座して看過するを良しとせず、苦難に立ち向かおうとするのも、愚息の本心。私は愚息をわが子としてではなく、一人の人間の器を見定めようと試みたのだよ」 「そこまで親の本心を子供に分かれって、厳しすぎじゃないですか?」  リゼが少しムッとして言った。セツドウはその非難も笑顔で応じた。 「それが、領主の器。将の器。というものであると、私は信じている」  領主みずから断言されると、ギブリもリゼも顔を見合わせて押し黙るしかなかった。  エイシスがまったく違う次元世界に身を置いていることを、この時ほど実感しないわけにはいかなかった。 「あのぉ、グレイスン卿……ひとつ。お願いしたいことがあるのです」  アルトがゆっくりとプチトマトをフォークで刺して裂くと、おずおずと言った。 「なんでございましょうか」 「はい、あの……ガルグイユを〝()分け〟させてもらえないでしょうか」
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