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腑分けとは、いわゆる解剖のことだ。
ダリア王国法において、解剖は原則、裁判所判事の法的な許可が必要になる。そこから〝司法解剖〟と位置づけられた。ただし、これは人に限った。
魔物はこの規定の例外にあたるが、魔物に関する解剖研究行為は、防疫の観点から現場指揮官の裁量に委ねられた。
そのため指揮官のほとんどが、討伐した魔物すべての例外なく焼却処分を命じている。魔物にたかるハエや吸血虫によって疫病を蔓延されては困るからだ。
グレイスンはこの時、真剣に悩んだ。
12歳の総裁令嬢の魔物を解剖したいという我儘に辟易しているわけではない。
まだ12年の付き合いだが、〝わが才媛〟の博識をグレイスンは露ほども疑っていない。
しかし解剖する間に、ガルグイユの襲来と本隊・ベヒモスロードの接近は目前にまで迫っている。果たして解剖で得られた情報を吟味する時間まであるかどうかだ。
「アルト様。時間がございません」
「はい。承知しています。解剖テーマはガルグイユの生殖です」
「生殖って要するに、その、子作りよね?」
「お、オレに振るなよ……っ」
リゼの視線に、ジュークがおののいた。
「アルト様。事ここに至り、ガルグイユがどうやって増えたかは必要な情報でしょうか」
「そうではありません。グレイスン卿。どうやって生殖を行っているか、です」
「ベヒモスの背中で」
「そうです。山岳地帯をほぼ留まらずに移動を続ける不思議な魔物ベヒモス。その最も高い位置にあって、低い気温と薄い空気の中で、無毛の翼衆がどうやって10万の家畜を奪い去るに至れるほどの数になり得たのか」
「それは確かに、それがしも興味はありますね」
「セツドウさん」
立場上、グレイスンも前線参謀を横目でたしなめる。
「ジムさん。こうして待つだけでも時間は過ぎております。各々ができる限りのことをしようではありませんか。アルト様にも情報収集に一役買って出ていただけるわけですし」
セツドウは国王にも媚びないことで有名な貴族だ。家名の忠義はレイヴンハート公爵家にのみ尽くすと公言してはばからない。そんな異邦の武辺者が、ただアルトの知恵の冴えを知っており、少女のヒラメキで何が起こるか楽しみにするところがある。
もともと言い出したら聞かない人々だ。グレイスンは一応、折れた。
「わかりました。医務官を一人監視に付けさせていただきます」
「結構です。こちらからは助手に、ジョーイ・タチバナとプールジュで雇った戦場絵師の2名をつけます。
司令部にはご配慮いただいた見返りとして、彼女に描かせた解剖図を提出の上、報告にあがります」
「承知しました。──セツドウさん。手配をよろしく」
「心得ました」
そこへ、情報本部長のガーベラ少佐が足音もなくやって来た。
「ジムさんっ」
「言ってくれ。ここでの秘密伝達はもはや無意味だ」
「了解。2時間前。不審な大型馬車が2台。ゲルマニアからサクラメントに入って、クラリティへ向かったそうです」
「大型馬車? 型式は」
「石炭用の輸送トレーラー。中身は不明。相当重い物を運んだキャリアがある8輪8頭立て。今、〝鵺〟を飛ばして行方を追わせています」
「エイシスと、か──今、きみらの名前はなんだったかな」
「ギブリっす」
「リゼっす」
「うん。諸君はロークワゴン学院長のクラリティ執政長官への協力書簡を持ってきているな。それを持って、3名はこれよりギブリ中佐の赤鬼隊の指揮下に入れ。今からクラリティに飛んでもらう」
「了解ッ」
「なあ、じい。そのトレーラーがフツーに石炭を積んでただけだとしたら?」
ジュークが訊ねた。エイシスがニコリと微笑んだ。グレイスンも穏やかにうなずく。
「王国ダリアは、常日頃からゲルマニアから石炭を買っておりますが、ゲルマニアが陸路を使ってクラリティ港から石炭輸出を認める契約はしておりません」
「えっ、そうなのか……ちっ、なんだよ。エイシスもそれ知ってたのかよ」
負け惜しみを込めて八つ当たり気味に、偽兄を見る。
「一応、領主の跡取りだからね。学校でその通商分野の授業を取ってるよ。つまんないけど」
「学校か……ぬぅ」
「石炭……」弟のとなりでアルトが呟いた。「グレイスン卿」
「はい」
「ここ30年で、ベヒモスロードの頭数は増えましたか」
「頭数でございますか? セツドウさん、把握しているか」
「私の記憶では、5、6頭だったかと。本作戦の群れとは違いますが」
「30年で、たった5、6頭かよ」ジュークが拍子抜けした顔をした。
「っ!? アルト様」
グレイスンの軽く驚いた眼差しで見つめてくる。
令嬢は神妙な眼差しでうなずいた。
「このタイミングでロードみずからその法則に外れる。それだけの何かが起きてサクラメント領の中央を通過する航路を取ってきた。気まぐれにしては〝人間くさい〟のです」
さっき誰かが言ったのとまったく同じ言葉をアルトも説いたので、セツドウはチラリと本人を見た。
「留意しておきます。──それでは、各員の奮闘に期待するっ」
「はっ!」
少年少女5人は一斉に立ち上がって、敬礼した。
§ § §
ガルグイユの献体は、心臓をひと突きにされた比較的きれいなものが選ばれた。
アルトは槍収納用の長い木箱に乗り、メスをよどみなく振るった。
頭部を切開して脳を摘出し、重さを量り、頬骨から上顎に向けてメスを走らせて、切開。メリメリと皮膚を開いて、筋肉を露出。骨にそって筋繊維を切り剥がしたとき、アルトの手が止まった。
「アルト様、これは……っ」
監視役の女性医務官が言葉をつまらせた。
「唾液腺が、4つ。──ジューク、のこぎり」
「……っ」
無言で姉に小さな糸鋸を手渡すと、鋸刃がガルグイユの前牙にあてがわれた。
ごっ、ごっ、ごっ。
ゆっくりと切断し、医務官のかざすランタンで刃の断面に目を眇めた。断面のくず粉をマスクの下からそっと吹き飛ばす。
「ふっ……管牙です。砂漠ヘビに多いタイプですね」
「ガルグイユが有毒種との報告はございませんが」
医務官の指摘に、アルトは顔を振った。
「かつて10万頭以上の家畜を連れ去るのに、毒を用いず連れ去ることが可能でしょうか。こんなこわい顔をした魔物が空からやって来たら馬も牛も犬も猫も暴れますでしょ?」
「それは……確かに」
「おそらく、この唾液腺から出る唾液には神経毒が含まれているか、他の唾液と混ぜることで弱い毒を生成し、相手を一時的に麻痺状態にさせていたのかも知れません」
「な、なるほど」
「ベルサさん、絵は」
「描き終わりました。5枚です」
メスを持ったまま、ベルサの解剖図をチェックする。皮膚をめくったところからの筋繊維。筋肉を取り除いた後の耳下腺・舌下腺・顎下腺と鼻下腺の描写をチェックする。
「良い仕事です。よく描けてます」
「ありがとうございます」
5歳以上も年下なのに、褒められてベルサは嬉しそうに破顔した。
「次に、各唾液腺から唾液タンパク質の採取を始めます」
「はい」
その後も、アルトのメスは止まらず、胸部や腹部を開いていく。弟のほうが臓腑の取り出しあたりから血の気が引いている。
ベルサもまた、彼女に負けまいと一心不乱にコンテを走らせた。
それから十数分したとき、再びアルトのメスが止まった。
「これ──これが肝臓っ?」
張りつめた沈黙にジュークとベルサが、小さな執刀者を見る。
アルトはとっさにためらったが、果敢にメスを突き入れた。赤黒い返り血が手術着を汚す。
「すみません、持ち上がりません。手伝って!」
やがて魔物の体内から医務官と二人がかりで取り出したのは、人の頭ほどもある赤い肉塊だった。
「……重さはっ」
「さ、3.6㎏っ。アルト様。これはやはり魔物ということでしょうか」
医務官が青ざめた顔色で、アルトを見返してくる。
「現時点で、それ以外に言葉が見つかりません。……ううん。ダメ。説明できなければダメよ。この根拠がどこかにあるはず。人の肝臓の重さは1㎏から1.5㎏。人体の50分の1。このガルグイユだと……」
「数値上での計算だと、体比15分の1です。飛行生物として明らかに肝肥大を起こしています」
「姉貴。どうかしたのかよ」
ジュークは声をかけたが、アルトは応じなかった。黙々とメスを走らせて、他の臓腑も摘出。医務官に記録させていく。
それからしばらくしてアルトはまたメスを止めた。
「これだわ」
「これって、何が」ジュークがおそるおそる訊ねる。
「赤ちゃんを産む器官──子宮がない。その代わり、ランカンがあった」
「らんかん? らん……卵?」
「そう。ガルグイユは人の外形を持ちながら、内臓器官は鳥なんだよ。でも人と同じ垂直構造だから、内臓に圧迫されて慢性的に卵殻の弱いものしか産めない可能性がある。
もしかすると、強い卵殻で子供を産むために雌は過度に滋養をつけているのかもしれない……でもこの滋養はどこから得ているのかしら」
「あのさ、姉貴。ハーピーって魔物いるよな。あれも卵だろ?」
ジュークは持てる知識で、姉の思考を補強しようと試みた。
「うん。でもハーピーは鳥に分類されてる。翼が人でいう腕にあるでしょ。あれは骨格として鳥と同じなの。だから鳥と同じように体型は前傾姿勢になるから、内臓が卵管を圧迫する負担が少ない体勢なの」
ところが、ガルグイユの翼は背中にあり、空中浮遊する状態になるさいに内臓の重みで垂直に卵管を圧し潰す体勢をとることになる。だから流産や死産が多くなる可能性が高い。
「──そして、何よりの違いは、ハーピーには羽毛がある。もしかするとガルグイユはほかの魔鳥達から淘汰されたのかも」
ぶつぶつ言いながら、アルトは弟から曲針を受け取ると、献体の切開口を縫っていく。
医務官が不思議そうにそれを見つめた。
「あの、アルト様。先ほどから何をなさっておいでですか?」
「魔物といえども貴重な情報をいただいたのですから、献体には敬意を払わなければなりません。きれいな身体に戻して逝ってもらいたいですから」
問いに答えつつも、アルトは針を進める持針器をとめない。
「そういや、姉貴。そんな技術どこで覚えてきたんだよ」
「お母様の書斎。実践は鶏の胸肉でやったわ。2000羽ほど切って縫ってしてたら、最近慣れてきちゃった」
「ぬいぐるみとかで、やらなかったのかよ」
「人体は、布や綿のようにできてないでしょ?」
「いやそりゃあ、そうだけどもさ……ごっこ遊びどころか、独学ってレベルじゃねえだろ」
「きみが高位魔法をあっちこっちでぶっ放してる間に、私はわたしにできることをしただけだよ」
「はっ。あのさ。オレがいつ高位魔法をあっちこっちでぶっ放してるって?」
「あら、してないの?」
「しねーよ。今、【竜】属性の研究課題を祖父ちゃんから出されて、やらされてる」
「へえ。いいじゃない。どんなの?」
「教えませーん。姉貴に解かれたら、あとで祖父ちゃんからそれ以上の手に負えない追題出される。そうなったら、オレが苦しいだけじゃんか」
「ふふふっ。賢いなあ。ジュークは」
「それ褒めてねーから。全然……ッ!?」
その時だった。
ジュークはとっさに上を見あげた。そのまま使用済みのメスを掴むや、見据えた先に投げた。
突然、天幕が引き裂かれて隙間から魔物が顔を出すのと、その顔面にメスが刺さるのは、同時だった。
「敵襲ーっ!」
ジュークが大音声で叫び、姉の身体を横から押し倒した。
医務官が解剖台の下に隠れた直後、新たな魔物が落下してきて、縫合したばかりの仲間の死体を持ち去った。さらにそれと入れ替わるようにして2体のガングイユが台に降り立ち、ゴボゴボゴボと威嚇音を発した。
その先には、ベルサがスケッチブックを抱きかかえて立ち尽くしていた。
「ベルサさん、危ないっ!」
「姉貴っ、だめだっ!」
ジュークは飛び出す姉の手を掴もうとした。
その手に指が、触れた──。気がした。
目の前で、華奢な背中が消えた。
ジュークはとっさに上を見あげた。小さな靴が夜の奥に連れ込まれる。
「てぇええ、めぇええええっ!」
両眼に〝竜〟を宿し、ジュークは上に跳んだ。天幕に四肢をかけてさらに跳躍する。
星のない夜空へ姉の気配が引き離されていくのがわかる。
双子だから、分かる。
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