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「くそっ、くそっ。くそったれがぁああああっ!」  天幕を飛び降りるや、野営地を一気に飛び出した。  するとそのすぐ横を誰かが併走してきた。 「ちゃんとついてこいよ。クソガキ」  赤髪の長身が闇夜をものともせず前を走りだす。 「アテンザっ!?」  ジュークは足に〝移風道動(レビテーション)〟をかけて背中を追った。それでも背後につくのがやっとだ。魔法詠唱なしで伝令用の駿馬を追い抜くという噂は本当らしい。 「なあ、御曹司。物をかついでずっと飛び続けるなんざ。魔物にだってなかなかいるもんじゃあねえよな」 「っ!?」  わずかな光明でも、掴めば頭が冷える。ジュークは父親譲りの獰猛な笑みを浮かべた。 「ああっ、そうだなっ!」 「なら、ここからはおれ達とヤツらの根比べだ。向こうがお嬢さんを降ろすのが先か、おれ達がへばるのが先かだ」 「上等だっ。姉貴は絶対に渡さねえ!」  アテンザが速度を緩めてとなりを走り出した。余裕綽々めいた苦笑がムカついた。 「お前って、本当にブレないのな」 「あん、何の話だよっ」ぶっきらぼうに応じた。 「どこまでシスコンこじらせるんだっつってんだよ」 「今のオレにゃあ、それは褒め言葉だ。オレは姉貴のためなら、ベヒモスでも殴り倒してやんぜ」 「はんっ。姉ちゃん子も極めりゃ山をも砕けんのかねえ。面白そうだから見てていいか?」 「おう。見とけ! けど、仕事はしろよ。居眠り剣士」 「へいへいっと。前方、45度。おれの合図で〝照明炎光(ライトフレア)〟用意──、3,2,1発射!」  ジュークは右手に赤い光の球を掴むと、地面に踏んばって前へ投げ放った。  火球は放物線を描いてみるみる夜空に小さくなった。  数秒後、カッと赤い発光が周囲の闇を払いのけた。  その光の中に、5つの翼影。そのうち2つの影が足に何かを掴んでいた。 「いたっ。あのやろ──」  吼えるより先に横から胸倉をひっつかまれると、もう一方の手で両足も掴まれて担ぎ上げられた。 「お、おいっ、アテンザっ!?」 「そーら。お前の姉ちゃん奪り還してこーい。シスコンバリスタ発射ーっ!」  投げた。  ちなみにバリスタとは、てこの原理を応用した巨大なボウガンのことで、城塞の壁をひと息に貫く攻城兵器のことだ。  なので、恐ろしく初速が(はや)い。 「んぎひぃいいいいっ!?」  前髪がすべて後ろに引っぱられ、口端から悲鳴とよだれがこぼれた。ジュークは見えない巨人の手に顔を()さえつけられながら空を貫く。  それから心臓の鼓動5つで、ガルグイユの背後に迫った。 「オレの姉貴をかえしやがれっ。このつるっぱげぇええっ!」  ガルグイユがただならぬ殺気に振り返り、重心を傾け、翼を張って上昇気流に乗る。 「遅せぇっ。──〝月鎌突風(サイズブラスト)〟!」  呼称詠唱でやや小ぶりの三日月が闇夜にほとばしった。ガルグイユの両脚が音もなく切断。上昇する身体に反し、掴んでいた足が荷物といっしょに落下した。  ジュークはすぐさま〝移風道動〟を正面展開。両足で空気の壁に着地して、今度は地表に向かって飛んだ。  地上すれすれでひんやりした身体を両腕に抱きしめ、着地する。 「姉貴っ。大丈夫か。姉貴っ……あねき?」  地上に着地するなり、少年の腕の中でゴロンと無毛怪物の解剖死体が寝返りを打った。 「ぎゃあ!」  ジュークは戦果を放り捨てて、尻餅をつくとそこからバタバタと後退りした。 「うへー。夜に会いたくねえ顔だなあ。便所に行けなくなりそ。ていうか、身体の大きさでお嬢さんか魔物か分かんだろうが」  いつの間にか追いついてきた赤髪の剣士がガルグイユの献体を見て、のんびり言った。 「しっかし、お前があれだけ大騒ぎしてて、お嬢さんの返事が一度もなかったんだ。こりゃあ気を失ってるのかもな。一度撤収すっぞ」 「嫌だ。オレはこのまま姉貴を──」  アテンザは御曹司の首根っこをひっつかんで、もう一方の腕をあご下に巻き付けた。 「ふぐぐぐっ。はなぜ……オレは行ぐ、んだっ」 「シスコンの一念で確率2分の1の勝負でもハズレを引いたんだ。このまま追ってもツキが回ってこねぇよ。次の機会を待て。どうせ、もうすぐ朝だ。ヤツらの活動時間は夜だけ。巣はヤツらが寝てても向こうから近づいてくる」 「い・や・だぁ。オレは、姉費を──」 「ったく。親子していいガッツしてるねえ。だが子供は大人の言うことを聞くもん、だ」  アテンザが軽く腕をしめると、少年はガクリと気を失った。   §  §  §  気がつくと、アルトは草むらの中に倒れていた。 「ここは一体、どこでしょう?」  のんびりと自分の身に起きたことを思い返しながら起きあがり、周りを見回す。  雑木林。そう言い切るのはたやすいが、植物の種類が東方から南方から多種多様すぎてわけがわからない。風は冷たいが地表は温かい。  そこへ1頭の蝶がひらひらとたゆたってアルトの肩にとまった。  小さな羽だが、外縁は黒。そこからさらに外へのびる縁毛は白。遠目には白で縁取りされたように見える。冴え冴えとした蒼色の鱗粉をたたえた青い蝶だった。 「お前……フェンガリス・アリオン?」  もうダリアやゲルマニアには生存していないとされる稀少蝶だ。  この蝶の興味深いところは、卵から孵ると途中まで草を食べて育つのだが、幼虫期終期に入るとアリの巣に下宿。アリの幼虫を食べて成長し、羽化する頃に巣を出ていくという。成長過程で草食から肉食へ食性が変わるという珍しい蝶だ。  実際のところは、食性の転換期に地上へ降りてしまうため、アリにエサと間違われて巣に運び込まれ、そこで誘拐犯の幼虫を食べて成長する環境順応性を持ったとも言える。 「私はこの森の物を食べて、たくましく生き抜く自信なんてないよ……」  途中まで弟の声が追ってきていた気がするけれど、情けなくも気を失ってしまった。 (せっかく空を飛ぶ経験もできたのに……)  初めて魔物の腑分けをして緊張の糸が切れたのだろう。最後にかっこよくベルサを突き飛ばして身を挺したつもりだった。今にして思えば、むしろ(ドン)くさいエサと見なされてあっさり捕まった気がする。なんとも不甲斐なさを覚えるアルトだった。  ガサ、ガサ……っ。  茂みの奥から草を踏み分けてくる音がして、アルトはとっさに身を隠す場所を探し、近場にあった低木の茂みに隠れた。その直後だった。 「──ッ!?」  腰に鋭い力で何かが巻きついたかと思うと、あっという間に地面が遠ざかる。 「ほぉ、ほぉ。まさか、この狭い森で自分から罠に飛び込んでいく人間がいるとはねえ」  茂みの向こうから現れたのは、瓜実顔の丸眼鏡の男。人畜無害そうなのんびりした顔は、垢と日焼けで真っ黒だった。手には大振りのナイフ。 「えっと……どちらさまですか?」 「僕かい? 僕はモリゾという者だ。アルフォンソ・モリゾ。昔、公国の大学で生物学を教えていた者さ」
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