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交易都市クラリティ。執政長官執務室。
窓ぎわで、ずんぐりした巨漢が海の方を眺めていた。
まだ東の空は払暁を迎えておらず、辺りは闇は濃い。
「てっきり姪っ子に会えるて楽しみにしとったのになあ。夜中に捕り物の手伝いやなんてツイとらんで。ほんま」
執政長官リュート・ロウは、来客を見ずにぼやく。
デスクには、ロークワゴン学院長の書簡が置かれていた。
筆跡と封蝋は確認した。封は切っていない。どうせ中は白紙だ。文字にしなくともわかる。読みたくもない。
「大事な情報を掴むチャンスだ。後の手引きは頼むぜ」
「ふんっ。ガサ入れは〝千鬼隊〟なんやろ。まともにしゃべるモンなんか残りますかいな」
「そん時はそん時だ。やり用はある。たとえば……買い手とかな」
リュートは海を眺めながら、ささやかなため息をついた。
「今朝の一番に、東方から交易船が入ってくる予定や。荷揚げ予定品目はいつもどおり食料品や香辛料。綿塊や生糸などの雑貨。荷積み予定品目も、いつも通り……やけど一点だけ、石炭が混じっとったわ」
「量は」
「きっちり大型馬車2台分」
「アレの行き先は東方か。割と真っ当に横紙を破ってきたな」
リュートはこのささいな事態を噛みしめるように沈黙してから、言った。
「東方が西から石炭を買うた事は一度もない。向こうは向こうで自給できとる。輸入するんにしても馬車2台では少なすぎる。せやけどこの量は、荷の揚げ積みを毎日しとるモンにしてみたら、指摘されて初めて気づく異物感や」
「船籍は」
「清明帝国。識別ヘッドは龍07」
「龍07? 皇帝直属の交易船か」
「うん。いつもの買い付けた高級調度品や宝石、酒。稀少薬種ばかり。警備も厳重になる予定や。誰も怪しむ余地がないで」
「ふーん。皇帝御みずから、わざわざ西の石炭をお買い上げ、か」」
「その帝はんは御年78。そろそろ、いう話も聞こえてきとる」
「はっ。アレが薬と言い張る度胸はさすがになかったわけか」
「現物は見たことあるんか?」
「いんや。だが、嫁の実家の伝承でベヒモスの伝説は聞いたことがある」
「伝説て。おとぎ話やろ」
「ベヒモスのアレは、〝浮気殺し〟って異名がある」
「浮気殺し? なんやそれ」
「アレを食った女房が三日三晩興奮して、亭主をぶっ倒したあとに、間男さえ寝かさないんだとさ」
「あほらしっ。聞いて損したわ」リュートは顔をしかめた。
「だがそれのおかげで、ロークが研究進んだって喜んでたぜ?」
「はんっ。そやから、あの学校はアルトちゃんに悪影響や言うたやん。……そしたらヤツら、明清帝国に恩を売ってこっそり支援を受けよういう魂胆か」
「まあ、そう考える方が気楽だな」
「フリード兄の見方は、ちゃうんか?」
カランと掲げたグラスに入った氷が鳴った。
「どう足掻いても後がねえ爺さんを発奮させようって薬に、馬車2台分もいるかって話だろ」
リュートはようやく窓から振り返った。普段はえびす顔と言われる細い目が、鋭く見開かれている。
「……ベヒモスを東へ反転させる?」
「正解だ」
フリードは鋭い眼差しで底知れない闇の隅を見つめる。
「ヤツらは帝国と手を結ぼうとしてるんじゃねえ。帝国を打倒しようとしてる反政府連中と共闘するためにアレを皇帝の船に乗せようとしてんだ。この町を踏み潰させた後にな。そうすれば証拠隠滅にもなり、明清帝国に罪もかぶってもらえるる。一石二鳥だ」
「は~。無常や。まさか側近の中に、傾国の奸臣がまざっとるとはな」
「どこの世界でも国がある以上、人の悪事なんてものはだいたい相場は決まってるのさ」
フリード・レイヴンスパーダは琥珀色の蒸留酒をひと息に飲み干した。
「その魂胆、きっちり潰すけどな」
§ § §
交易都市クラリティ。第27番埠頭倉庫。
未明。
赤煉瓦の倉庫街の一角で、フードをかぶった男たちが松明を掲げて出入り口を固めている。彼らは黒いフードと白いチュニク。そして赤いまだらの腰ひもをつけた薄気味悪い修道士たちであった。
「おい、頼むっ。運ぶモンは運んだぞ。いい加減、家に帰してくれよっ」
「あの気色悪い積み荷を下ろせば、契約は終わりのはずだろっ」
「下ろしてはならぬ」
雇い主とみられる修道士は言った。それが6人。
「おい、ふざけるな。契約はクラリティまでのはずだろうがっ。さっさと金をよこしやがれ!」
いきり立つ荒くれ者たちの剣幕を、修道士は沈黙で答える。かわりにチュニクの袖からパンパンに膨らんだ革袋が取り出される。
輸送を手伝った男たちの目が物欲しそうにその袋に集まった。
「欲しければ、受け取るがよい」
金袋が自分の足下へ落とされた。
「くそ……っ」
頼まれた仕事をしただけなのに、この見下してくる態度は何なんだ。だがコイツらとは朝になれば完全に手が切れる。そう思い、不快ながらも男がその金袋を拾おうと腰を屈めた。その時だった。
「われらの崇高なる偉業に、俗を持ち込む痴れ者が」
雇い主が汚れたナイフを振りあげた。あっと思った時には身体が動かなかった。
しかし、そのナイフが男に振り下ろされることはなかった。
雇い主の喉笛を矢が貫いていた。弓勢が強すぎて被害者すらそのことに気づかず、怪訝な表情で立ち往生していた。
それを皮切りにして倉庫の入口や天窓から次々に矢が飛び込んできた。
修道士たちが的確に射抜かれ、外から風塵のごとく兵士が飛び込んできた。奇襲に虚を突かれて修道士たちは剣で喉笛を貫かれ、誰ひとりとして悲鳴をあげる暇さえなく討ち倒された。
終わってみれば修道士18人に対して、突入隊は30人。
蛇の次に鬼が来た。
男は革袋を両手に抱えたまま地を這うように仲間の元へ後ずさった。
「1班と2班は残敵を索敵しろ。3班は馬車の荷の確保を急げ。4班はワシと来い」
がっちりした体躯の小男が周りに指示を飛ばしつつ、男たちのもとへ歩み寄ってくる。
「お前たちが、あの荷をここまで運んだ人足か」
「へ、へいっ」
「われわれは王国ダリア国立枢機院第3竜騎兵団。本作戦の現場指揮官グラハム・ギブリ中佐だ。この中でカシラは」
「へい。あっしです」金袋を抱えたまま男が前に出た。
ギブリ中佐はうなずくと、手を差し出す。人足頭は察しよく、しかし不承不承その手に革袋をのせた。すると袋の縛り紐がほどかれ、中身も検めずに逆さにひっくり返された。
中からこぼれ出たのは金貨や銀貨ではなく、折れ釘や錆びた鉄くずだった。
「そっ、そんな……っ」
「コイツらはこういうペテン集団でな。命があっただけ儲けものだったぞ」
慰めにもならない討伐隊長の言葉に、人足達は肩を落として表情を曇らせた。
「隊長っ。ありました。数12。すべて生体反応ありっ」
「隊長っ。こちらも数15。すべて生体反応ありっ」
「全部で27……。またお嬢の推測が的中か。やれやれ」
ギブリ中佐は、どこに呆れたのか嘆息をもらした。
「あの、旦那。ありゃあ、いったい……」
人足頭はおずおずと訊いた。ギブリ中佐は強面を左右に振った。
「知らない方がいい。ゲルマニアに家族がいるんだろう。だがその知らないままで今日一日、お前たちに頼みたいことがある。」
「ひょっとして、アレを運べってんですかい?」
「そうだ。北東の都市サクラメントまで頼みたい。帰り道だろう?」
人足頭は難しい顔を振った。
「確かに旦那の言う通りだ。あっしらはもうこんな気味の悪いことに首を突っこみたくないんでさあ。堪忍してもらえませんか」
「いや、そこを曲げて頼む」
人足たちは押し黙ったまま無言の拒絶を続ける。
「ギブリ中佐。よろしいでしょうか」
隊長の背後にいた下士官にしては若い兵士が、前に進み出た。
「うん。なんだ」
若い兵士は鎧の脇から、革袋を取りだした。
「中身はすべてダリア銀貨で230ロットあることを確認しております。フリード閣下より、好きに使えと申しつかっておりました」
「エイシス……。そうか。わかった」
ギブリ中佐はその革袋を受け取ると、人足頭の手に押しつけた。
「国立枢機院からの正式な依頼として受けてくれ。一刻の猶予もないのだ」
「あ、あの……」
ギブリ中佐は眼力で人足頭を圧倒する。
「お前たちが運んできた荷の、〝親〟がもうすぐやってくる。アレを親元に返したいのだ」
人足たちの顔から一斉に血の気が引いていった。
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