1/1
前へ
/50ページ
次へ

「ったくよ……多すぎだろっ」  ジュークは東の空を眺めて、ツッコミを入れた。  空に耳すませば、海波が砂をかく音に似ていた。  灰色の翼膜が黄昏の空に黒い渦をつくって、うねる。  群れは山颪(やまおろし)に乗って迫ってくる。まっすぐには飛ばない。しかし目指すべき在処(ありか)は知っている。脇見などしない。  その打ち寄せる黒い津波は、邪悪な毒杯からこぼれた(まが)()となってサクラメントの空にぶちまけられようとしていた。  すべては、地表に置かれたベヒモスの卵へ。 「なあ、じい。あれをなんとかしたら、オレは姉貴救出に出かけていっていいよな」  固唾を呑み、気負った表情で身構える兵士たちの後ろで、ジュークは総司令官グレイスン少将に尋ねた。 「ええ。認めましょう。あれほどの大群を無効化した後であれば、われわれも他にすることもなくなりましょうから」 「ベヒモスロードの進路は」 「変更なし。この町の中央。まさにこの大通り。そこの卵を目指しております。ヘタにこちらで誘導して進路を変えては、かえって被害が大きくなりましょう」 「だな」 「若。何か策はおありですか」 「網猟」即答した。 「ほう、そんな魔法がありますか」 「一番密集してる群れの中に〝地縄地縛(マッドラッサー)〟の改造版〝天網開界〟(フールセルアレスト)をかける。その状態で空から地面に落として、網の上から千鬼隊500人で槍仕事。それをじいがいいと言うまで繰り返す」 「なるほど。力策でございますな」  無策顔をするじいやに、ジュークはちょっとムキになった視線を推し上げて、 「こっちは早くカタをつけて、山から滑空侵入したいからな」 「さすが、若。アルト様の救援作戦もすでに策定済みですか」 「お、おうっ。姉貴の安否が最優先だからな」  ついポロリと出た本音をとりつくろう。 「それでは、僭越(せんえつ)ながら、わたくしの策を聞いていただけますか」 「えっ、うん」 「その〝天網開界〟という魔法を卵の周囲に小屋くらいの大きさにかけます」 「っ……そうか。ガルグイユ全部の注意を卵に集めさせるのか」 「ご明察です。そのために卵を高層建築がたち並ぶ中央広場に設置いたしました。射撃はその上層階から空に向かって射かけます。若の魔法頼みとなり、なんとも不甲斐ないのですが、よろしくお願いします」 「うん……わかった。さすが、じいだな」  グレイスンは少しだけ意外そうに微笑んだ。 「若。わたくしはケチなのですよ。味方の損害に払う慰労金を惜しんでいるだけなのです」 「そのかわり、矢の代金は大盤振る舞いだよな」 「はい。ガルグイユも我らの饗応にどこまで足腰が立っていられるか、楽しみですよ」 「ちなみに、なんだけどさ」 「はい」 「中央広場周辺の建物って、ベヒモスロードも通るんだよな。壊れた損害は誰持ちなわけ?」 「無論、王国議会でございます」  総司令官はあっさりと言ってのけたので、幕僚が盛大に爆笑した。  手加減無用。思いきりやってヨシ、と太鼓判を押したのである。  ジュークは議会のうるさ方を説き伏せなければならない父親の苦労を笑った。   §  §  § 「諸君。われらの敵はベヒモスにあらず、ガルグイユにありっ。ヤツらの目標は地上にあるベヒモスの卵であるっ。しかしっ、地上は我々の縄張りであるっ。この地上で生き残るのは豚の背に乗る灰色コウモリどもではないっ、我々であるっ。それをこの一戦で、ヤツらに嫌と思い知らせてやれっ。勇敢なる諸君の健闘を祈るっ!」  うおおおおおっ!  総司令官ジムニー・グレイスンの訓示の後、王国軍は各持ち場へと散っていった。  町の中央広場に、オレンジ色に光って脈打つ黒い岩卵を入れた木箱が5つ置かれた。  その真ん中に少年がひとり座り、木箱とともに黄色の魔法陣の中で檻を編む。 「ヤバい。何か緊張してきた。ねえ、トイレ行ってきていい?」  檻の外でリゼが槍を手に呑気なことを言う。 「漏らせ。どうせこの辺り一帯は血なまぐさくなる。ひとりふたりが漏らしたところで、ヤツらの臓物の臭いでわからなくなるだろうぜ」  ギブリが張りつめた声で軽口を叩いた。 「ったくもう。相変わらずデリカシーなさすぎっ」 「ふんっ、お嬢を気取るんなら、王都に帰ってからにしろ」 「お嬢さん、今ごろベヒモスロードの上で何やってんだろう」 「この辺では、まず手に入らない南国の果実を堪能されておいでだそうだ」  そう言ったのは、意外にも司令官のグレイスンだった。アルトから贈られた青白く光るウルフバート鋼のグレイブを小脇にたばさんでいる。 「ははっ。マジですかっ。いいなあ」 「あと、ワームラットというネズミの肉も食べさせてもらったそうだ」 「うえっ、ネズミの肉……あれ? 食べさせて、もらったって言いました?」 「おっと。口が滑ったな。これは機密情報だった。……さあ、来るぞ」  ゴボゴボッ。ゴボゴボ……ッ  サクラメント市内上空は、たちまち灰色のコウモリどもに支配された。  対して、中央広場を囲む高層建築物が外周からの入口を限定し、横からの侵入に対しては有用な壁となった。 「〝照明炎光(ライトフレア)〟発射っ!」 「〝照明炎光〟打ち方、始め!」  上空の灰色悪魔に向けて赤い閃光がいくつも放たれた。  ガルグイユは強烈な光に地表へ逃げるか、回避が間に合わずに地表へ落ちていく。  卵の周辺を取り囲む12棟の高層アパートメントには、地上5階と6階あわせて153戸。計311の窓にボウガン兵を配備。さらに周辺で同階層を持つ建物18拠点にも同様のボウガン部隊を配備した。  1窓ごとには、3~9名の射手と、短槍兵4~6名を配備。ボウガンは三段撃ちによって上空の魔物へ絶え間なく箭が浴びせかけらることになっていた。  赤い照明弾を皮切りに、ボウガンによる()が、一斉に逆さ雨となって放たれた。  半拍をおいて空をうねる灰色の蛇から表皮が剥がれるように落下。次々と地表へ叩きつけられた。  中には(さと)いのがいて、窓ぎわに張りついてくる。しかし室内の槍兵によってたちどころに突き落とされていった。  それでもなお上空を埋め尽くす飢餓が、濃さを増す。彼らは食欲という単純明快な欲望のために、逃亡という理性を捨てた。  わが物顔でナワバリを主張する不快な鯨波(げいは)が、空をのたうつ。  ゴボゴボゴボゴボゴボゴボ……っ!  ガルグイユは厚い皮膚にものを言わせ、箭の雨を浴びても強引に侵入降下した。卵に取り付こうと推し通る。  そんな蛮勇は、地上の刀槍隊200名が片付けた。  中でも総司令官ジムニー・グレイスンの武威は凄まじかった。  ウルフバート鋼の青白い斬月が舞うごとに、ガルグイユに地表を踏ませることなく骸の山を築いていく。  生きた伝説の豪撃を間近で見た兵士たちは、魂から勇気を奮わせずにはいられなかった。  そのことは、まだ12歳の総裁の嫡子も同じだった。  組んだ両足の上に両手を組み、印を保持する。 (帰ったら、じいが焼いてくれたオムレツが食いてぇ……)  そんな匂いがするのだ。周りの卵から。見た目は溶岩のクセに。  そして、このサクラメント拠点防衛戦は、なんと4時間にも及んだ。   §  §  § 「ジューク。ジューク……っ」  頬を優しく叩くと、偽弟がうっすら目を開けた。そばにエイシスの顔があるとわかると、忙しげに目玉を動かして周りを確認する。 「オレ……もたなかったのか?」 「戦況が落ち着いてすぐ、グレイスン卿が声かけたら、途端に気を失ったんだ。みんな感心してたよ。4時間も魔法を維持できるとは思ってなかったって。さすが総裁の嫡男だってさ。俺も驚いたよ。ご苦労さま」 「へへ……そっか。じゃあ、オレ達はもうお役ごめんだな」  悪ガキらしく、照れ隠しで尊大な笑みを作る。エイシスも目を細めた。 「そうみたいだね。グレイスン卿は後片付けと対ベヒモスロードの退避フェーズに入ってる。俺たちはこれからアルトちゃんを迎えに行こうと思う」  ジュークはひとつ頷くと上体を起こし、立ち上がる。思っていた以上に消耗していたらしく、すぐ膝が砕けて地面を両手で支えた。大きく息を吐く。  エイシスは、彼の前に背中を向けて屈みこんだ。 「ちょっ。エイシス。いいって。恥ずかしい真似すんなよ……っ」 「本当に恥ずかしいんだから、早く乗れよ。こんなとこリゼに見つかって、俺たちが実は仲良かったと思われたら、嫌だろ?」 「確かにっ」  ジュークがためらいがちに背中に覆い被さってきて、喉の前で両手を結んだ。  エイシスは立ち上がると、両股を抱えたままもう一度背負い直した。意外に重い。幼いながらも筋肉がつまっている。 「ギブリとリゼは?」 「他の部隊にまじって残党狩りの手伝いにいってる。全滅には程遠いけど、諦めてもらうことには成功したよ。ここからは3人だけの『アルト救援隊』だ。あと〝だなもの人〟も一緒だよ。グレイスン卿に馬車を用意してもらってる」 「姉貴の馬車か?」 「いや、軍用馬車。6頭引きを用意してもらえた。町に接近するベヒモスロードを回り込んで、この先の、町で一番高い岩崖に向かうつもりだった」 「目標までの高さと距離、足りるのか?」 「まさにそれだ。試算してみたけど、そこまで行ってもベヒモスの膝だった」 「なら、ダメじゃん」  なぜかジュークは楽しそうに笑った。 「そこで、代案としてアテンザ案が採用された。もうすぐベヒモスロードは山の勾配を降りてくる。反対に俺たちが軍用馬車をかっ飛ばして、山脈を登ることにした」 「ははぁん。読めたぜ。できる限り登りまくって、振り返りざまに飛びつくのか」 「そういうこと。一か八かの一発勝負になる。ソフィアさんから滑空スーツとかって試作品を預かってるよ。それを着て断崖から飛び降りてベヒモスの背中に乗り移れってさ。命の保障はできないけど帰って来いだって。あの人たちも無茶言うよな」  がんばったご褒美。というフレーズは伝えないでおいた。子供扱いされるのを嫌がるわんぱく小僧がヘソを曲げかねない。 「心配すんな、エイシス。オレは強運だからな」 「ふっ。そうか。なら、俺もその追い風に乗せてもらおうかな」  ジュークは顔を、エイシスの肩にしだれかけた。 「悪い。少し眠ってマナを回復する……ついたら、起こして、くれ」 「うん、いいよ。おやすみ……」 「……あと、さ」 「うん?」 「ギブリのおっさんに、おれ達の未来を、勝手に、決めつけるな……って」 「うん」 「あれ……ありがと、な」  ジュークは目をつぶると、すぐに寝息を立て始めた。 「悪くないかもな……。こういう生意気な弟がいても、さ」  偽弟を背負い直すと、エイシスはふたりを待つ馬車へ静かに駆け出した。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加