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「ちっ。交戦中に外を抜いてくるかよ……っ」
凍てつく雪風の中。アテンザは足下で雪中に埋まった男を見て、舌打ちした。
死体は新しく、死後4時間は経っていないはずだ。他殺でなければ、ここの万年雪に埋める理由が他にない。
背後から頭部を殴られ、首を絞められたようだ。その上で、身ぐるみを剥がれて旅人か軍関係者かもわからなくしている。手慣れた犯行だ。
だが下着は残していった。その下着の糸で所属番号が刺繍がしてある。ここで判読されるのは、彼もさぞ屈辱だったろう。
死体は、情報本部の諜報員だった。
アテンザが山に登って万年雪の中に不穏なマナの乱れを感じた。たどっていけば、仲間の死体である。いつになっても、この役割は気分のいいものじゃあない。
「……っ?」
下着をめくった腹部に、爪でみずから引っ掻いたのだろう。乾いた血文字で〝f〟と見て取れた。
「ふん。いいガッツだ。次は油断するなよ」
こんなクソ寒い山のてっぺんで襲われるとは、ベヒモスだって思やあしねぇがな。
アテンザは死体に〝移風道動〟をかける。
この魔法は【風】に属し対【土】の反作用があるので、若干宙に浮く。急場の手荒な搬送になるが、このまま放置して立ち去るよりはいい。
急斜面を下山させることになるが、すでに4時間で死体は凍っている。そのまま麓まで降りてくれれば、後で拾ってやれる。
アテンザは、サクラメント領を見はるかす。
ベヒモスロードはすでに足下だ。島が一つ、ゆっくりと都市に流れつこうとしているようで現実味がない。背中の森で仲間の大半を失ったガルグイユが仲間の不帰に戸惑った様子でしきりに飛び回っている。
そして、アテンザの〝眼〟は、背中のコブの手前で焚き火をしている初老と少女の姿を捉えた。
「んふふ。あの先生とベヒモスについて話してんだろうなあ。……元気そうだ」
アテンザは人差し指で〝照明炎光〟を放った。ベヒモスロードの森に向かって。
すると、焚き火の前の少女が立ち上がり、こちらへ笑顔で手を振ってきた。
「くっふふっ。はあっはっはっはっ。敵わねぇなあ、お嬢さんには」
(いい肝っ玉だ。あのジムが〝我が君〟と惚れこむわけだ)
「アテンザさーん」
エイシスとジュークが背嚢ひとつという軽装で登ってきた。
赤髪の剣士は戦闘態勢に入った。
「エイシス、例のスーツは」
「ここです。3着分」背嚢を叩く。
「すぐに出せ。敵はすでに諜報員の滑空スーツを奪取。ロードに移った。オレの今回の任務対象がお嬢さんと一緒だ。ふたりの命がヤベェのよ」
「えっ。了解」
「ジューク」エイシスは御曹司を見た。「魔法はまだ行けるか」
「手動は中位なら1発。予備なら4発」
「予備?」
「魔法銃。ベルサ・モリゾから借りてるヤツに魔法詰めた」
アテンザは手を出した。
「その魔法銃を見せてみろ」
「な、なんで?」
「質問を質問で返すが、戦場絵師がなんで武器を持ってる」
「えっ。そりゃあ、護身用……あれ?」
ジュークが首を傾げると、アテンザは渡された滑空スーツに両脚を入れながらいった。
「そうだ。たかだか新聞屋の民間人が、王国軍でも〝試作段階〟の物をなんで持ってるんだ。おかしいだろっ」
「でも、ミライースは──」
「ジューク。あの姐さんは民間には兵器を売らない。むしろ日用品で儲けてその合間の趣味で兵器を作ってる。それがロイヤルスミスだ」
「じゃあ、なんでベルサ・モリゾは魔法銃なんか持ってたんだよ!」
「知るか。──エイシス。背中のファスナーあげてくれ」
「アテンザ。もしかしてベルサ・モリゾのこと、何か疑ってるのか?」
挑みかかってくるような少年の眼差しをよそに、アテンザは崖の前に歩き出す。
「12年前。お頭(グランド)はある異端研究者の肩を持った」
「異端研究者?」
「魔物の危険指定で、ベヒモスの第1級警戒に異を唱えた人物だ。ロークワゴン学長がそれを面白がって対談の席を設けた。彼の理論を気にいって現地調査に便宜を図った。そこにお頭も一枚噛んでずっと抛っておいたんだ。
ところが今回ベヒモスロードがクラリティを通過することで、その辺の事情を一番知ってそうな人物としてその先生のことを思い出した。その一方で、ベヒモスロードの航路を誘導した犯人にしてみれば、原因証言は冥府まで持っていって欲しいはずだろな」
「そっか。その先生って。ベルサの親父さんのアルフォンソ・モリゾ?」
ジュークの指摘が、アテンザの表情から余裕を消した。にべもなく顔を左右に振った。
「クソガキ。モリゾ教授は未婚だ。親族は弟の家族のみだ」
「えっ、ええっ!?」
ジュークが目を見開く。エイシスの顔に焦燥が浮かんだ。
「アテンザさん。それでは、彼女は何者なんですか?」
「お前が聞け。おれがその〝female〟を斬る前にな。急げよっ」
言うや、アテンザは滑空スーツの両腕を広げると、崖を飛び降りた。
§ § §
「マジかよ、アテンザ。何の知識もなくさっさと行っちまいやがった」
崖下から滑らかに空を飛んでいく小さな影を見て、ジュークは呆れた。
「ジューク、俺たちも行こうっ」
「エイシス、魔法は」
「えっ? いや、学校で習ってはいるけど、実はそんなに成績よくないんだ」
なんでそんなことを訊くのかと思っていると、ジュークがムッとした顔をする。無言で、腰のホルスターから銃を抜いて押しつける。
「え、なに?」
「魔法銃。持ってけ。向こうに着いたら返せよ」
「それで、どうしろって?」
ジュークは、いつもは勝てないお兄ちゃんに勝った弟がするのと同じようにふてぶてしく笑った。
銃弾を1発放った。銃口から強い閃光とともに火球が放射状に飛び散った。
「今の、〝一球火閃〟っ!? ──この短時間で、もう拡散演算を修正したのか」
学校の優等生でもここまで早く性能修正できる者などいない。少しでも回路が不具合を起こせば爆発するからだ。エイシスが驚いていると、ジュークは銃身を折って、まだ白煙がくすぶっている弾莢を取り出した。
「今から空になったコイツに〝移風道動〟を詰める。それを使って、なんとかしろ」
「ゴメン。もうちょっと詳しく説明してくれないか?」
雑すぎる。ジュークは直感系の天才なのだろう。理論系のアルトとは対照的だ。
その天才少年がじれったそうに言う。
「〝移風道動〟は、もともと空気抵抗無効を目的とした移動魔法だ。動く物に対しては対地反作用を及ぼすけど、物以外には反発作用を起こす。つまり大気中に放つと勝手に物理演算をはじめて硬化する性質があるんだ」
「つまり、それを盾にして滑空を止めろと?」
エイシスがあっさり理解したとみて、ジュークは安堵じみた笑みを浮かべた。言葉の説明が苦手なのだ。
「オレはたまにホイールボードでスピード出しすぎた時、そうやって止めてる」
「〝移風道動〟は、士官候補生試験の最低必須魔法って聞いてる。日常の移動手段じゃ考えられないって……」
困惑顔を向けると、ジュークは自分の非常識を取り繕うように言った。
「じ、祖父ちゃんはよく言ってるぞ。できるヤツが、できない周りに気を遣う必要はない。できるヤツから前に進めばいいって。後から来る者は妬んだり足を引っぱろうとするが、それを振り切るために自分を磨けって」
エイシスは予期せず頭をぶん殴られた気がした。
努力をしないことの逃げを、目の前の少年に見透かされた。いや、きっとそのつもりで言ったわけではないだろう。
『常識の非常識は非常識。非常識の常識が常識になることはない』
ジュークの日常感覚が非常識だとしても、ここまで飛び抜ければ大したものだ。
魔法使いになりたい。なれないからと言って、周りに気にする必要はない。自分が大事にしたい想いを育てろ。
ロークワゴン学院長が言いたかったのは、きっとそういうことなのだろう。
「ごめん。ジューク。俺はまだ魔法はうまく使えないんだ。〝移風道動〟を詰めてくれるか。俺は身命に誓った。アルトちゃんは必ず守る」
「ああ。頼んだぜ……ウソ兄貴」
少年はニカリと笑って、白煙を昇らせる弾莢に魔法を詰めこんだ。
§ § §
ベヒモスロードがゆっくりと都市を踏み潰していく。けれど見方によっては、慎重に建物のない隙間を選んで覚束なく進んでいるようでもあった。
「アイツってさ、きっと根はいいヤツなのよ。だけどあの身体のせいで周りから迷惑がられてるタイプよね」
ノア・ディンブラが覆面を取って、しみじみと言った。
町から2キロも離れてようやく全貌が眺められるポイントについた。
「はっ。だとしたら、なんか親近感が湧いてくるな」
カムシンは当てこすりと受け取って、心にもないことを言う。
「おい、ノア。そういや、あの戦場絵師はどこ行った?」
「ベルサ? さあ。もう帰ったんじゃない?」
「あっさりし過ぎて薄情にしか聞こえねえよ。この状況は絶対絵にするべきだろ」
「確かに絶景だけど。出来上がった絵は没収対象よね」
ふたりの後ろからソフィア・ガーベラ少佐が声をかけてきた。
「やっぱりダメっすか」
「うん。あと、ふたりとも。ちょっと顔貸してもらえないかしら」
「ええぇ。また、尋問風の説教ですか」
「なんなら、説教風の尋問のほうがいいかしら?」
皮肉のつもりが淡白に切り返されて、ふたりは同時に眉根をひそめた。ソフィア・ガーベラ少佐は歩き出す。そしてイヤリングをシャラリと音をさせて、振り返った。
「あなた達が連れてきたベルサ・モリゾだけど──、〝クロ〟だったことが確定したの。彼女は、ある狂信教団の部隊長だったわ」
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