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4
「なんだ。オレが出るまでもなかったな」
「ジューク、準備して」
となりで青白い顔のアルトが戦況を見つめたまま言った。
「あん?」
「あの個体、他のと違うわ」
「違うって、だってエイシスが今……んっ!?」
大ガルグイユ〝船長〟は首を失って尚、地に倒れなかった。
血飛沫こそ出したが、切断面から血管ではない別の何かがのたうっていた。
張りつめたプレッシャーに、アテンザがはじめて自分の剣を抜いた。
「散開だっ。下がれっ。──エイシス。お嬢さんのそばまで下がれ。──アマリリス。お前もだ。下がれ!」
「なんでよ、枢機院。今なら打ち倒せる好機じゃないのっ!?」
「うるせぇっ。首とっても倒れない魔物は異常事態だって空気読めよ。コイツはただのガルグイユじゃあねえ。何か別のモノに憑依されてる怪異系だ」
「意味がわかんないっ」
「誰だ、この状況を作った修道女はっ、退魔師を呼べ! いいから下がれってんだよ。猪みたいに突っこんで、ダメなら自爆するのはお前の勝手だがな。
今、この未確認個体を前に、どこの何かもわからず人手が減るのはマズいんだよ。この場の事態が終息するまでこっちの言うことを聞け。
──ジューク。敵前に、防御魔法〝砂城楼閣〟展開急げっ」
アテンザがよく通る声で指示を出す。
ジュークも素直に魔法の詠唱に入っていたが、途中で顔を歪めた。
「アテンザ、ダメだ。【土】から契約を拒絶された」
「なにっ? ちぃっ。ベヒモスがデカすぎるせいか……なら、遮蔽物ができればなんでもいい。【風】から試していけ」
「了解っ」
エイシスはいまだ興奮状態にあるのか胸で息をしながら、アルトのそばまで下がてきた。返り血を浴びているので、少しだけ距離を置く。それでも集中はいまだ切れていないようで、アルトには視線を合わせず〝船長〟だったものを用心深く見据える。
「エイシスさん」
「なにっ」少しぶっきらぼうに応じた。
「その腰の、魔法銃。お借りできませんか」
「えっ。ああ……うん、いいよっ」
刀を持つ手とは反対の手で、腰のホルスターをベルトごと外して、アルトに強く差し出す。アルトはそれを両手で受け取って、少し力を込めて銃身を折り、中の弾莢を確認した。
「〝月鎌突風〟制式と〝氷槍飛剣〟制式。──ねえ、ジューク。これだけ?」
その時だった。
〝船長〟が変態した。肉腫の頭をがくがくと揺らし、背後からさらなる腕が左右に生えた。
足下の抜き身の刃を4本掴むや、アテンザに頭から突っこんできた。
「っなろぉっ!?」
前2本の腕が同時に赤髪へ振り下ろされる。アテンザは剣1本でそれを受け止めた。剣圧で足下が微かに沈んだ。
さらに背後の両剣がアテンザの首を左右から薙ぐ。
ガッ。
左を受け止めたのは、ベルサが交差した鉄槌2挺。
右を受け止めたのは、エイシスの紫電星霜と自前の剣だった。
アルトはすぐさま薬室を右に回して、引き金を引いた。
バシュオッ!
銃口から青色の光芒が放射。アルトの小さな身体は魔法銃を持ったまま背中から投げ出され、ゴロゴロゴロゴロと10メートル後方まで転がっていった。
しかし銃口から放たれた2本の〝氷槍飛剣〟が3人がかりで膠着させた〝船長〟の喉笛と顔面に突き刺さった。
巨体がのけ反って2、3歩後退する。
「離れろっ。──〝天網開界〟っ!」
ジュークが〝船長〟の巨体に金色の檻をかけた。
「姉貴。治癒魔法だっ」
ジュークが印を結びながら、腰から予備弾莢を投げ渡す。それは姉まで届かず、手前で転がる。
アルトはよろよろと四つん這いで弾莢に浮かびあがる魔法陣を読み解く。
「〝傷病回癒〟……拡散、改造。うん。よし……これ、いけそう」
魔法の檻の中で〝船長〟は怒り狂いはじめた。四本の刃を格子に斬りつけ、強烈な体当たりを始める。
「アテンザ。コイツめっちゃくちゃ暴れるぞっ。もたねえよっ!」
赤髪の剣士は肩で息をしながら剣の具合を確認すると、厳しい目で少年を叱咤した。
「大群相手に4時間もたせた天才だろうが。簡単に弱音を吐くんじゃねーよ。気合いでも根性でもいいから、あと5分もたせろっ」
厳しく言いおくと、アテンザは地面に四つん這いで呼吸を整える令嬢の奥襟を掴んで、立ち上がらせた。
「お嬢さん。策をくれ。このままじゃおれ達はジリ貧だ。あの再生力は呪魔系だろ。そうだよな?」
「考えます。10秒ください」
「了解」
アルトはよどみなく魔法銃を折ると中の空弾莢を1本抜き、そこに乳白色の弾莢をつっこんで、銃身を戻した。
そして集まってきた、エイシスとベルサを含めた3人を見あげる。
「現状、あの大型ガルグイユは〝戦霊団塊〟に憑依されている可能性があります」
「なっ、れぎ……そうかっ。ヤツには翼がねえ。誤認憑依っ!?」
アテンザは赤髪を左手でかきむしった。アルトはうなずいた。
「レギオンってなんですか?」
エイシスが将官にいぶかしむ顔を向けた。説明はアルトがした。
「戦場で死んだ兵士の魂がさまよい、いつの間にか複数の魂魄が集団合一した悪霊のことだと言われています。
その団塊に取り憑かれた男は、墓場で刃物を振り回し、時に自分の身体をそれで傷つけ、息絶えるまで悪霊に戦の舞いを踊らされ続けるのだそうです。
今回、あのガルグイユには翼がなかったため、悪霊が人間と見まちがって憑依したものと考えられます。
人霊と魔物は本来結びつかないものですが、稀に結びつくと事故合体とよばれ、強靭な魔物として成長することがあります」
「解放する方法は?」
「肉体の破壊。そこから浄化です。すなわちレギオンを再び霊体に戻し【闇】マナと相剋にある【光】マナの魔法をぶつけて浄化、壊散させるほかないと思います」
「悪霊だから【闇】マナなの?」ベルサが訊いた。
「ちがいます。悪霊の中にも【火】や【水】などのマナ属性を持っていることもあります。今回は複数の悪霊が陰の澱みの中に長く遺留したことで【闇】を得たのだと思います」
エイシスは思わず確認のつもりでベルサの方を向く。
「なによ。悪いけど、わたしは壊すのが専門。浄化も魔法も使えないわよ」
修道女とは。エイシスはあからさまな失望の視線を投げつける。
アルトは周りを見て言った
「打開策として、この魔法銃に弟から〝船長〟を浄化できるだけ治癒魔法を入れてもらっています。なので皆さんには、あの肉体を破壊していただきます。粉々に」
「えっ。粉々?」
「壊すのが専門でしたよね。ベルサさん」
エイシスが煽る。でも目が笑っていない。
アルトは小さく鼻息して、ちらりと弟を見る。敵にかざしている右腕が刃物で切り刻まれたような傷を作っていた。
「時間がありません。とにかくレギオンに次の宿主を与えてはなりません。なるべく迅速にあの巨体を戦闘不能に陥らせ、悪霊を肉体から追い出さなければ再生は続くでしょう」
するとエイシスが手を出した。ベルサに。
「きみも持ってるよね。あの聖女の十字架」
ベルサは初めて顔を恐怖に引きつらせて、半歩あとずさった。
「どうして、そのことを……っ」
「もう一昨日になるのかな。たぶん、きみの部下だった男が、俺を誘拐しようとして失敗した。その時の押収品の中に妙な鉄の十字架があった。
その時、俺がうっかり十字架に刻まれた文言を読んでしまってね。古い教会を半壊させてしまったんだ」
「……ッ!?」
ベルサは心底悔しそうに歯がみした。
エイシスは不動の眼差しで、差し出した手をさらに前に出す。
「アルトちゃんの作戦は、あのガルグイユの躯を悪霊が使えないと判断できる段階まで壊せすこと。ここで自爆以外にあの十字架を有効に使う意味が持てたことは、きみの幸福だ。それを享受しないのは、きみの正義に悖るんじゃないのか? 自分の掲げた正義に悖る行いはするな」
「わたしの、正義……。なによ、それ」
「誰でもない自分が生きて幸福になること。そのためにずっと手を汚してきた。違うのか」
ベルサは目を見開き、下唇を噛みしめた。
「おい、アテンザ。もう5分経ったぞ!」ジュークが叫んだ。
「あと1分。話がまとまりそうだ。気張れっ」
「くそがっ」
ジュークが顔で雨を浴びたように汗をかき、歯を食いしばって喘いだ。
「時間がない。早くっ」
エイシスは眉間に強い意志を込めて、修道女の目に気迫を押し込む。
「き、きみがアレを読んだだけで十字架が爆発した。本当なの?」
「知らなかったのか? あの聖女の十字架は選ばれし者の証じゃない。単なる用済みになった〝道具〟の処分用だ。俺はまだ学生だけど、それくらいの現場解釈はできる」
ベルサは胸元をおさえて、顔をくしゃくしゃにしかめた。
「でも、これを失ったら、わたし……教団に戻れなくなる」
「それなら大丈夫ですっ」アルトが言った。
「まだ、ベルサさんには〈エキサイト新聞社〉があります。私もたまに絵を描いてもらいたいです」
子供らしい幼い感情の言葉だったが、アルトの目の輝きは作為的だった。そんなおためごかしを言うくらいなら、さっさとベルサを保護する根回しをする。アルトはそんな合理主義者だとエイシスは理解している。
彼女は賢い。子供の無邪気さでなければ、心の怖じ気を奮い立たせることができない場合もあるのだ。
ベルサはボロボロの法衣の下から、鉄の十字架を取り出した。
エイシスはそれを少し乱暴に奪い取ると、刀を逆手に持ち替えて走り出した。
令嬢にアイサインを送って──。
「エイシスっ!?」
「アテンザさんは、アルトちゃんをお願いしますっ」
アルトは魔法銃の銃口をエイシスの背中に向けて構えた。
「ジューク、拘束解放!」
それを合図に金色の檻が消え、ジュークが地面へ大の字で倒れた。せつな〝船長〟が横を駆け抜けていったエイシスを追い始めた。
「〝移風道動〟っ」
アテンザがエイシスに魔法をかける。
直後、移動速度が上がった。エイシスは一気に追走をひき離す。
それから少しは知ったところで地を氷面のごとく滑りながら振り返り、二刀を前交差に構えた。
「臨む兵 闘う者 皆 陣列べて前を行くっ!」
その声に応えたかのように、紫電清霜が青い光を増した。
エイシスは地を蹴った。醜悪なる肉塊との間合いをひと息に詰める。
素手で刃を握った四肢が一斉に迎え撃つ。
間髪をおかず、それらは夜宙へ舞い、消えた。
「せぃやぁああああっ! 丁字斬り!」
渾身の裂帛。新たな首を刎ね。そこから真っ二つに巨躯を唐竹割り。神刀は若者のふた回りもある巨体を股まで斬り裂いた。
だが、怪物の上部は断面に粘糸を張り、はやくも結合を始めていた。
エイシスはその結合まぎわの隙間に十字架をつっこんだ。
「Summis desiderantes affectibus(この上のない熱情を持って願わくば)
──お疲れ様。俺は帰って、あの子をデートに誘うよ」
その場を跳び離れると、大ガルグイユであったものは体内に十字架を飲み込んだまま修復していく。
やがて呪われた肉体はゆっくりと向き直り、再び生えた四腕を構え直した。
次の瞬間、胸が赤く爛れて膨らんだかと思うと、周りの樹木を巻きこんで爆散した。
エイシスはできるだけ太い樹の陰で、泣いていた。
「サナ……サナぁ……くぅっ!」
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