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終章 父と子
ベヒモスロードはどうやら、耳がいいらしい。
あの十字架の爆発により、ベヒモスロードが都市サクラメント郊外で気を失った。
8本の脚で正座するようにうずくまり、そこから約6時間も目を回すことになる。
その間に、エイシスとアルトらはモリゾ教授の案内で〝船長〟の巣へ向かった。
「教授。あのガルグイユは樹上生活をしていなかったのですか?」
アルトが、先頭で松明を掲げる背中に問いかける。
「うん。他の個体は樹上生活だけど、〝船長〟だけは特別なんだ。あの巨体だし、剣を刺した特異的な外見だ。別格扱いされていて仲間から食糧をもらって地上で飽食生活していた。実際、もう飛ぶだけの翼もなかったからね」
巣は洞窟だった。しかしベヒモスの背中に乗っていながら洞窟があるというのも妙だった。
「それでは教授。この洞窟はもしかして……」
「ふふっ。アルトくんはもう気づいたようだね。そう。ここはベヒモスロードの噴気孔だ」
噴気孔。人間でいうところの鼻の穴だ。
「こんな後ろに噴気孔。ここにガルグイユが居座っても、ベヒモスは大丈夫なのですか?」
「そのようだね。ベヒモスロードの噴気孔は全部で4つある。頭部前方の長い鼻に2つ。頭頂に1つ。そしてこの腰に1つだね」
「じゃあ、屁はこっちですんのか?」
つまんなさそうにジュークがあけすけに言うと、アルトが肘で弟の腕を小突いた。
モリゾ教授はふふっと笑い、
「正解だ。だから、穴が少し大きい。肛門は腹部下。尻尾付け根にある。ここからは腸内のガスだけを排気していると僕は推測しているんだ。
ここに〝船長〟が占有し、奥の穴を塞いでしまうと体内排気は別の2つが担うようになったが、ロードの生活に支障はなかったようだ。……そうそう。〝船長〟が居ないタイミングで、たまに噴気孔が噴き出しているのを見るかな」
(まさかベヒモス達が通ったあとに残されていく甲冑って、それか?)
エイシス達は共通のことを思ったが、誰も口にしなかった。
やがてモリゾ教授は足を止めて来訪者たちに振り返った。
「うん。着いたよ。きみ達に見せたかったのは。これだ」
それは、おびただしい数の白骨の集積だった。
「モリゾ教授。こいつは30年前からの?」
アテンザが目を眇めた。
モリゾ教授は、さあねとばかりに両手を広げた。
「悪いが、将軍。彼らを地上に降ろしてやってくれないか」
「そりゃあ、できることなら。けどたった6人でこれだけの数は……人を呼んでも?」
「もちろん。ただ、ベヒモスは非情に臆病な性格だ。争いを嫌う。いつ起きるかもわからない。迅速静寂でお願いしたい」
アテンザはうなずくと、敬礼して洞窟を出ていった。
§ § §
2時間後。夜が明けた。
アテンザから報告を受けた国立枢機院の機動は、迅速を極めた。
兵1800人体制でベヒモスロードに縄ばしごをかけてのぼり、およそ3時間半で遺骨収集作業を終えてしまった。
頭骨の数から、被災者はざっと2万人を超えているという。骨の年代も様々で、中には軽石化しているものもあった。途中から運ぶ木箱が足りずに、天幕の布を広げてそこに頭骨を並べた。500頭ごとに運搬し、滑車ロープを使ってベヒモスから下ろさなくてはならなかった。
6時間後。ベヒモスロードは再び立ち上がり、西の地平を目指して歩き出していった。
一人の、王様を乗せたまま。
こうして、アルトたちの旅は終わりを──。
「まだ3000年前の活断層を見てませんっ! 帰れません!」
(ええぇ……。あれ本気で見たかったのか)
エイシスはなんだか気恥ずかしくて、とっさにデートしようとは言い出せなくなってしまった。
§ § §
丸1日後。
早朝。都市サクラメント・当主家──トキジク館。
「12年ぶり……私は正直、諦めていたよ」
父セツドウのつぶやきは、安堵と疲労がまざった感慨だった。
家臣たちと領内の執政会議を行う広間の奥に、「社殿」と呼ばれる神事を行う小部屋がある。
祭壇とおぼしき段差の最上段に璧と銅鏡、そして剣を安置している。それだけの〝部屋〟だということは、父から教わっていた。
親子の会談は、その小部屋で持たれた。
「父上は、サナが紫電清霜を抜いたこと。怒っておいでだったのですか」
これまでずっと思っていたことを父にぶつけてみた。
セツドウは座布団に正座して、目線を少し下げたままだったが、つと目線をあげて微笑んだ。
「まさか。剣は誰かを護るためにこそ刃を研ぐのだ。神に奉じたとはいえ、その例外ではないよ。ましてや我が子を護るために身命をなげうった者をどうして叱れよう」
「……はい」
「もう言って良いかと思うが。……あの時、サナに嫁ぎ先が決まっていてな」
「えっ!?」
「あの騒ぎがなければ、サナはゲルマニアにほど近いアルゲントという町に出入りする商家に嫁ぐことになっていた」
「そう……だったのですか」
サナが他家に嫁ぐ。12年越しにショックだった。
「うん。マヤの助手として薬草学や医学の知識を修得していたからな。その関係で、ロークワゴン学院長から良縁を戴いてな。かの町に診療薬局を開設しようという男爵家と縁談がまとまっていた」
「……」
「お前が生きている報せを受けたのは、その方に詫びを伝えに行った2ヶ月後だった。海に漂う子供を船に引き揚げられたら、襟元にタチバナの紋章をつけた髪留めをつけていたとな。私も母さんも、お頭に休暇願を伝令に任せて、四日間。馬を飛ばした」
「それでは、わたしはクリティアス海に?」
父は今でも忘れられないのだろう、鼻息してうなずいた。
エイシスは腑に落ちなかった。
「ガルグイユのエサにならず、栄養失調にもならず2ヶ月もの間、ベヒモスロードの背中にいたわけですか」
「うん。だが、ガルグイユは子供を食べないと言われている。だから当家のような〝鬼瓦〟と同じ厄除けの像を造る風習がうまれたのだろうと思う。
それにあの時は、モリゾ教授が世話してくれていたかとしか思えない。
今回のことで、私みずから乗艦してお礼を申し上げたが、先方は『ある方々から受けた恩を返しただけ』と笑ってはぐらかされてしまったよ。寛仁大度かくあるべしと思い知らされた」
「わたしは運がよかったのですね」
セツドウはしみじみとうなずいた。
「無論だ。何より、良き人々の善意に救われたのだ。ただの幸運で片付けてはならぬ」
「はい。それとサナの陰徳でしょうか」
「ふふっ。さてな。……ときに、情報本部長からロードの森でレギオンに遭遇し、これを調伏したとあったが、真か」
父が話を変えた。重要なことなのだろう。背筋を正す。
「はい。アルトちゃ──レイヴンハート公爵令嬢とアテンザ少将の会話を聞く限りにおいては、人型の魔物に憑依。その暴走でもって周囲に危害を及ぼしたものと愚考します」
「うん。御神刀は良い雷光を吸われたようでな。12年魔物の体内にあっても錆ひとつ刃こぼれひと欠片もなかったわ」
「雷光?」
「こちらの世界ではマナと同等に扱ってよいものか、いまだに迷う。口伝によれば。御雷神が紫電にのって刀身に降宿り、人の身の内で一体となる時、まさに鬼神のごとく力を授かり、魔を祓うと言われている」
「わたしが御神刀を持った際は、刀身は蒼く輝いておりました。他にはこれといって」
「さもあろう。私も蒼き輝きをたたえるのみで、紫電を見るにはついに至らなかったよ」
「父上は、もう諦めたのですか」
「五十路に踏み入った身。さすがにな。とくに近頃は、剣を握ることよりもペンを握ることの方が多い生活だ。お前と違って、もう剣の道はのんびり進む歳だよ」
「その割に、私はいまだ父上から一本も取れたことがないのですが」
「たわけ」父はやんわりと叱った。「それは単に、お前の修行が足りぬからだ。王都でうまい物ばかり食って、いらぬ肉を増やすなよ。あと女子の交友はほどほどにしておけ。母さんがうるさいからな」
「父上……」
「ん?」
エイシスは目線を少し下げて、虚空を見つめていった。
「アルト様は、どちらに嫁しされることになるのでしょうか」
「エイシス? お前……」
父はそれ以上二の句が継げないようだった。そうまじまじと深刻に受け取られると恥ずかしい。
「いえ、わたしもまだ未熟者ですので、なんと申しますか。彼女の笑顔を思い出すたびに、心が熱く躍るのです。もちろんっ。今はまだ、よき友人。よき同輩で満足しております」
「……」
父は急に難しい顔で両手を袖に隠してしまった。
「父上?」
「エイシス。私は【両双家】から厚恩を戴いて、ダリアの諸侯に名を連ねて30年だが、いまだに彼らの習慣というか、魔法使いの世事感覚にはいささか追従できぬ部分があってな」
「はい……」同意しかない。
「とくにご令嬢アルト様の縁談の話が始まるのは、17。今通っている学校を出て社交界へ入るあたりからだと噂で聞いている」
「そう、なんですか?」
同学年にはすでに10代で既婚者もいる。卒業を待ってからの社交界では遅いはずだ。とはいえ、魔法使いは長生きだから庶民感覚とは次元が違うのだろうが。
「うん。お前はあの方を守ると誓ったのだ。今後はつかず離れず親交を深め、5年待ってみよ。それまでに私からも、お頭へお伺いを立ててみよう」
「17歳。もしかして、あの頭脳を悪用する者がいるとか?」
「ん、悪用……というと?」
エイシスは今回の旅で、アルトの卓抜した才能に気づいていた。
「アルト様は実に明晰なのです。魔法を発動することなく、理論だけで魔法を創り出すことができるみたいです」
「理論で魔法を創り出す……。西方世界で魔法とは何十年もかけて一つ創出できれば偉業と称えられるそうだぞ。なるほど。それだけの才媛であれば、お頭も手放したくはなかろう。案外、後を継がせたいんじゃないのかな」
「枢機院を、ですか」
「なんと言っても親子二代で築いた、王国きっての権能機関だからな。三代目も血筋で繋げたいというのは人情としてあるだろう」
「それにしても、嫡男のジュークではなく、ですか」
「うむ。確かにあの方も才知に長けた方だが、まだ尖りすぎだ。だからお前のような者と一緒に琢磨して、その棘を丸くしたいのだろう」
「あっ。あー、そういう意味の家庭教師だったのか」
そこでようやく父が大笑した。
「呆れたヤツだ。他ならぬジムニー・グレイスンの抜擢を理解してなかったのか」
「むしろ、以毒制毒かと」
「ふっ。それもまた事実だな」
そこへ、縁廊を女性がやって来て、障子の前で膝を折って座った。障子を3分の1ほど開けて頭を下げる。
当館に宿泊する双子の接応役になっているカナエだ。
「失礼致します。御屋形様」
「うん。どうした」
「はい。ご令嬢様が、エイシス様と本日、領内を見て回るお約束があるとのことで、いつ頃ならよろしいでしょうかとの、おうかがいを」
「しまった。時間を決めてなかった」エイシスは思わず腰を浮かせた。
「エイシス。アルト様にどこを見てもらうつもりだ?」
「裏山の活断層です」
「なにっ?」さすがの父も目が点になった。「若いご令嬢に、あんなものを見せてどうする。他にもいくらでもあるだろう。庭とか町並みとか」
「もちろん、そこも見てもらいます。でも彼女、最近の愛読書が国土白書なんです」
「白書……実相報告書を?」
父がまた笑ってくれるかと期待したエイシスだったが、予想に反して表情が仕事モードになった。
「お邪魔でなければ、私も随行したいのだが。かまわないか」
「えっ。ええ、まあ。それは、いいと思いますけど……」
「カナエ。アルト様には四半時(30分)して向かうからご用意をお願いしておいてくれ。あと、甚五郎を表に呼んでおいてくれ。中庭の手入れをしているはずだ。来賓を裏山へのご案内するとな」
「畏まりました」
女性がいつも通りに縁廊を戻っていく。なのにエイシスは妙な胸騒ぎを覚えた。
「父上。なんなのです?」
「わからん。だが何かあるのだろう。王都からあの古い地層を見たいと言われたのは、これで2人目だ」
「ふたり? 最初は誰です」
セツドウは座を立って、縁廊の障子に手をかけた。
「大元帥スカイライン──。私にこの国に抗えと促した御仁だ」
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