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「本日の稽古を終了するっ。教官・助教に、礼っ!」  学園都市セプテンバーにある、〈クローディア法術学院〉演武場。  およそ2時間の稽古が終わると、生徒らは腰を引きずるようにシャワー室へと流れていった。  エイシスも汗を流して着替え、さあこれからお誘いのあったどの女子と町にくり出そうかと荷物を肩に引っかけてシャワー室を出た。  そして夕空を見上げて、ふと立ち止まるのだった。 (あの公園に、もうアルトちゃんはいないのだろうな)  ここ最近はずっとそんなことばかり考えている。ロリコンじゃないかと自分を疑ってみるが、5つ下のあの子にロリ要素があったかは疑問だ。  目の輝きから頭の良さがにじみ出ていた。少し陰気で、これまで付き合ってきたどの女の子とも違う。落ち着きすぎて、あえて喩えるならオバサンくさい。 (まあ、恋愛対象と見てるわけでもないけど)  でも、また会えたら話がしたい。  国土白書をニヤニヤしながら読みふける少女にどんな話が合うんだろうか。想像もできなきなくて、つい可笑(おか)しくなってしまう。  3000年前の活断層が実家にあるんだ。とか。  うちは稲作を領民総出で苗植えからやってるんだ。君も来ない? とか。  言ったら食いついてくるのか?  (それって、言ってる俺が、まるっきりアホじゃないか)  そんな(よし)()(ごと)を頭からぶら下げて食堂を通りかかったら、スーツ美女に呼び止められた。 「失礼。タチバナ家ですね」 「そうですが」 「秘書課のカモミール家です」  王都貴族出身者は、どういう慣習か、親しくない相手には名前に「家」をつけて呼び合う。照れ屋なのだろうか。 「はあ。えっと、呼び出しですか。教務課ではないのですね」 「ええ。あなた個人のことで学院長から直接お話があるそうです」  そのためにわざわざ俺を待ち伏せしてたのか。 「ところで、晩餐はもう済ませたかしら」 「いえ。これからですが。同席してくれる女性を探して」  カモミール女子にどこか高みからせせら笑われた。 「ふふっ、あなた。まだお酒が飲める歳でもないのでしょう?」 「ええ、まあ」  17だ。だが気にしたこともない。 「だとしたら、まだ早いかもしれませんわね。その口説き文句」 「本当にただ食事して、送って帰るだけですけど。問題ですか」 「だったら、女性に対して嗜虐心があるの? ま、いいわ。学院長から、話が長くなるので夕食を済ませてくるように言づかっています。どうします?」 「いい話ですか」 「何も聞かされていません。ごめんなさいね」  どうしよう。重い話だったら消化に悪い。でも、今日は魚の気分じゃない。 「せーん、ぱいっ。せんぱいっ」  そこへ妙な節をつけて声をかけてきたのは、同じ剣闘会の1年後輩の2回生ノア・ディンブラ。  その後ろから2つ年上の同級生・3回生カムシンが手を挙げる。 「ご飯行きましょーよお。先輩のおごりで」  毎度おなじみのごちコンビだ。仲は良いが個人的な進展はまだないらしいが。  この市民と平民は、剣の実力をメキメキ上げている最強コンビでもある。ただ金欠になるたびに貴族のエイシスの財布にすり寄ってくる。  ふたり揃って外食が趣味で、たまにおごってやると下町でエイシスも目からウロコのいい食事にありつけたりする。良き悪友だ。 「ちょうどよかった。今日はどこに連れてってくれるんだ」 「シエラの店ですよ、もちろん」ディンブラが親指を立てる。  学園都市の三等地に不定期で開いている万国料理店だ。  看板がないので、みんなシエラという看板女給の名前で呼び慣わしている。  30代前後の、周りだけが認める日焼け美人。店を兄エルクとふたりだけでやっている。1年の半分を海の上で水夫相手にメシを作っているそうで、乗船依頼が来るとさっさと店を畳んで長期休業した。  なので、常連は、開いているうちは毎日通うほどの店だ。  そして何よりも安い。 「カモミールさん、どうでしょうか」 「構いません。というか……」  美人秘書は何かを言いかけて、口を(つぐ)んだ。  そのまま歩き出したので、エイシス達3人は怪訝な顔を見合わせた。   §  §  § 「申し訳ないけど、きみには来月から休学してもらうことにしたよ」  クローディア法術学院。学院長室。  外はすっかり日暮れている。シエラの店で4人で盛り上がってしまった。  学院長は最初、生徒の大遅刻にぷりぷりしていたが、シエラの店からテイクアウトした具だくさんのチーズキッシュを秘書から供されると、あっさり機嫌を直した。  ロークワゴン・ダイヤクロウ。 〝万博公〟。外齢は12、3歳の少年。実齢ははるか昔。生粋の魔法使いは年齢を口にしない。高齢を気にしているのではなく、時間を数字に置き換えることが無意味だからだという。 「停学でも退学でもなく、ですか」  思わずエイシスは訊ねていた。 「何か身に覚えがあるのかい?」 「ありすぎて、ひとつには絞れませんね」 「よろしい。なら、無期停学にしておいてあげるよ」 「いやいやいや……っ。それで、本題は?」  キッシュを食べきって紅茶で流し込むと、ふいに老獪めいた賢人の顔になった。 「きみの実家。サクラメントが〝ベヒモスロード〟の通過予測域に入った」 「はい、知ってます」 「知ってた? いつ」 「5日前。父から早便で連絡がありました。12年ぶりに〝拝領の災禍〟が観測された。その……帰省に及ばず、と」 「5日。なるほどね。それできみは、親御さんの忠告に従うのかい?」 「俺みたいな悪ガキが家に帰っても邪魔でしょうから」愛想笑いを浮かべる。  だが、ロークワゴンはゆるゆると首を振った。 「エイシス。それは間違いだよ。誰が望むと望まざるとに関わらず、きみは将来サクラメントの領主になる。それなら百聞は一見にしかず。ベヒモスロードは見ておいた方がいいよ」 「……っ」 「きみは、実家が嫌いなのかい?」 「我ながら、都会暮らしがあってると思いますよ」  答えになっていないな。けど、学院長は微笑んで追及はしてこなかった。 「そうか。それじゃあ、仕事として向かってもらおうか。サクラメントまで。薄給で悪いけど」  エイシスは無性に腹が立って、ソファに身体を沈ませた。 「そこまでして俺に気を遣ってくれるのって、なんなんですか……っ」  我知らず語調が強くなった。ムキになっている理由が自分でも分からない。学院長はそのことにはとっくに気づいているらしく、穏やかに微笑んだ。それがまた腹立たしい。 「勘違いしないでくれたまえ。タチバナ家の都合で帰省する気がないのなら、【両双家】の都合で動いてもらう。それだけのことさ。きみが魔法剣士として将来有望と知っての仕事(ジョブ)だよ」  学院長のほうが大人で、寛容で冷静だ。自分のほうがガキだと思い知らされて恥ずかしい。 『レイヴンハート公爵令嬢アルトと申します。あの、本が重いものですから、お辞儀の省略はご容赦くださいませね』  両双家。ダリア王国執政魔術師の地位を占める4つの名門公爵家。  レイヴンハート家を筆頭に国政を監視し、その発言力は絶大だ。目の前の学院長もその一郭となるダイヤクロウ家。国の内外からその博識を頼られる大魔法使いでもある。 『今更なのですけど、このことはご内密にお願いします。  ここに私がいたことと、ここで私が何をしていたか。そのすべてです』  あの子の顔が浮かんで、胸にちくりと針が刺さった。 「俺に、何をさせる気なんですか」 「俗っぽく言えば、子守だよ」 「えっ、ベビーシッター?」 「そ。べびーしったー。といっても12歳の女の子だ。素直だし聞き分けもいい。手間はそんなにかからはずだよ。君、女の子の扱いうまいんだって?」  え……っ!? エイシスは二の句が継げられなかった。 (あの子に、また会える……こんな形でも)  知りたかった。アルト・レイヴンハートが自分の故郷にどういう興味を持っているのかを。 「もしかして、そのご令嬢は。俺みたいに黒髪で、華奢な身体で、本をニヤニヤしながら読むような子じゃないですよね」 「ん? それ、いつのことかな」 「先週です。ダリアの国土白書を漫画でも読むみたいに楽しげに読んでました」  やられた。学院長はぴしゃりと小さな額を叩いて、のけぞった。 「ダリア地理地質実相報告書か。まさかアレを自腹で買うかい。……それで。きみ、家まで送ってくれたのかな?」 「はい。一応お送りしました。普通の平屋だったので拍子抜けしたんですが、お子さんですか」 「おいおい。僕のこの身体を見て、どこにそんな種があると思うわけ?」  見た目は子供の学院長は呆れたように両手を広げてみせる。 「姪だよ。同時に、君の先輩でもある」 「へえ……えっ、先輩?」 「彼女は今、4回生だよ。最低卒業年齢まで5年を残して、座学の取得単位を全認定されてる。わが校始まって以来の才媛さ」
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