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3
どうして今まで思い出さなかったのだろう。
思い出せないということは、頭のどこかで知っていたということだ。
遅ればせのカタルシスを、エイシスは自分の不明を恥じることでかき消した。
アルト・レイヴンハート。
去年の座学部門で3年連続主席だったらしい、とある秀才貴族からトップの座を奪った1回生として有名になった。
だが貼り出された全学年成績表に名前はあっても、その姿を見た学生がいないという少々怪談じみた噂が流れた。
また、魔法学校の生徒であれば、やはり注目されるのは魔法部門を含めた総合成績。往々にして座学は軽視されがちだ。ちなみに卒業するための最低必須単位のすべては座学にある。
魔法は必修科目だが、必須単位ではない。進級と卒業に影響はないのだ。
卒業だけが目的のエイシスは、その名前を気軽に聞き流せた。それがまさか、あんな幼い少女だとは想像すらしてなかったのだ。
ロークワゴン学院長の説明は続いた。
「入学最初のテストで満点を足がかりに、飛び級試験を受けて3級分、飛び級してるんだ。12歳で学年はきみの1個上の4回生。
ぼくから卒業認定が出るまで学生講師を頼んでみたんだけど、残り5年間の学生生活を楽しむんだって拒否されたよ。根が引っこみ思案だからかもね」
学力至上主義。
全領学園都市魔法士教育要綱によれば、年齢に関わりなく、一定の学力──魔力ではない──を各校の審査評議会に認められれば進級・卒業ができる。とされている。
入学に年齢規定はないが、卒業は17歳からと年齢規定はある。通例は18歳から21歳までに卒業単位を取得した学生が社会へ巣立っていく。
「そうか。そういうことだったのか」
「うん。きみには、ジュークの双子の姉といったら、理解が早かったかな」
エイシスはまたソファに身体を沈めた。虚空を見据える。
「あんたらで、俺を嵌めたんですか」
「嵌める? どういう意味かな」
「レイヴンハート家の規格外双子って、彼らのことでしょう」
「うん、そだね。はっはぁ~ん。それであの2人の子守をきみに押しつけたのが、両双家の差し金だと? 生憎だけど、そこまで手配が行き届かないよ。て言うかさ。ジュークのほうは純度100%で、ジムニー・グレイスンの陰謀なんだよ。ぼくもレイヴンハート家も無関係だから」
「それじゃあ。彼女はどうして書店街の裏の公園で本なんか読んでたんですか」
学院長は気持ちよさそうに両腕を高く伸ばすと、そのまま頭の後ろで組んだ。
「さあね。むしろ、きみ達がそんな所でボーイ・ミーツ・ガールなんかしちゃってるのか、小一時間問い詰めたいくらいさ。あの子も、ここに来ればいくらでも見せてあげるって言ってるのにさ」
「それじゃあ、ここにもダリアの国土白書が?」
「当然、あるよ」
たしかに学院長も可愛がってる姪なら、学校から借りられたはず。
あの〝本〟は、なんなんだ。
「でも閲覧を許可できるのは、30年前のデータまでだけど。公文書だからね」
「っ? ……直近は?」
「過去15年間の資料は、ぼくが今、手元に置いてる」
そういうことか。マジかよ。エイシスは左手で頭を掻く。
「もしかして、彼女。サクラメントへ行こうとしてるんですか」
エイシスのヒラメキは、学院長が既に持っていた推測の補強部品にしかならからなかったようだ。ニコリともされなかった。
「両親が国防の要職で忙しいから、バカみたいな大金を小遣いを与えてる。それをいいことに、親戚のおじさんの制止を振り切って出かける準備をしてたみたいだね。きっと、ベヒモスロードを近くで見てみたいんだろうさ」
(正気じゃないだろ……っ)
ベヒモスは、政府が認定する特一級警戒の魔物だ。エイシスだって子供の頃からさんざん聞かされて、破壊された現場も見せられて知っている。
それがまた、12年ぶりに実家の領土を通ろうというのだ。町の被害は甚大になるのだろう。家族は領民と命を賭けて、〝サクラメントの民〟を全うする気だ。
そんな立派な両親が、エイシスは……嫌いだった。
──〝帰省に及ばず〟──
あの文言に次期領主の自負が深く傷ついた。
でも同時に安心もした。憎悪もした。
自分には領主なんて生き方はやっぱり無理なんだと。自分の器に納得したつもりだった。
(なのに、子供の一人旅の世話を理由にのこのこ戻ったところで。俺には……っ)
「彼女の直接の保護者は誰なんですっ!?」思わず声を荒げていた。
「ジムニー・グレイスン」
その名前で、エイシスの堪忍袋の緒が切れた。
「冗談でしょっ!? あの人は今、ベヒモスロード最前線の総司令官でしょうがっ」
「しょうがないでしょ。総裁も災害後の補正予算組まないといけないから議事堂通い。母親は、サクラメントの被害サポートで軍医療部会に雪隠詰め。
ぼくも外交対応であちこちに書簡出さないといけないし、ジムだって他にベヒモスに詳しい人いないんだから」
親戚そろって養育放棄も甚だしい。あの子が、ひとりぼっちで……可哀想じゃないか。
「要するに、俺にあなた方の下請けをやれと?」
「正確には、孫請けだね。大丈夫。ジュークほど手のかかる子じゃないから」
「ジュークは連れて行かないんですか」
「今、双子はスカイラインの命令で、接近禁止令が出てる」
意味が分からない。
「双子の。血の繋がった姉弟でしょう? どうしてです」
「説明不能だねえ。スカイラインの命令としか、ぼくも答えが見つからない。彼の指示には推測も許されないんだ」
両双家の発想は異次元だ。聞いても無駄だと分かっても知りたくなる。
彼女が住む魔法世界の不条理を。
「女の子ひとりの面倒も満足に見れない家族で、姉弟まで引き離して、スカイライン大元帥って、そんなに偉い人なんですか?」
学院長は静謐な眼差しで、離れて座る生徒を見つめる。
「エイシス・タチバナくん。よくお聞き。そもそも大元帥っていう地位はね。彼が国政権力を手放したくなくて、しがみついている名誉職じゃあないんだ。逆さ。
ぼくや国立枢機院総裁たち両双家が、お願いして持っててもらっている最後の頼みの綱なんだ。ぼくや総裁が戦いに敗れた後も、この王国を支えて欲しいという情けないワガママを受けてもらってるのさ。
それがなければ、彼はあっさりこの人間社会を捨てて、自分の魔法研究に専念できた。だから彼の命令に間違いがあっても、ぼくたちはそれを聞き入れる義務がある。それくらい偉いかな」
エイシスは頭を左右に振った。そうじゃないだろう。誰も彼女の味方になってやらないのかって聞いてるんだ。
「不甲斐ない大魔法使いの弱味なんて聞くだけ無駄でしたね。喜ぶのは、魔女殺しくらいだ」
執政魔術師に対する不敬暴言だったが、それを聞いた竜の魔術師は自嘲的に微笑んだ。
「では、学院長。本件は、俺に拒否権はないんですね」
「あるよ。でもねぇ……きみ以上にサクラメントに詳しい適任者を探してる時間はない。アルトは一人でも行ってしまうだろうからさ」
「学院長が魔法で拘束すれば早いのでは」
大魔法使いに嫌味を込めて言ったつもりだった。
ロークワゴンは幼い顔に妖艶な笑みを浮かべた。
「そんなぁ~。人の心を縛る魔法なんて~、やってもいいけどぉ~、虚しいじゃないかあ……うふふふ」
魔法の矛先がこっちにかよ。度し難いほどの、叔父ばか。背筋が寒くなった。エイシスは素直に謝ることにした。
「失言でした。撤回します。わかりました。これも何かの縁だと思って、彼女の護衛役。頑張ってみます」
「うん、助かるよ」
「その上で、もうひとつ。要人警護は国立枢機院からも出るんですよね。バッティングしませんか」
割といい指摘のつもりだったが、学院長には些末なことだったようだ。
「きみは、彼らとは別格になる。保護者の代代理人。ジムの代役だと思ってもらっていい。気に入った人材。気に入らない警護役がいれば任免する権利もある。
場合によっては、斬捨御免もアリ。現地でトラブルが起きれば領主との直接交渉も認められる」
マジか。狭い警護という枠の中で、両双家の威を借る狐にもなれるわけだ。
「わかりました。それで、日程は」
「来週の[火]。紫陽月の17日目の早朝5時。僕の家に来て」
「えっ、学院長。ここが自宅じゃあ、なかったんですか?」
全校生徒が伝統的に噂していることを、エイシスが初めて訊ねてみた。
「あっはっはっはっ……なんでやねんっ!」
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