12人が本棚に入れています
本棚に追加
4
雨期を目前にして、帰省することになった。
学院長室から戻った下宿先で、提出期限がだいぶ先にあるレポートを片付ける。
明日、教務課にそれを提出して、その足で鍛冶店に預けてある剣を引き取りに行こう。あれがなければ帰省しても格好がつかない。
面倒なことになった。とは、もう思っていない。
ただ、本当にこれでいいのかという気はしている。
学校の成績は振るわず、中のちょっと上。学校側からの休学指示。自領に襲来するであろう魔物。実家からの帰省命令がないまま、他用で帰省する。
俺は一体、どんな顔をしてあの領地に戻ればいい。どこに俺の居場所がある。
両親──父は、俺が邪魔なのか。
(父上は……、俺のことがお嫌いなのか)
なんの地位もなく、剣も冴えず、為政の知識もない役立たずの息子と見て、領内の一大事からも遠ざけるのか。
レポートを書いていたのに、いつの間にか頭を抱えていた。
──コンッ、ココンッ
ドアがノックされる音で、エイシスは我に返った。
あの独特なリズムの叩き方は、カムシンだ。
置き時計を見ると、10時を回っていた。
外出門限ギリギリ。ということは、独りか。
ドアを開けると、二カッと人懐っこい笑顔が立っていた。
「おお、やっぱりいた。これもって自分の部屋に戻るのって、結構恥ずかしいんだよ」
カムシン。年齢は二つ年上の19歳。
剣闘部の同学年、実力上級者と組むときは、必ずこの男から3本獲ることが一日の調子を見る基準になっている。ライバルと言うには馬が合った。
平民の出ながら〝剣豪〟ジムニー・グレイスン少将に師事。この学校に推薦入学された。奨学金の出資は国立枢機院だ。
エイシスから見て、友人の剣は〝城の剣〟だと思う。
果敢に攻めかかるのではなく、敵の攻撃を凌ぎつつ守りと守りの隙間からじわじわと攻めを積み上げていく。だから、勝敗に時間はかかるが、相手は攻めていたはずなのになぜか一本獲られているという不思議な疲労感に陥る。
グレイスン卿が彼を気に入ったのは、その忍耐力と視野の広さではないかとエイシスは推測している。とにかく、しぶとい。先輩連の間でも、カムシンと対戦する時は〝城攻め〟と呼び、2本目をとるのは至難だった。
そして普段のカムシンは、誰に対しても優しい。だから上下男女の隔てなく人気があった。
こうして今もエイシスを気遣って、グラス2つとワインボトルを掲げて見せる。
「それ、ブドウジュースだよな?」
「ああ、もちろん。ブドウジュースさ」
エイシスは友人を室内に招き入れる。
ベッドの上に置かれている旅行トランクを見て、カムシンが訊ねた。
「あれ。郷里に帰らないんじゃなかったのか」
「それが、あの後。学院長に仕事を押しつけられてさ。結局、帰るというより、向かうことになった」
「あん? なんだそりゃ?」
「話してもいいけど。カムシンも巻き込むことになるよ」
「仕事なんだろ。ま、分け前によるな」
「あ。そう言えば、報酬の話するの忘れてた」
「おい、うそだろ?」
カムシンは苦笑しながら、グラスにブドウジュースを注ぐ。
「でもよ、学院長の肝煎りなら、冒険者扱いにはしねぇだろ。やっぱ御貴族様相手の商売だよな」
「子守だよ。うちの領地を通るベヒモスロードを見たいんだって」
とたん、カムシンの手許が滑って、ブドウジュースがこぼれた。
「そいつ、正気か? どこの向こう見ずな貴族だよっ」
「レイヴンハート家。はい、これでカムシンは俺の部下になりました、っと。休学届出しといてね」
「ま、マジかっ!? ……えぇ。国立枢機院総裁の子供っていやあ」
「そう。あの歯が生えそろう前に自宅の屋根をふっ飛ばして新聞にも載った、規格外双子。その片割れの女の子のほう。アルトだって」
「ん? 前はバイトで男のほうに一日中噛みつかれてたって言ってなかったか」
エイシスはテーブルを拭きながら、その時の少年を思い出して微笑む。
「うん。なんか分けて育ててるみたい」
カムシンはボトルをテーブルに置くと、腕組みして首を傾げた。
「ふーん。ま、御貴族様の事情だからな。下々の者には計り知れねー何かがあるんだろう」
「だろうね」
グラスを手に取り、エイシスはひと口あおった。そして思わず顔をしかめる。
「ちょっ。本当にブドウジュースじゃないか」
「はあっ? なっはははっ。他になんだと思ってたんだよ。未成年」
それからカムシンもグラスをあおって、
「なあ、お前についてサクラメントに行くのはかまわねえ。けど、ちょっと頼みがある」
「なに、急に改まって」
「金、貸してくれないか?」
「いいけど。どれくらい」
「わからん」
「そうか。それじゃあ、貸しようがないな」
カムシンは急に低姿勢になって、顔の前で両手を合わせた。
「〝テンロット街〟に良い出物が出たんだ。今それを留め置いてもらってる」
テンロット街。
王都フルハウス外城壁の南東。外東門からひろがる外郭の広大な小麦畑を抜けていくと、東西南北600メートル四方の拓かれた土地が現れる。
そこに耐火レンガ造りの大型溶鉱炉が6基ならび、鉱石をインゴットに精錬するため、煙突から黒煙を吐き出している。
軒を連ねる店舗のあちこちから金属を鍛える鎚の音や、フイゴで炉に風を送る轟音。行き交う荷馬車や高級馬車の蹄音。売り言葉に買い
言葉など、雑多で活気に満ちた生活の音が、この地を街たらしめていた。
口さがない市民は、その小街を〝テンロット街〟と呼ぶ。
この区画住民のほとんどが、両双家から〝10ロット〟で借地権を手に入れたドワーフ族だからである。
だが2人も、そのことで不快な思いをしたことはない。容姿が違う以外は、商売のうまさはドワーフ族のほうに好感が持てた。なにより、とにかく質が良いのである。
エイシスは勉強イスに逆座りし、背もたれに肘をついて苦笑した。
「良い出物って。何買おうとしてるの」
「……ウルフバート」
「え、マジで!?」エイシスは目を見開いた。
ウルフバート(あるいはウルフバルト)。
北方海洋の戦闘民族ヴァイハーンの首長クラスが武器に用いたとされる高純度鉄鋼のことである。古代精錬技術により強靭で柔軟な性質から、剣として鍛錬すれば雄牛の胴体を真っ二つにできるとまで言われた。上級騎士でも入手困難な高級鋼材だった。
「なんで、そんな物を学生に売りつけようとするかなあ」
変な話だとエイシスは目をすがめた。
カムシンもうなずいたが、諦めきれない目で身を乗り出してくる。
「いや。おれもおかしいとは思ってるんだぜ? でもな。もし本物だったら超お買い得だとは思わないか? しかも、向こうには買い手がいるような口振りだ。この手を逃がすのはもったいねぇじゃねえか」
「お買い得だとしても、向こうの言い値じゃ。得かどうかも分からないだろう」
「大丈夫だ。店は〈火吹きのトーヴィル〉だ。あそこの親父とは顔見知りだし、そんな法外な値段をちらつかせることはしねーよ。たぶん」
鋼材そのものに法外な値段がつく希少材なのだ。カムシンの片思いは成就しないだろう。
でも、ウルフバートか。見てみるだけなら、タダだよな。
「俺も後学のために、一度見てみようかな。贋物でも知識の肥やしにはなるしさ」
その言葉を待っていたとばかりに、カムシンは顔を上げた。
「いつにするっ? 明日空いてるよなっ。なっ?」
「うん。午前中にしよう。預けてる装備品もあるし。出発は明後日の[火]。早朝5時だからね」
「おし。わかった。んじゃあ、お前も早く寝ろよ」
言いたいことだけ言うと、カムシンはウキウキした様子で部屋を出て行った。
「……グラス、置いていっちゃったよ」
エイシスは微笑み、それから腕の中に顔を埋めた。
「ごめんな。カムシン……面倒に引きずり込んじゃって」
友人のお人好しにつけこんだみたいで、エイシスはため息をついた。
最初のコメントを投稿しよう!