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結論から言うと、ウルフバート鋼は本物だった。
「いっ、1200トットぉっ?」
「いや。ロットだがな」
赤髭のドワーフ店主は生真面目に訂正する。
王都フルハウス外郭・テンロット街──鍛冶屋〈火吹きのトーヴィル〉。
エイシスとカムシンがやってきて、見せられたシロモノはサビ鉄の塊。
だが、値段を聞くなり2人してのけぞった。
しかもすでに買い手と契約済みらしい。代金2割増しの急ぎ働きまで頼まれて、これから鍛錬に入るという。
良い物が見れた。午前中に来てよかったと呑気に思うエイシスだった。
「だ、誰なんだよ、親父さん。その買った人って」
「そいつはさすがに言えるわけねぇだろうがよ。カムシン」
諦めきれない若者に、ドワーフ店主はニカリと笑って見せた。そして、ウルフバート鋼をためらいもなく炉に突っこむ。
それをとなりで眺めていたカムシンが断末魔のような長いため息をつく。
エイシスは思わずぷふっと吹き出してしまった。
「おーい。トーヴィル。お客だぜ」
「馬鹿野郎っ。今、作業はいったところだ。声かけんじゃねーよ!」
店先から声をかけた黒髭のドワーフに、赤髭のドワーフが怒鳴り散らす。雷が落ちたようだ。それを聞きつけて店奥から、人族の女性が現れた。しかも美人だ。
「まあまあ。トゥアレグ隊長。今日は朝から素面でどうしたの」
「おお。ベルタ。掃き溜めに鶴のあんたがいてくれて助かったぜ。ここの客人だ。鉄火場が見たいんだとさ」
黒髭のドワーフに手をつながれて現れたのは、アルトだった。
また供を付けずに出てきたのか。さすがにエイシスはもう笑えなかった。
「アルトちゃん。また独りで来たの?」
エイシスが少し窘めるように訊ねる。
「私、内通者を侍らせる趣味はありませんからっ」
「えっ」
少女の見上げてくる眼差しの鋭さに、エイシスは度肝を抜かれた。
「叔父に、あの〝本〟のことを話したのですね」
「叔父?」カムシンが間で聞き返す。
「ロークワゴン学院長だ。彼女が、レイヴンハート公爵令嬢アルト様なんだ」
カムシンに説明する。それからエイシスは素直にその場に片膝をつき、頭を下げた。
内通者。面と言われると突き刺さる言葉だった。エイシスは自分の失態を認めることにした。
「不注意でした。わが故郷サクラメントと聞いて、学院長にどういう思惑が絡んでいるのか探る必要があったのです。
その上で、あなたのサクラメント行きの護衛を依頼され、お受けすることにしました。少なくとも、あなたの望む旅を、ロークワゴン・ダイヤクロウがお認めになったのです」
アルトは小さく鼻息して、うつむくと、
「私も、言い過ぎました。……ごめんなさい」
カムシンがとなりで息を飲んだ。誰から受けた教育だろう。黒を白にもしてしまえる公爵家にあって、非を認められる器を持っている。エイシスは笑顔を浮かべた。
「ううん。いいんだ。それよりも、どうしてここの鍛冶仕事を見ようと?」
アルトは鉄火場を覗きながら、
「買ったウルフバート鋼がどのように鍛えられていくか。興味がありましたから」
「う、うそだろぉ!? こんなっ。うああ、マジかよぉっ」
カムシンは驚きを通り越して、脱力してその場に崩れた。
「そちらの方は、どうかされたのですか?」
アルトの怪訝に、エイシスは笑顔を左右に振った。1200ロットもの大金を支払ったって若者の夢を打ち砕いたのが、12歳の少女ではカムシンも嘆くほかないだろう。
「いいんだ。大したことじゃないから。それで、何に鍛えてもらうの。剣かな」
アルトは大人の女性がそうするように、この場にいない誰かを思う微笑みを見せた。
「グレイブです。グレイスン卿に戦場で振るっていただこうかと」
グレイブとは、東方世界でいう薙刀に比類する武器だ。
「なるほど。でも、〝剣豪〟がグレイブを使っているという噂は聞かないけどな」
アルトは、こくりとうなずいた。
「はい。将官となられて前線に出ることが減り、グレイブを振るう機会も少なくなったとうかがっています。ですが、前線でお働きの頃は、グレイブだったとうかがっています」
ベヒモスロードを見てみたい。聞けば聞くほど、どうもただの好奇心からではないようだ。エイシスは同じ目線のまま訊ねる。
「もしかして、サクラメント領に行くのは、グレイスン卿に会うためなのかな」
「それも、あります」
「他には?」
アルトは、つと目線をさげて、言った。
「国土白書を見る限り、あの地では毎年、火山性の地震が起きているという記録が散見されています。それはもう何百年もの昔からです」
そうだ。そのために時の国王デミリオⅥ世は、飢饉をきっかけとしてあの領地を売りに出したのだ。領民ごと。
「最新の直近5年の記録を見ても、大小あわせて37回にわたって地震は起きています。王都へ報告されているだけでもその回数なら、報告されていない微小地震はもっとでしょう」
サクラメントが地震多発地であることは、そこで生まれたエイシスも知っていた。
だが、彼女が何を意図してそのことを言い出したのかよく分からない。
「あの、それとベヒモスロードと、どういうつながりがあるのかな」
「まだ仮説の段階なので、うまく言えません。現地で何か有益な情報を拾ってこられれば良いのですけど」
子供か? この子は本当に子供なのか。エイシスは混乱した。
なら、あの話。笑い話で言ってみるか。
「あの、アルトちゃん。もし、よければなんだけど、サクラメントで俺の知ってる場所に3000年前の活断層があるんだ。そこでよければ、行って案内できるけど?」
すると鉄火場を眺めいたアルトが鋭く振り返ってきた。
目を爛々と輝かせて、両拳をぶんぶんと振った。
「是非っ! それは是非、見てみたいですっ!」
(めちゃめちゃ食いついてきたーっ!?)
エイシスが経験したどんな女子とも違う、新鮮な反応だった。
§ § §
「──というわけさ。若」
「ふんっ。あれほど、うちの姉貴に近づいたら殺すって言ったのに。エイシスのヤツ」
ぼやきつつ、少年はドワーフのごつい手の上に、金袋を乗せた。
「また頼むぜ。とっつぁん」
「へへっ。ああ、任せときな。つってもよ。うちのドワーフ隊第29師団はサクラメント行きの辞令はまだないがねえ」
「とっつぁんから、志願しねーのかよ」
黒髭のドワーフは金袋の重みにうっとりしながら、ごつい顔を振った。
「志願してもいいが、多分通らんねえ。ほれ、前のでかいゴブリン砦巣の掃討で駆り出されたばかりだろ? もうちっと間隔ってものを空けないと他の師団との兼ね合いもあるんだとさ」
「ふーん。ヴェゼルヴィッツも細けーことにうるさいんだな」
「なら、いっそのこと。若がついて行きゃあいいじゃねえのかい」
「はあ? それができねーから苦労してんだって。第一、祖父ちゃんが許してくれるはずがねーし」
「けんど、会いたいんだろ? お嬢に」
「……っ」
「よし、わかった。うちの部隊からサクラメントに斥候を出すようにヴェゼルヴィッツに掛け合ってみるとするかねえ」
「せっこう? ……とっつぁんってそんなに仕事熱心だったのか」
黒髭のドワーフは拳で胸を叩いた。大木を叩いたような音がした。
「あったりめえよ。だからこうしてドワーフ隊7500の師団長になっとる」
その割に、非番の日になると馬車を飛ばして隣国から酒を樽買いして、仲間から手間賃を取っていると父親から聞いたことがる。雇用主にバレててもこのドワーフは副業を続けている。
「今の若なら、背丈はまだ同じくれぇだ。斥候は小隊40名。うちらと同じあの兜をかぶってりゃあ、バレっこねえさ。がっははははっ」
黒髭のドワーフは自信たっぷりだが、要は変装潜入しようというのだ。ただし、ドワーフの兜は6㎏。鎧にいたっては35㎏もある。12歳の少年が装備したところで一歩も前には進めない。
その上で、姉が敬慕してやまないあのジムニー・グレイスンを騙しおおせることができなければ、姉アルトのそばには近づけない気がする。
ジュークはグレイスンに叱られると思うと、ちょっとだけ怖かったのだ。
それよりも今は、姉の傍にあのエイシスだ。
(早くあいつから一本獲っておかねーと、姉貴やじいの前に出るにもカッコがつかねーしな)
姉の出発日まで時間がない。
少年は、焦っていた。
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