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南天~千秋万歳~
🎍お正月の縁起物です🎍
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九神直義の居城、師畿の城にも新しい年が巡ってきた。
「殿、日が昇りました。皆が待っておりますぞ」
柾木の声に直義はむくりと床から起き上がった。年越しの鐘を遠くに聞きながら、眠りについて如何ほどの時刻が経ったろうか。
―新しい年を迎える時くらい身を慎め!―
と、頼隆に伽を拒まれ、久々の独り寝は味気なかったが、酒の酔いもあり、随分と深く眠った。ふと傍らを見ると、隣の床は裳抜けの空。
「頼隆は?」
と問うと、
「御祓に入られてございます」
との至極当然といった柾木の返答が返ってきた。頼隆の母は元は巫女、母の実家は由緒ある陰陽師の家系だ。祭祀に関して厳密なのは、家柄とわかっていても、
―ちと堅すぎる......―
と思わないではない。
衣服を整え、家臣の待つ広間へ向かう。
一通り参賀の挨拶を受け、辺りを見回す......が頼隆の姿は無い。
不満を通り越して、危惧を抱き始めた直義の耳許で、胡蝶柄の晴れ着に身を包んだ絢姫がこそっと囁いた。
「頼隆さまは、神殿においでです。新年の神事を済まされてから、参内なさるそうです。それと....」
くすっ......と絢姫は小さく笑って言った。
「今年は師畿のお城で迎える初めてのお正月、何やら特別の趣向がおありとか......」
訝る間に、宴席の支度も整い、酒肴が運ばれてきた。
一献、二献、干しても頼隆は姿を見せない。
さすがに柾木も絢姫も不審に思ってか、二度三度と神殿に人を遣わした。が、―ご祈祷中にて......―との答えが返ってくるばかりだった。
直義の不機嫌も限界...と思った頃、白勢幸隆が、つぃ...と立ち上がり、直義の面前に平伏した。
「新年の祝いに、わが佐喜に伝わる、言祝ぎの舞を献上つかまつりまする。」
近習が立ち上がり、庭に面する障子を開いた。そこには、舞台が設えられ、緋の毛氈が敷かれていた。
中央には、四人の巫女が平伏していた。
やがて、ゆるゆると謡いが始まる。
『神迎え』の神楽舞......らしい。
―東青 南は赤く 西白く 北紫に 染め分けの色 さいはいや ここも高天の 原なれば 集まり給え 四方の神々 降り給え 降りの庭には 綾を敷き 錦を並べ 御座と踏ましょうや......―
朗々と青天の新しい年の空に謳われるその声は何時よりも澄んで、皆が一様に聞き惚れるなか、千早、緋袴の巫女達が、鈴と幤榊を振り、辺りを浄め、舞う。
次々と入れ替わる巫女の中に、ひときわ長身の麗しい横顔を見留めたのは、直義ばかりではなかった。
「あれは、いったい何処の社の巫女じゃ。美しいのぅ...」
ゆるゆると優雅に千早の袖を翻し、天に向かって手を延べる、その指先までもたおやかに、まさに天女の如き、だった。
家臣達は皆、目を丸くして幸隆に囁きかけ、感嘆の溜め息をついていた。
「土御門の本宮の巫女にございます。」
幸隆はしれっとした顔で応え、直義の顔を盗み見た。
―やはり、な。―
直義は、思った通り誰よりも食い入るような目線で巫女を見つめていた。腹立たしいような眩しいような目線が、巫女に注がれていた。幸隆は、してやったような、悔しいような気分で巫女を見た。
―清々と 清く荒いを 踏み分けて 荒いを清め 神殿の内 七五三の内 まだ入りまさぬ 神あらば 黄金の七五三を 越えてまします 幣立つる ここも高天の 原なれば 集まり給え 四方の神々......―
舞終えて、巫女達が下がろうとしたその時、直義の扇が、つぃ......とひとりの巫女を指した。あの長身の巫女だった。
「そこなもの......」
心なしか声が上ずるのを抑えて、直義は呼び掛けた。
「善き舞であった。褒美をとらすゆえ、此方へ参れ......」
恭しく礼をして、長身の巫女は直義の面前に進み出て、にっこりと笑った。直義は半ば呆れ顔で、しかしほっ......とした顔で盃を差し出した。
「お前はなぁ......」
「謹んで新年のお慶びを申し上げます」
ふふっ......と薄紅の唇が微笑った。
「戯れが過ぎるぞ、頼隆」
「戯れではございませぬよ。我れの務めにございますゆえ」
にっ......と笑うその顔は紛れもなく、直義の情人にして九神の軍師、白勢頼隆だった。
柾木も絢姫も、間近に来て漸く気づいたらしく、あっ......と小さく叫び、互いに顔を見合せた。
「何よりの祝賀でございますねぇ......殿」
「『羽衣』でなくてようございましたな。」
ひやかす声も耳に入らぬと言わぬばかりに、くい......とその手を引き寄せ、耳許で、小さく呟いた。
「褒美は、後で改めてとらすゆえ......まず、屋敷に行って参れ」
「お気に召されませなんだか?」
「神の賜り物を先にいただかねば、身が持たぬ」
しなやかな指先を密かに手繰り寄せ、袴の付け根に添えさせた。
「仕方の無いお人じゃなぁ......」
呆れ顔で呟く頼隆の唇に素早く口付けて、直義は囁いた。
「お前が悪い」
巫女は再びふふっ......と微笑むと、宴席の皆に向かって一礼し、ふわりと身を翻した。
「鍵いらず戸ざさる御代の明けの春」
と皮肉るその背中に直義が思わず眉をしかめると、絢姫が、すっと直義の背に手をかけた。
「思わず腰を延ばす海老の錠...ですわ。ささ、宴はこれ迄に」
「皆のもの、殿の仰せじゃ。無礼講にて存分に過ごされませよ」
くるりと家臣を向き直り、絢姫が告げる。
直義の姿が上座から消えるのは、少し後のこと。
二時ほど経ってから、姿を現した八雲御前の打ち掛け姿に家臣が見惚れる中、再び盃を取る姿は至って満足気だった。
―――――――――
宴も引けた後、正月ごとに打ち掛けを着せられてむくれる頼隆をなだめながら、直義は褥の中に、頼隆の白い胸に実る二粒の南天のような突起を掌に弄んでいた。
「この南天が儂の難を避けてくれておる。有り難きことじゃと思うておる」
「なれば、もちっと大切に扱え。......腫れてしまうではないか」
抗議する頼隆の耳許で、ふふん...と直義は鼻で笑った。
「木の実は熟れたほうが味がよい」
「なっ......」
胸の突起を吸われ、思わず身を仰け反らせる頼隆の耳に、直義は深く深く囁いた。
「お前は儂の天女じゃ。が、天になど返さぬ。」
「我れの羽衣を何処に隠したのじゃ?」
頼隆は苦笑しながら、直義の背中をきつく抱きしめた。熱い吐息が喉を過る。
「教えぬ。お前は千秋萬歳、儂だけのものじゃ。」
「我が儘な男よな......」
男の頚を引き寄せ、唇を重ねる。すでに逃れる天など何処にも無い。この男の腕の中より他に、憩う場所を知らないのだ。
頼隆は深い悦楽の底で、直義という男の腕の中に自らを委ね、手放す。その瞬間にこそ永遠を見る。決して喪われることの無い生命の歓喜に打ち震え、眠る。
いずれ全てが過ぎ去るその時まで......。
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