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アンチマナー・モンスター
T(♂31才 未婚 会社員)
S(♀38才 離婚1 子供無し 派遣社員)
派遣社員のSが最近犬を飼い始めた事を、正社員のTは噂で知る。
T 「犬好きなので、どうしても見たい。」
と、Sに頼みだした。自分の借りた部屋はペット禁止なのだそう。いつもは明るい人なのに、とてもつまらなそうな表情を浮かべている。
S 「玄関先なら。」
大人しいSが渋々OKすると、Tは振り返ったついでに肩をすくめ、パッと華やかでキラキラの笑顔をSに見せた。
T 「いいですよ。では次の日曜にしましょう。後でご住所をお知らせください。」
S 「…承知しました。」
急にTは抑揚の無い事務連絡調で、話しを終わらせた。
〔まるでジェットコースターの様な人だ。〕
初めて話した時のTの印象だ。
次の日曜、Sの家にTが、百均のペット用玩具と犬用菓子を持って現れた。
T 「はじめまして、◯◯◯!(子犬の名)あ、お邪魔します!」
ササッとTが部屋に入って来た。
S 「え?待ってください!」
T 「◯◯◯、おやつ食べようね!Sさん◯◯◯におやつあげていいですか?」
S 「すみません、家にあがると思わなかったので片付けてないんですけど。」
T 「あんまり細かいこと気にしないでください。」
S 「すみません、手洗いうがいをしていただけますか?」
SはTが自分をイラッと睨んだ気がしたが、洗面所から戻って来た時は、いつものにこやかな表情を浮かべていたので安心した。
T 「よーしよし、◯◯◯!遊ぼう!」
その後、Tは仕事帰りにSの小犬をかまうため、部屋に立ち寄る様になる。Sは小犬と遊んでくれるTに気を遣い夕食を用意した。唐突にやって来るので、Sの方から確認メールを入れる習慣がつく。
S 「今夜は寄りますか?」
T 「メニューは何ですか?」
Tはメニューを確認の上で、
T 「すぐ行きます。待っていてください。」
又は、
T 「生憎今夜は先約がありまして。」
等の返信をしてくる。自己肯定感の低いSは、自分のメニューが相手にとって魅力が無い、つまり『自分には魅力が無いせい』と会えないのをさみしく感じた。子犬もSよりTになついている様に見えたので、自分のせいでTと遊べない日を、申し訳なく思った。
半年後、2人は付き合い始める。
Tは少しの着替えと荷物を持って、Sの家に住み着いた。Sが実家の援助も含めて借りている広めの部屋だ。1度目の結婚で揃えた嫁入り家財道具は全て高価な物で、それらはSによって大切に手入れされていた。
同棲初日、Tは家具も含めあちこちの扉を開けては、自分が使える物を探し物色していた。それ迄そんな行動は見られなかった。
T 「この家は大したもん何もねーな。」
と、感想を言いSのベッドに外出着のまま潜り込んだ。それも初めての事だったが、注意しうるさい女性と思われるのが怖くて、その時は黙って触れずにいた。
S 「空きスペース作ったから、自分の荷物入れてどうぞ。名前のラベル貼っておいたから。」
結局、Tの新生活の収納とセッティングはSがした。そして最後の日迄Tは片付けをする事は無かった。自分は汚部屋出身だから、片付け方が分からないと言った。
Tは週末1人で出掛ける事が多い。
Sも犬の散歩ついでに、徒歩10分の実家に向かう。Sの母親は農家の娘らしく野菜の扱いの達人で料理上手。(父親が釣ってきた魚の目が「こっちを見てる。」と泣き出すやや天然な所には、Sも引くが。)2人は食事や調理の話しで盛り上がる。帰りには、母親が作った幾種類かの惣菜と、叔父から送られて来る無農薬野菜のお裾分けを、有り難く楽しみに受け取っていた。
Sはこの実家からの土産半分以上が、Tのお腹に入っている事を母親に言えないでいた。出戻り後は父親に、1人暮らしの部屋に異性を入れない様言われていた。子犬は余計なおしゃべりはしないが、Sのこの居心地の悪い秘密の生活が顔を暗くしていた事、それからTと連れだって買い物をしていたのを目撃し黙っていた事等、後日母親に聞かされた。Sは、とても恥ずかしく思った。秘密主義は良くも悪くも伝わる。母親も心配しながら、秘密でSを見守っていたのだ。
TからSへ週末の土産は、隣町の図書館から借り出した究極で至福のグルメ漫画全巻。Sは過去に読んで感動していた。Tはこれを毎週数冊ずつ部屋に運んでは、Sに読むよう渡してきた。T自身は読まずに返却する。
〔紙の経年劣化が凄過ぎて、あんまりページをめくりたくないな。私が自分で全巻購入したら、怒るのかな?〕
これがTの行為に対するSの本音だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Sのおすすめお食事本
①シリコンバレー式自分を変える
『最強の食事』
著者 デイヴ・アスプリー
②氣の達人になる
『氣の健康と開運法』
著者 根本幸夫
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Sの料理が出来上がると、Tは毎回うまく撮影して記録を残し、Sを喜ばせた。それだけでは無く、自分用エプロンを付けて、Sと調理を途中で交代することもあった。その時Sはカウンターチェアによじ登って自撮り棒代わりになり、Tのハイアングルからの表情写真を撮らされた。Tがはしゃいでいるので、Sも撮影を楽しんでいたのだが、一緒に写ろうと身を寄せたとたん、Tは激怒した。
T 「こっちは料理してんだ!ふざけんな!」
Sは、2人に年齢差があるからツーショットが嫌われるのは仕方ない、と諦めた。
〔洗い物してくれる時あるから、好きだな…。〕
Sの家事を分け合うレベルは、低すぎた。
Sの父親は朝一番、家中の床を磨きあげる事から始めていたというのに。
婚約し両家への挨拶が済んだ頃、Tはダイエットを始めた。平日は筋トレに通い、週末はサウナスーツで走る。Sは自分の心がもやもやするのは、Tの周囲の女性に、漠然と嫉妬しているせいだと考えた。しかし、それは違っていた。元々、SはTをそんなに好きではなかったのだ。Sはそれに、気付いていなかった。
ある週末、2人にとって最後の日、S実家から分けてもらった炊き込みご飯が食卓に有るのを見たとたん、Tが叫んだ。
T 「俺がダイエットしてるの知ってて、何で炭水化物食わせる?もういい!こないだ渡した食費返せ。俺、家で飯食わねーから!」
Sの二の腕を掴み部屋の中を引きずって、財布から2万円を取らせた。Tは部屋着のまま車でどこかへ行ってしまった。こんな風に怒り暴れながら、何度もTは飛び出していっている。戻って来る時は、
T 「俺はイヤだけど相手がしつこいので。仕方なく戻ってる。何されるか解んないから。」
と、吹聴するが実際は違っていた。SにはTの癇癪など、もうどうでも良かった。婚約者として、先方に迷惑がかからない様、気遣っていた迄だ。
S 「また行っちゃったね。」
威嚇した犬は、Tに蹴りあげられていた。
S 「助けてくれてありがとう。あの人すぐ喉を締めるから。いつか私達殺されるね。」
抱いた犬は前足を痛めた様子だ。犬の主治医に連絡し予約を入れ、ペット専用タクシーを呼んだ。ふとテーブルを見るとTの携帯が有った。急がないと、戻って来る。もしかして、これを言い訳に帰宅するつもりかもしれない。
S「あれ?何?これ。」
突然Sは震えが止まらなくなった。
そして、これが正気なのだと自覚した。
自分がコツコツ築いたお気に入りの生活に、突如飛び込んで来たT。愛犬に怪我をさせ出ていった事で、Tは様々な事を悟った。犬への虐待はSが見ていない所で続いていたかもしれない、その可能性も考えられる。なぜなら、S自身が最初から、虐待を受けていたからだ。
ペット専用タクシーは、沢山の荷物をSの実家に届けた後、動物病院に到着し、治療中は待機してくれた。怪我は幸い軽い捻挫で、2週間の安静で治癒すると診断された。
Sは体調不良を理由に、Tと同じ勤め先の会社を退職。海辺のペット同伴可能なホテルを探して身を潜めた。脱出以前とは世界が違って見えている。特に自然が一層輝いて感じられた。犬に話しかける。
S 「あぁ、全てがキラキラして見えるよ。…何でしょう?いいね!」
みるみる怪我が回復したSの犬も、ドッグランで友達と、ピョンピョン跳ねて遊べる様になった。
滞在中のSに、Tに関する様々な情報が入った。家を追い出されたTは、相当興奮していたらしい。
T「Sさんから先に強引に誘われて、付き合いが始まった。脅されて婚約した。普段Sさんから暴行を受けていた。別れたかったのにしつこく付きまとわれた。」
この様に言い触らしていたのだ。
T 「◯◯◯(犬の名前)に会いたい…。」
周囲の女性にこう漏らし、涙ぐんだそうだ。
Tが飲み会ではSを‘あのババア’と呼び、‘結婚成立で遺産相続と保険金が楽しみ、だからSの実家に同居を狙っている’‘同居出来ればSの母親のウマイ飯を毎日タダ食い出来る’という、Tの自慢(?)話に正直うんざりしていたTの知人達は、心底呆れて距離を置いた。
元々Sを心配してくれていたTの友人の妻は、子供たちに悪影響だから、Tとなるべく関わらないで欲しいと、夫に懇願した。
他にも。Tは社内の女性達に横暴だったり、新人アルバイトの女性に、ちょっかいを出しては傷つけていた。それを長年見ていた女性社員達は、初めて怒りを露にする事が出来て、しっかり団結した。
TがなついていたS実家は、Tが婚約破棄の慰謝料を請求したいと申し出ると、
Sの父親「その前に娘から暴行を受けていなら、警察に行ったら?それからでしょ?」
と、軽く扱い終らせた。
Tの職場の人事部も各所からの訴えを真摯に受け止めた上でTの調査をした。結果、仕事が本当に怠惰だった事を理由に、Tを降格減給処分にした。
Tは自爆したのだ。
Sは職場の同僚から、Tのブログの存在を知らされ検索してみた。画面が出る迄、息苦しさが増す。ブログが表示された。
『俺たちの!カラダを作る100のメニュー』それは、自分と母親の料理の記録だった。
広告も沢山付いている。毎回賑わうコメント欄は、料理のアイディアの提案やテーブルセッティングのアドバイスも有り、とても面白く読めた。Tが画像処理に手間をかけていたので、写真はとても美しかった。Sが撮影したTの目力写真は加工され、面白い顔になっていた。Sは犬にそれを見せて、
S 「知らない人。」
と、笑った。ブログには犬もアップされ、可愛いと褒めてもらっていた。
S 「知らないどなたか、ありがとうございます!」
コメント欄にお礼を言った。
100のメニューの最後は、Sの母親手作りの炊き込みご飯だった。
Sと別れる直前、Tは【大食い】ビュッフェや食べ放題動画を配信していた。ブログから誘導されて見にゆく。しかし、これらはチャンネルが削除されていた。問題が有り、アカウントが停止したらしい。それをS自身が発信していた。そして、また新たなジャンルに挑戦していた。【断食】ファスティングのブログだ。
T 「少々お行儀に難が有りましたからね。」
Sは安全の為に携帯を買い換え、滞在地に住み始めた。有難い事に、紹介で条件の良い仕事に就く。傍ら、初めてブログを開設し、新生活をリポートしてみた。‘疑似体験が楽しい’と、読者に人気だった。一緒に楽しんで貰える様、Sはブログを毎日更新した。
強い潮風のドッグランを、Sの犬が走る。撮影しながらSは気がついた。ペットショップで聞いていたのより、ずっと身体が大きい犬に成長している。ネットでTが見つけても、気が付かないだろう。
〔ここに来て、良かった。〕
S 「こんにちは。●●●ちゃん(顔見知りの人の犬の名前)。」
Sの犬 「ワン!ワン!」
シュウテン
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