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ロリィタファッション
K(♂26才 未婚 公務員 )
R(♀23才 未婚 保育アルバイト)
遠距離恋愛のRは、新幹線の自由席二人掛けで、メイクとウィッグを手直ししていた。スカートのパニエにボリュームが有るためか、Rの座席隣には誰も来ない。
彼氏のKは戦隊シリーズが好きだ。その中でもグラビアアイドル出身女優の大ファンだ。その女優の私服がロリィタファッションであると教えられ、人形の様な可愛らしさに衝撃をうけた。3ヶ月前に始めたばかりだ。地元にも、東京に無い個性的なお店が有る。だがブランドの実物を見て、店員さんと相談しながら選ぶのは、至福の時だ。帰りの買い物も、上京の楽しみの1つになった。
乗り換えの移動中、Rの全身を人々の刺すような眼差しが伝う。混雑の中央線に乗り換えると、小さな子供がポカンとRを注視した。すぐに母親が小さな声で、見ちゃ駄目!と諭し、子供を自分の後ろに隠した。子供は顔だけを出し、悲しそうにRを見上げた。
R 「(こ・ん・に・ち・は♪)」
Rが口の形だけで言うと、子供が笑った。母親も笑っていた。
2ヶ月前。
K 「あなたになんか似合わない。」
1ヶ月前。
K 「何か違います。」
今日は3回目。ロリィタファッションの自分を彼氏に見てもらう。ネイルアートも入れて、20万円で完成した。甘ロリだ。
午後2時、待ち合わせ場所で2人は無事に会えた。Rはほっとして、お喋りになってしまった。Kは微笑む。
K 「どこに行きますか?」
服については言及しなかった。
2人はいつも通り、ゲームセンターと居酒屋で、時間迄過ごした。解散する駅の改札口で、
R 「どんなロリィタが好きですか?」
K 「黒くてシンプルな…こういうのがあまり付いてないタイプ。」
Kがスカートのフリルに触れた時、Rは自分が凍り付くのを感じた。それからKは、Rの頬を両側から掴み、ゆっくり頭部を前後に揺すりだした。ヘッドドレスとウィッグを振り落とそうと試しているのか、段々揺れが激しくなった。2人を見て、行き交う人は指を指したり、毒をはいて通り過ぎた。
K 「被り物も大き過ぎます。髪もまとめているのが好きだと、前に言った筈です。」
R 「ごめんなさい。…わかりました。」
〔それは、黒ロリでも無い、メイドさん…。〕
Rは、どこかに立ち寄る気持ちも消えたので、新幹線の予定時間を早め、帰路に着いた。新幹線は空いていた。Rは3人掛けの窓側のシートで、声を出さず涙をこぼし続けていた。つけまつげは外し、大切に保管した。途中の駅で、20才くらいの大学生らしい男性が通路側に座った。ずっとRからソッポを向いていたが、車内販売で温かい紅茶を買ってくれた。渡すとき、
学生 「こぼさない様に、気を付けて。」
と、言ってくれた。お礼を言って、Rは泣くのを止めた。涙は服に一滴も垂れていなかった。Rは自分に感心する。悲しみに勝てた気がした。顔を鏡で確認すると、大変な状態になっていたが、この時初めて、外でメイク等を直すのは品が無いと感じた。学生にいただいた紅茶を飲み、リップだけを塗り直すと、学生より手前の駅で下車した。迷惑かもしれないと思ったが、ホームから学生に一生懸命手をふってみた。発車直前に窓際に移動した学生は、Rに気付いた。一緒に笑って、手を振り合い別れた。
1ヶ月後、Rは夜行バスでKの住む街に近い終点を目指した。もう貯金も使い果たし、それどころか最近の散財で、ローンも組んでいた。返済するため、実家暮らしで家事手伝いをしながらの保育バイトから、正社員に切り替えた。Rは大学で幼稚園教諭、卒業後に保育士や子育て支援の研修等の資格取得、東京と地元を往復しセラピストの勉強をするなど、常に頑張り続けてきたが、これといって目標は無かった。その中、たまたま母親の薦めで受けた声優事務所のオーディションに合格し、自分も何らかの作品づくりに参加したいと夢を持つ事が出来た。
だが現実のRは、薄い化繊の黒いメイド服に身を包み、眠れない夜行バスの中で、右を向いたり左を向いたりして苦しんでいる。同じ列のカップルがこそこそ話して落ち着かない。Rは仕切りカーテンをきっちり締め、パーカーを頭から被り目をつむった。
明け方、八王子駅に到着した。
バス停に車で迎えに迎えに来たKは、目を見開き口元をほころばせた。RはKが笑った事が嬉しかったが、少しだけゾッとした。Rが今迄見たことの無い種類の、人間の笑顔だったからだ。
K 「行きましょう。」
いつものしかめ面にKが戻り、Rの動きが鈍くて気に入らないという声色で、軽自動車への乗車を促した。しかし運転中も、またちらちらRを見るKの頬は弛んでいる。
K 「髪のゴムは、黒が良いですよね。」
R 「仕事場で黒が指定なんです。有るもので間に合わせました。」
K 「仕事の話しは止しましょう。」
Kが機嫌を損ねる度に、Rは懸命にKをあやして場を盛り上げてきていた。だが今朝は違う。寝不足と車の揺れと、先程Kが放ったスプレータイプの車用芳香剤で、かなり目眩がしていた。何も返答する気になれない。Rは眠ってしまった。目を覚ますと、雑居ビル裏の駐車場にいた。車の鼻先は壁にぴったり寄せられて駐車していた。KがRのからだをなでまわし悪戯をしている。驚いてRが抗議すると、KはRの腕をパンチし始めた。そして、もう片方の手で顔面を絞り上げて、叫ぶ。
K 「俺は強いっ強いっ強いっ。」
Kが何かのナリキリに夢中になっている隙を
ついて、Rはクラクションを押した。
朝の駐車場で、警報音が一瞬だけ響く。
K 「コノヤロー!!!ギャッ。」
Kの身体が運転席で丸まる。Rに何かで急所を打たれたのだ。
Rは車外に飛び出た。
シートベルトは外されていたし、リュックは背負ったままだった。足元の編み上げブーツはきっちり紐がしまっている。Tの急所を打ち付けたのは…本人の携帯だ。Tに襲われながらRは偶然手に触れた武器を掴み、離さないで使った。普段から保育園で大勢の子供達のお世話をしたり、狭い場所で緊急な動きに対応しているRの腕は、しなやかで逞しい。Rは負傷し動悸も上がっていたが、Kの携帯をガラス面を下に向け、車輪の後ろにきっちりセットし、素早く離れた。その直後、Kの車が発車した。バックからの切り返しでこちらに向かって来る。
R 「あーあ!」
Rはフェンスを乗り越え、建物を複雑に周り込み、歯科医の自転車置き場にしゃがんで隠れた。急ぎ、リュックからパーカーを出して着る。ついでに、GPS等異物を入れられていないか?チェックした。特に無い。KのLINEをブロックし、地図アプリを開いた時、目の前をKの軽自動車が走り去るのが見えた。随分危険運転をしていた。
Rは警察に被害届を出さなかった。Kは地元の公務員だから、圧倒的にRが不利だ。場合によっては逆にRがストーカー行為をしていたと、訴えられる可能性が有ると考えた。
新幹線でさっと家に逃げ帰ったRは、入浴してから近所の整骨院で、怪我を診てもらった。骨は無事だが打撲が酷かった。顔にも指の跡や爪の傷が見受けられた。先生と相談して、診断書を作成する。写真撮影も、全身の中でどの部分か?判りやすく、残した。写真は他にも、Kの車が迎えに現れた時の物が有る。その時のRは、嬉しい気持ちで隠し撮りしたのだか…。今はデートDV証拠写真の1枚だ。これらの記録を世の中に出す事は無かった。そしてKも、Rを追うことはなかった。次々ターゲットを作る事が、出来たからだ。
1年後、地元の小さなステージで、ゆるキャラとRが踊っていた。Rは週末に、ショーや簡単なゲームの進行をする仕事を、事務所から依頼された。勤め先の会社からもOKがでて、Rは張り切っている。ロリィタファッションの優しくて力持ち(文字通りゆるキャラの介助も有る)なオネエサンは、大人気だ。
〔あの時、新幹線で紅茶をくれた学生さん。どこかでゆるキャラと私を、見てくれてるといいな。〕
あの時の学生は、ゆるキャラとRの為にオリジナル曲やBGMを制作し、提供している。
シュウテン
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