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ある日の放課後、週番だった僕は日誌の空欄を思いつく繰り返しの言葉だけで埋めていた。そんな中、何がきっかけだったかまでは覚えていないが、あるクラスメイトと夕焼けに染まる教室、そのど真ん中の席で話していたのを覚えている。
「なぁなぁ、三上。お前って好きな奴いる?」
いきなり聞かれた質問に疑問は感じたのだが、さして何も思わず、「いないけど」なんて答える。
この年頃は恋沙汰で賑わうもの。そんな話どころか、噂が立たない人間を面白がらない連中は、ついに僕にまで手を伸ばし始めていた。
「お前、幼馴染いるんだって?」
「え? あ、うん」
「それって、同じクラスの……」
「そうだよ」
「じゃあ、その子とお前が付き合ってるって噂、知ってるワケ?」
「まぁね」
なんて、適当に答えるが、別にどうだっていい。最早、彼女の存在自体意識することも無くなってしまい、会話の余地なんてないのだ。
それに、噂は所詮噂。いつしか熱は冷め、跡形もなく消えてしまう。なら、わざわざ動いて傷跡を残すよりは、適当に乗り切った方が得策だと、そう判断した。ただそれだけのことに過ぎない。
「で? その噂の真偽の方は?」
「嘘嘘。あんな美人が僕みたいなより十分いい彼氏持ってるだろうし」
「へぇ、何? あの子付き合ってるの?」
「知らね。ただの幼馴染の勘だよ」
脊髄反射だけで話している間にも、窓の施錠という最後の雑務を終わらせていて、荷物をまとめ始める。
オレンジ一色だった教室も青さが刻々と広がってきており、頃合いを見計らうと、早く出るように催促し、教室の鍵も閉めた。
「んじゃあさ、お前って好きな奴は?」
その質問には一瞬動きを止めてしまう。二度目だったのだが、そいつは本気で聞いてきていた。それに少なからず反応してしまう。
そして、脳裏に過ぎるのは––––––––。
でも、信じたくもないものだと一蹴し、「何度も言ってるだろ? いないよ」なんて苦笑いを見せ、鍵を片手に教務室へ返しに行き、そのまま帰路へと就いた。
あともう少しで家だという所にあるいつもの信号。ここだけはどうしても引っかかってしまう。
よくまぁこんな狭い住宅街の道にこれだけの車が通るなという程、忙しなく行き来は繰り返されていた。轟音、時々漏れ聞こえる音楽、流れが止まると聞こえるカラスの声、白々しく照らす壊れかけの街灯。
そんなのを横目に歩いていると、電柱の影に女子の影が見えた。暗闇に潜みながらも、よくよく見れば、うちの制服だということくらいは分かる。勿論、それが誰かも。
そこを通り過ぎようとした時、何かに掴まれるような感覚に足を止めた。
「ねぇ。誰か分かってて通り過ぎようとしてたよね?」
言われた言葉に、歯を食いしばり、袖を掴む彼女の手を振り払おうとする。
「ちょっと。……これ、返したいだけなんだけど」
ビニールの擦れる音が聞こえる。でも、別にどうでも良かった。
心の中では好きだ好きだといっていたくせに、いざ会うことになってみれば、下らない怒りが無性に湧いて出てきてしまう。
「別にいい」
素っ気なく言葉を吐き捨て、歩いて行く。そこに理由はない。ただ一つ、胸の奥にチクリとしたよく分からない痛みが走った。
途端、背中に衝撃が走る。
「私だっていらないわよ、こんなもの」
なんて聞こえた次の瞬間、彼女は走って行く足音だけ残して、その姿を夜闇に眩ましてしまった。
投げつけられた物、そのビニールに入っていたのは––––––––。
家に帰り、その日の夜、初めてその真意を知る。
「深雪さんのお宅、何かあったみたいでさあの子だけ引っ越すんだって。確か、親戚の家に引き取られるとか」
「え? またどうして」
「いや、警察が来てたから何かあったんじゃないかなって連絡したら、それだけは教えてくれたんだけどねぇ」
親がそんな話をしていたのがリビングから聞こえた瞬間、察した。彼女がどんな思いをしていたのか、彼女がどんな想いでいたかを。
下らない。下らない、下らない。本当に下らない事ばかり抱えやがって。
また膨らむ怒りはもう抑えようがなくなってしまっていた。
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