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翌日。
わざわざ違うクラスまで行き、彼女への手紙を預け、一日を過ごした。
夏休みも近くなる時期、さして詰め込まなければいけないとかいう授業もなく、緩やかな一日だった。だが、そのせいで余計に長く感じてしまう。
それがまた焦れったくて仕方がなかった。
待ちに待った放課後、一目散に走り、帰り道にあるうちの近くの公園、そこのベンチに座る。
この時期は緑が生い茂り、いい景色とは言い難いが、時折吹き抜ける風は心地が良く、好きだ。
鞄を置き、それを枕に横になる。
涼しいここの空気の所為だろう。疲れも乗った眠気には勝てず、ゆっくりと重い瞼を閉じる。そのまま、深い呼吸は寝息へと変わり、意識はそっと夢のその奥へと飛んで行ってしまった。
ふと目が覚める。瞼を開くと、入ってくるのは鮮やかに焼けた空だった。
どのくらい寝ていたのだろう。
そっと体を起こそうとすると足元に重さがあることにようやく気がついた。
「ようやく起きた」
聞こえた声に不思議と納得してしまう。
「なら、なんでお前まで寝てんだよ」
「別にいいじゃん」
体を起こし、隣にいる彼女の顔をよく見る。
–––– 深雪 理沙を。
浮かべた笑みの奥にあるもの、そこにひたすらに隠してる気持ちをどうしても知りたくて。
「なぁ。……引っ越すんだって?」
「あぁ、知ってたんだ」
崩すことのない表情、その下にある凍った何か。
きっと僕はそれを知るべきだったのだろう。でも、目を背けた。ただ、彼女の所為にして。
「……なぁ、ごめんな」
「……何が?」
「気付いてやれなくて」
「え?」
日が暮れても暑い中、間を通り過ぎたのは凍り付きそうなほど冷たい風だった。
「し、知って、る、の?」
震える声。
「……いや、知らない」
震える手。
「な、なら、何に? 何に謝ってるの?」
震える心。
「お前の心に」
その全ては、僕の所為なんだ。全て僕の所為。
彼女が怪我をしていた時、「転んだ」なんて嘘だと思っていたのに。彼女が体調を崩した時、「風邪を引いた」なんて嘘だと気付いていたのに。
彼女が最後に僕と顔を合わせて話した時、「嫌い」なんて嘘だと知っていたのに。
それに気付くと、僕と距離を取ったのも、わざとだと言うことくらい、容易に察しがついてしまったのだ。
「……ごめん、何も出来なくて」
彼女の頬を伝う涙は、きっと色んなものが含まれているはずだ。
出そうにも出ない感情の全て。叫びたいのに出来ない悲鳴。
ふと見えた首筋に残る傷痕。赤く、腫れている。そう古いものではないのだろう。
「……バカ」
彼女の辛さなんて分からない。でも、知ることくらいは容易だったはず。
「ごめん」
「なんで、なんでそれをあの時に言ってくれなかったの」
絞り出される声。
「私は、ずっと待ってたの。ずっと前から」
力んで震える手。
「私はただ、助けて欲しかった。でも、誰も助けてはくれなかった」
傷だらけの心。
「だから、陽ちゃんだけが、私の支えだったのに」
僕が抱いた怒りの何倍もの怒りを感じたはずだ。互いが互いを裏切るなんて、そんなバカなことはあるはずもない。でも、そうして僕らの距離が生まれた。
「バカ」
「ごめん」
飛びつき、抱き締める。
知らない。何も知らないんだ。色んなことを気付いていたのに、僕は何一つとして彼女を知らなかった。
「本当にごめん」
散々泣き散らかす理沙をしっかりと抱き締める。彼女が強くあれた意味、それをこうしていると理解かったような気もする。
本当に。本当に––––––––。
「素っ気ない態度をとってごめんね。でも、そうした方がいいと思って……」
僕の手から離れ、涙を拭う。
「陽ちゃんはね、私に沢山のことをくれたんだ」
「僕は何も……して、ない」
「うん。そうかもしれないね。でも、形にはないものだってくれた時もあった」
「僕は、助けてもらった、ばかりで」
「ほら、泣かないの」
いいや、たっぷり泣きたい。
無力さ。愚かさ。それらがどれだけ人を傷つけてしまうのか。悔いるしか出来ない。
ひたすらに僕らは泣いた。沢山泣いた。吐き出せなかった想いを泣き声に変えて。
ふと見上げた空は、もうとっくに淡い青に染まり始めていた。
「ねぇ陽ちゃんはお祭りは好き?」
「……そんなことより、引っ越しは明日じゃないの?」
「お祭りは、好き?」
「あ、うん」
「良かった」
すると、鞄から見覚えのある袋を取り出す。
「荷造りしてたら着物を見つけてね。今日着て行ってもいいんだって」
「何で?」
「何でもいいじゃん。それで、陽ちゃんの家で着替えて、一緒に行きたいんだけどいい?」
「……分かったよ」
彼女の言われるままに動く。昔のように手を引かれ、僕の家へと行き、彼女は浴衣に、僕は奥にしまわれていた甚平に身を包んだ。
そして、二人肩を並べてお祭りのある神社まで歩いて行く。
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