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女の子は砂糖とスパイスと、それから
「村瀬詩音ちゃん」
この女のことは知ってる。
「今日から実習班一緒だね! よろしく」
名前は緑なのに、いつも淡い色の服を着た女。
「……どうも、早峰緑さん」
「私の名前知ってくれてるんだ〜嬉しい」
「……去年も同じクラスだし、知らない方がおかしいと思うけど」
「だって、詩音ちゃん全然人と話さないし、名前とかも覚えてないのかなって思ってたの。興味無いことは覚えない〜って人だと思ってたから」
確かに、クラスメイトに興味は無いし名前を覚えてる人は少ない。
この女は名前と服装がいつも合わないから何となく印象が強かっただけ。
「いつもあそこのカフェにいるじゃん? 今日は私も一緒に行ってもいい?」
「なんで?」
「私たち二人で照明担当だから、色々話しといた方がいいかな〜って思って!」
今まで話したことも無いのに、突然変なこと言い出して……この女は何がしたいの?
「授業で話し合いの時間は用意されてる。その時間だけで充分だと思うけど?」
「うーん、そう言われるとそうなんだけど……教室じゃ話しにくい事も話したいし……」
早峰はフチありのカラーコンタクトが入ってる大きな目をうるうるとさせている。
「今日はバイトあるから手短に話してよ」
「……うんっ! 詩音ちゃんありがとう!」
学校と最寄り駅の間にある小さなカフェ。
落ち着いた雰囲気で静かなところが好きでよく行くのに、早峰みたいなうるさい人と一緒に来たら台無し。
隣を歩く早峰をチラッと見ると、楽しそうにるんるんとしながら歩いてる。本当に何がしたいのか全く分からない。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
いつもの落ち着いたマスターの声、いつもと同じ窓際ソファー席。
向かいに座ってる早峰だけがいつもと違う。
「詩音ちゃんはいつも何頼むの?」
「ウィンナーコーヒーと卵トースト」
「ウィンナー……コーヒー?」
「あんたが思ってるのは絶対違うから。コーヒーの上にクリームがのってるの」
「じゃあ私も詩音ちゃんと同じので」
頼んだ物が来るまでの間にさっさと話を済ませておきたい。
さっさと話して、さっさと食べて、さっさと帰りたい。
早峰にはとっさにバイトがあるって嘘ついたけど、早く帰らなきゃ行けない用事があるのは本当。本当は早峰なんか放っておいて、今すぐ帰りたい。
「学校で話しにくい話って何? 照明の事話したいっていうのは嘘でしょ」
「照明の事も話したいよ! だって私たち二人だけなんだから、今から色々話しておきたい」
「じゃあそれは後回し。早峰が私に聞きたいことって?」
「これ」
早峰はスマホを取り出して、動画を再生した。
よくある歌ってみた動画。静かなカフェだから音を出すわけにはいかないから無音。歌が流れてない歌ってみた動画を見るのはこんなにも退屈なことだと初めて知る。
「この動画はミリィって名前の歌い手さん。とっても可愛い声で可愛い歌を歌うの。私の好きな人なんだ」
「これが何?」
「このミリィって詩音ちゃんだよね?」
「だったら? 誰かに言う?」
いつか誰かにバレるかも、そんな風には思ってた。
裏声で歌ってはいるものの、声を出してるのは私一人。バレてもおかしくはないけど、ただのクラスメイトにバレるなんて思ってなかった。
「えっ? 言わないよ〜詩音ちゃんは言われたら嫌でしょ?」
早峰はあっけらかんと答えた。
早峰はいつもクラスの中心で、淡い色のリボンがたくさんついた服を着て、髪はぐるっぐるに巻いてあって、派手な人達と常に一緒に行動してる。
そういう人達は何も考えずに、日常の全てをSNSに乗せるものだと勝手に思っていた。
「すごい! このコーヒー可愛いね」
早峰は運ばれてきたウィンナーコーヒーをぱしゃぱしゃと何度も撮影してる。慣れた操作でその写真をすぐさま加工してSNSに乗せていた。
やっぱり、私の考えは間違っていなかったらしい。
「私はミリィちゃんの歌は全部聞いてるの。この曲が一番好きなんだ〜!」
早峰が私に見せてきたのは一番新しい動画。
今までは人が作った歌を歌って動画をあげていたが、新しい動画は初めて自分で作った曲をあげてみた。
「女の子は砂糖とスパイスと、それからほんの少しの暗闇と秘密でできてるって歌詞がすごい好き」
「その歌詞はマザーグースの引用」
「マザーグース?」
「……とにかく、その歌詞を考えたのは私じゃない」
「そうかもしれないけど、メロディとイラストも可愛いし、それに何よりミリィちゃんの声が可愛くて大好き!」
「……それはどーも」
私がミリィって名前で動画をあげてる事を知ってるのは一人だけ。
そいつは毎回褒めてくれるけど、そいつ以外の人に対面で褒められたのは初めて。だいぶ照れくさい。
「よく私がミリィってわかったね」
「私ね、前に詩音ちゃんのバイト先に偶然行ったことがあって、その時に聞いた声がミリィちゃんにそっくりだなぁって思ったの。それから詩音ちゃんのバイト先よく行って、ミリィちゃんと同じ声だって気づいたの」
「何それ、全然気づかなかった」
「やっぱり! 詩音ちゃんのそういうのがまたいいんだよね〜」
私の一言に早峰は興奮し始める。
「詩音ちゃんはいい意味で人に興味が無いんだと思ってたの!」
静かな店内に早峰の早口が響く。
「もう少し静かに話して」
「あっ……ごめんね。つい興奮しちゃって」
人に興味が無い。
そのことを責められた事はあるけど、それをいい意味と肯定されたのは初めて。
「私が同性愛者だって言っても、詩音ちゃんなら否定も肯定もしないと思ってたの」
早峰の言ってることが例え話なのか、それとも本当にそうなのか。
突然の事に何を言えばいいのか少し戸惑ってしまう。
「誰がどんな人を好きになっても私には関係無い」
「そうそれ! 私は詩音ちゃんにそういう事を言って欲しかったの!」
ますます早峰のことが分からなくなる。
「仲良くしてくれる子たちは一緒にいて楽しいよ。同じ教室にいるのも楽しいし、お出かけするのも楽しくて好き。けどね、みんなにとっては私は必要ないの。早峰緑じゃなくても、一緒にいてくれる気の合う誰かがいればいい。そう感じることがあってたまに苦しくなる」
「じゃあ、一緒にいなきゃいいのに」
「そうなんだけど……私は怖がりだから今の環境を壊すのが怖いし、その後のことを考えるのも嫌なの」
何も考えずに生きていると思ってた早峰も色々と考えたり悩んだりすることがあるのか。少しだけ意外。
「今一緒にいるみんなに私が同性愛者だってバレたらきっと避けられる」
「聞きにくいこと聞くけど、早峰は本当に同性愛者なの?」
「そうだよ。小さい頃から好きになるのは女の子。それが普通じゃないって気づいた時は死んでやろうと思った」
早峰はいつもの笑顔で話しているけれど、目の奥に何か暗いものが見える気がする。
私の気のせいかもしれないけど、何かいつもの早峰とは違う。
「友達に同性愛者って話したことが一度だけあるの。そしたらその子に私の事もそういう目で見てたんでしょって言われて。それから人に言うの怖いんだ」
「なら、仲がいいわけでもないただのクラスメイトの私になんで話したの?」
「詩音ちゃんがミリィちゃんって気づいたのもあるけど、普段の詩音ちゃんを見てたら絶対否定しないだろうなって思ったから。あとね、仲良くなりたいからだよ」
早峰は満足した顔で卵トーストを頬張った。
美味しい! と声をあげる早峰は、カフェに入る前より人間らしく見える。
好きなこと以外興味は無いし、人と関わりたいとも思わない。だから私は壁を作って人が近づかないようにしてる。それなのに、早峰は壁を気にせずにぶっ壊しながら近づいてきて、私の秘密に気づいて、大事な秘密を私にさらっと教えた。
馬鹿だと思って見下してたこの女は思ってたより物事を考えて過ごしている。
「私そろそろ行かないと」
「バイトに遅れたら困るもんね」
私のバイト先は学校の最寄り駅近くの居酒屋。
家とは反対方向だけど嘘ついたし寄るふりをしないと。めんどくさい。
早峰が伝票を持って足早にレジに向かうものだから、私も急いでレジに向かって財布をカバンから取り出す。
「私が無理矢理誘っちゃったから奢るよ」
早峰はそう言うとさっさと会計を終わらせて店から出た。その間私は何をしていたかと言うと、びっくりして棒立ちになっていた。
早峰が店から出たのに気づいて、私もそそくさと店を出る。
「美味しかったな〜また来たい!」
隣を歩く早峰は腕を伸ばして背伸びをしながら満足そうな笑顔を私に向ける。
「また一緒に行ってもいい……?」
あれだけぐいぐいと私の壁をぶっ壊した人と同じとは思えないほど、早峰は私の顔色を伺いながら恐る恐る聞いてきた。
私はその様子がおかしくてふふっと笑いがでてきた。
「話し合いの時間は音響、美術、制作、役者、みんないて照明だけの話をするのは限度があるから、私たち二人で照明の方向性だけは考えておこう。台本を見ながら私たち二人の印象を合わせておけば話し合いが楽になると思う」
喫茶店に行く前は授業時間で充分と言ってた私が、掌を返すようなことを言ってるのが小っ恥ずかしくて顔が熱くなるのがわかる。
「最初の話し合いは来週の月曜日。私は今週だと木金はバイトないけど、早峰は空いてる?」
「……うんっ! 私も木金は空いてる!」
「じゃあまたあの喫茶店で話そうか。先に言っておくともう奢らなくていいからね」
早峰は駅に着くまでずっと喋り続けた。
最近見た舞台、好きな俳優、お気に入りのジュース、早峰の話はどれも脈略が無かったけど、聞いていて飽きることも退屈と思うこともなかった。
「そう言えばさ、なんで詩音ちゃんは舞台の裏方さんになりたいって思ったの?」
「初めて舞台を見た時に感動して、私もこんな素敵な作品を作る一員になりたいって思ったから。みんな同じようなもんでしょ?」
「まぁそうだよね。私たちの学科は舞台好きなオタクばっかりだもんね」
舞台の裏方の勉強をしたいと思うのは根っからのオタクが多いらしく、私たちのクラスはオタクばっかり。
しかも、私が仲良く出来そうにない量産型オタクばかりで初めて集まった時にはびびった。
「今度は詩音ちゃんが好きな舞台教えてね」
私のバイト先の前に着くと、早峰はバイト頑張ってね〜とぶんぶんと手を振る。恥ずかしいからやめて欲しい。
「今日は奢ってくれてありがとう。あんたの秘密は誰にも言わないから安心して」
早峰はうんっ! と大きく首を縦に振る。
「じゃあね、緑」
クラスメイトを苗字で呼び続けるのもなんか変かな、と思い下の名前を呼んでみた。りょくちゃんだと長いし言い難いしで突然呼び捨てにしてしまったが、早峰は怒る素振りなんて見せない。
「うん……っ! じゃあね、詩音!」
嬉しそうにるんるんと走って駅に向かう緑の姿を見送ってから、家に向かって歩く。
私はきっと学校を卒業して就職しても、そこで出会った人に興味を持つことなんて無いと思う。多分、私が興味を持つ数少ない人の一人が早峰緑になるんだろう。
そう思うと、木曜日が待ち遠しく思えた。
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