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プロローグ——常盤鴬——
「鴬さーん!! どこにいるんですかー!!」と鴬を呼ぶ声が部屋中をうろつき回る。きっと、世話役の仁作だ。だが、まだ8歳の鴬には、興味の引かれる場面に遭遇していて、世話役の心配そうな声があちこちで回っていても気にしない。
「これは私の知り合いだ。書斎には誰も人を通すなよ。誰もだ」
鴬の祖父である桔平が、厳格な面持ちで言いつける。それを生唾を飲み込んで事の重大さを察した構成員たちは、ぞろぞろと一階の事務所に移っていく。
此処は一棟全てを常盤桔平が管理する事務所兼自宅のマンションだ。そのエントランスホールに足を踏み入れるのは、シノギしかいない。それも顔見知りの。
地域密接型の「常盤組」は、江戸期や戦前にあった「弱き者を守り、強き者を挫く」という任侠道を貫く珍しい極道である。そのため、カタギとシノギの区別は明瞭にしており、エントランスホールまで足を踏み入れる見知らぬ人間は、少なくとも鴬が物心ついた時から1人としていないのだ。
鴬はすぐにイレギュラーな事態だという事を把握し、人払いされたこの家で、書斎のドアを少し開けて覗き見た。
「……久我とか言ったな。お前さん、此処が何処だか知った上で接触してきたんだろうな?」
「ええ。それはもちろん——公安警察の者ですから」
世の中をさほど知らない鴬にも、その男が「こっち側」の敵であることくらいは分かった。それだけに目が離せない。くわえて、桔平が対峙するその男の雰囲気がどことなく安心を覚えるような、そんな誰かと似ているのだ。未発達の脳で考えを巡らせてみるが、両親は鴬が生まれてすぐに無理心中で亡くなっていた。
「……話というのは」
「はい。そちらで預かってもらっている仁作という男がいるでしょう」
「……あの子は拾い子だ。5年前にうちで引き取ったんだ。本当に酷かった。私は役職柄、敵にやられて患部の酷い男たちを見てきたが、あの子はまだ10歳だった。ネグレクトに加えて暴力を受けていたらしくて、痩せこけて、傷だらけで、虚な目をして……子どもがしていい目じゃなかった。ウチではまともな生き方はさせてやれねぇが、腹一杯飯を食わせることはできる。それだけの理由だったんだが、今でも腹一杯飯を食わせてるよ。——それが聞きたかったんだろう」
「そうですか……良かったぁ。実はさっきチラッと見えたんですが、あの背の高い少年が」
「ああ、仁作だ。今は私の孫の世話をさせて、学校と仕事を与えてる」
「事件に巻き込まれた子だったので、気になっていたんです……。大きくなって」
「ああ、今年15で170を超えたそうだ。兄弟たちに飯を食わされて育ったからな、そうなるってもんだ」
声を震わせて会話を続ける男に釘付けになった。表情こそよく見えないが、桔平の様子を伺うより断然面白い。
ついでに、映像も撮っておけば後で仁作と一緒に男が誰なのか推理し合うのも楽しそうだと思い、忍ばせていたスマホを取り出して隙間からレンズだけを覗かせた。もはや、ミッション遂行ゲーへと変換されていた。
(仁作は僕が3歳の時にうちに来た人間だってことは組員皆んな知ってるんだから、今更、ホゴにしようったって、無駄だよ。僕の世話役だもん)
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