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「何しやがる!」
哲明は信子に拳を作って殴りかかった。が、拳は当たらなかった。いや、そうではない。信子の顔をすり抜けてしまったのだ。拳だけではない。勢い余った哲明のからだ全体が信子を通り抜けてしまったのだ。踏みとどまって振り返る。
「な、何だあ!」
哲明は声を上げた。
信子の傍に、顔が白いハンカチで覆われて直立している自分の姿があった。死人の顔に白い布をかぶせているような感じだった。
信子はそんな哲明を放っておいて、床に散らかった折れたかぎ針や汚れてしまった毛糸を拾い始めた。
「おい、この野郎……」
哲明は自分の声に違和感を感じた。自分の出している声が自分に聞こえない。
「おい、何しやがったんだ!」
哲明はそう怒鳴ったが、声が出ているようには思えなかった。掴みかかろうとして両手を伸ばした。
「わっ!」
伸ばした両手の輪郭がぼんやりとしていて透けている。慌てて自分のからだを見回す。からだも同じように透けていて床が見えている。哲明は思わずよろけて机に手を付いた。しかし、その机もすり抜けてしまった。床に倒れ込む。が、床は少し下に見える。からだが浮いているようだった。
「なんだ、なんだよう!」
哲明が叫ぶが、声にならない。
信子は新たにかぎ針を出して編み物に集中し始めた。
「おい! どうなってんだよう! オレが見えねぇのかよう!」
哲明の叫びは信子には聞こえていないようだ。姿も見えていないらしい。
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