TOKYO NIGHT 05

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あらゆる感情を遮断するように、目前の真っ赤な東京タワーを見つめた。 身体中が脈打つ。 熱い。 痛い。 刺激していないのに、先ほどからずっと、下半身は反応したままだ。 「歩、水……」 背後から玄の声がして、ペットボトルが差し出された。 歩は慌てて膝を立てて誤魔化そうとしたが、遅かったようだ。 「大丈夫?」 彼は回り込むと隣に座ってきた。 歩は慌てて、受け取ったペットボトルを腿に置いて、視線を注がれた部分を隠した。 こちらがやや距離を取るように身を引くと、玄は前屈みになって、短いため息を吐いた。 「ごめんね。大和(あいつ)、無茶苦茶だから……。びっくりしたよね」 「うん。ちょっと怖かった」 歩は膝を抱えて、身を縮めた。 あの1時間ばかりの出来事はあまりにも強烈で、まるで鮮明なペンキを次々と頭からかぶったようだった。 「巻き込んで悪かった。あいつももう、歩に会いたいなんて言わないと思う」 その言い回しにふと違和感——ふたりの力関係のようなものを感じた。 「あの人は、玄の友達なんだよね?」 「んー……。長い付き合いだけどね」 玄は頭をかきながら体を起こし、そのままオットマンにふくらはぎを乗せた。宙に浮いた膝から腿までが、細くてやたらと長く、吊り橋のようにも見える。 「友達っていうか、大和は事務所の創始者の孫で——俺が入所してからの付き合い。あいつはまぁ、半分道楽で芸能活動してる程度だし、あの通り、昔から権力を利用してやりたい放題だからさ……。それに付き合わされてるって言ったほうが正しいかも」 それを聞いて、先ほどから渦巻いていた違和感が、しっくりと胸に溶けるように消失していった。 対面したときから、ふたりが自分と三月のような、いわゆる対等な関係でないことは一目瞭然だったが、そのパワーバランスが、玄の言葉をもって可視化できたような気がしたからだった。 「あいつは昔から、俺が興味のあるものに興味をもって、共有したがる変な癖があって……言い出したら聞かない。だから、歩のことは隠しておくつもりだったんだけど————」 数回目の「ごめん」が吐き出された時、彼はひどくくたびれたように見えた。 彼の瞳が東京タワーを捉えて、赤く染まる。 歩は膝に顎をつけて、窓ガラスに映る玄を見た。 躊躇が、右から左、左から右へと忙しなく歩き回る。やっと瞳で捉えると、ゆっくり目を閉じて押しつぶした。 「さっき、あの人が言ってたことは本当なの? その……してるって」 「うん」 玄はさほど動揺することもなく、視線を保ったまま、あっさりと肯定した。 あまりに動じないので、なぜか歩のほうがうろたえてしまい、ペットボトルを床に落としてしまった。 それはごろりごろりと音を立てながら、まるで慌てて身を隠すかのようにソファーの下に転がっていってしまった。 「大和がどこまで歩に話したかわかんないし、たぶん、話も盛ってると思うけど……付き合いが大事な世界なのは本当。状況によっては、そういう付き合いも——まぁ、あるかな」 「それ、事務所に強要されてるの?」 玄は吹き出してから、体をこちらに向けてきた。 「違うよ。暗黙の了解みたいなもんはあるけどね。全部、俺の意思。自分で決めてやったこと」 幻滅した? 真っ直ぐに見つめられていることはわかっていたが、ろくに目を合わせられず、ただ首を左右に振った。 たまに噂で聞くことはあったものの、男女関係なく、そういうことは実際にあるらしい。 しかし、こういう業界ではたまたま色濃く出ているだけで、一般社会だって、少なからずそうなのだろう。人に好かれること、味方を多くつくることがどれだけ大切なのか——かつて、神楽坂からも教えられた。 「俺、ここまできたからには絶対に成功したいんだー」 くたびれて見えた錆色の目の奥に、ふと力が入った。東京タワーの赤い光が反射していて、ひときわ輝いて見える。 「玄の特集が組まれたらまたあの映画館——さざんかだっけ? 行くよ」 微笑みかけると、玄はなぜか唇を尖らせて目を逸らした。 初めて見る、彼の照れた顔だった。 「……今度は途中で寝ないでよ」 「寝ないよ。事前にちゃんと寝溜めしてくからさ」 笑い合うと、やがて玄が真顔になり、その距離が近づいた。
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