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「恭ちゃん? どうしたの……」
「怪我は?」
「あ、肩を軽くぶつけただけ。軽い打撲」
実際、痛みははぼなかった。
軽症だとばかりに肩を回して見せると、神楽坂は目を閉じて、長い長いため息を吐いた。
そして、ベッドの柵に手をつき、脱力したようにもたれかかる。
「よかった……。歩が救急搬送されたって——周が、泣きながら電話かけてきたから……」
安堵したのか、語尾が震えている。
たまらなくなって、その腕をさすった。
「全然大丈夫だよ。なんか大袈裟なことになってごめん」
すると、痛めているほうの肩を庇うようにして、そっと抱きしめられた。
安堵からくる自然な行動だとはわかっていたが、それでも初めて彼からもらう抱擁に、動揺せずにはいられなかった。
恐る恐る、その背中に手を回した。
「周を庇ってくれたんだってね。本当にありがとう……」
彼から告げられた感謝の言葉は、想定内の苦みをもって体内に浸透した。
そのしくしくとした痛みに耐えながらも、歩は肯定の代わりに彼の背中を2度、叩いた。
「……周は?」
「元妻が迎えに来て、連れて帰った。彼女も直接、お礼を言いたそうだったけど、かえって君に気を遣わせそうだから————」
神楽坂は、備え付けのパイプ椅子に腰掛けて、あたりを見回した。
「ご両親とは連絡ついた?」
「まだ。パート中だろうから、勤務先に電話しないと——。大したことないし、あまり呼びたくないんだけど……」
探し出したスマートフォンを握りしめたまま躊躇していると、神楽坂は肯定するように何度か頷いた。
「とりあえず、電話してみて。出たら、途中で代わってもらってもいい?」
「うん……」
歩はしぶしぶ母親の勤務先に電話をかけた。
もともと些細なことでは動じない母であるが、救急車で運ばれたと告げた時はさすがに驚いたらしい。声を上げて絶句するという、彼女らしからぬ反応を見せた。
しかし、状況を説明するうちに落ち着いたようで、神楽坂に代わるときには、もうすっかり冷静だった。
彼はまず自分の息子の不注意で怪我をさせたことを詫びて、その後の流れ——加害者とのやりとりや、治療費の立て替えなどについて、病院側から聞いたことをひととおり説明してくれたようだった。
歩が解放された時には、神楽坂がひととおりの面倒事をすべて片付けてくれていたようで、もう何も気にしなくていいとだけ言ってくれた。
——駐車場までの短い距離を、ふたりで歩いた。
久々に見る、神楽坂の背中。
大きな歩幅だが、こちらにペースを合わせながら歩いてくれている。
歩はもう、彼になにを求めているのか、自分でもわからなくなっていた。
なにをもってゴールなのか。
なにをすることが前進で、また、果たして前進することが正しいのか。
わからない。
わからなくなるほどにただやっぱり、彼が好きだと思った。
「お腹すいてない? ごはんでも食べて帰る?」
車のリモコンキーを押しながら、神楽坂が振り返った。
「俺、行きたいところがあるんだけど」
歩の提案に、彼はただ、優しい笑みを浮かべただけだった。
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