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セットを変えた村瀬がカメラのレンズをこちらに向けた時、歩は棒立ちになったまま硬直してしまった。
スタジオで写真を撮ったのは、高校入学の時以来だ。それもたったのワンショットで、被写体は自分だけではなく家族もいたから、比較にもならない。
「ちょっと動いてみてー」
村瀬が言うが、どう動けばいいのかわからない。
手を動かせばいいのか、それとも足を?
頭がうまく働かない。
シャッターを切るたびに、閃光で目がくらんだ。
間近に迫った照明が、じりじりと体を熱する。
借り物の洋服なのに、汚してしまったらどうしよう——焦れば焦るほど、変な汗がじんわりと身体中からにじみ出てくるようだった。
リラックスー。
にっこりー。
そう声をかけられるたび、笑顔はぎこちなくなり、体はますます強張っていく。
何度目かわからない閃光に目を閉じ、ふたたび光が戻ってくると、村瀬の後ろにいつのまにか神楽坂が立っていた。
おどけながら大袈裟に手を振ってくる。
「おーい」
おーいってなんだ。
それを見ていたらなんだかおかしくなって、歩は思わず笑ってしまった。
その微かな隙をついて、ふたたび閃光が走る。
「おー、いーねー」
やや大袈裟なくらいの、村瀬の声。
「土屋君、今めっちゃいい顔ー」
そこに乗っかるように松木が言った。
モデルをその気にさせるためなのか、まわりの人間がやたらとはやし立てる光景を、なにかの番組のメイキング映像で目にしたことはあった。
側から見ていると白々しいと思ったが、言葉をかけられると緊張が解けて、不思議と気分が乗ってくるのだった。
「歩ー、カッコいいよー」
ふたたび神楽坂の声が響いた。
ふざけた口調だったが、突然名前で呼ばれて、不覚にも胸が高鳴った。
ぎこちなさが和らぎ、村瀬のいう通りに動いたり止まったりしていると、最初のワンカットが終わった。
先ほどのカットが映し出されたPC画面に寄りながら、3人がなにかを話している。
自分が写っている写真を見るのは照れ臭くて、歩は白いバック紙の上に立ち尽くしたまま、神楽坂を見つめていた。
気に入ってくれただろうか。やはり役不足だったと思われていたら、どうしよう——暑さでぼんやりとしながら、不安を抱きつつ見守っていると、神楽坂が顔を上げて、モニターを指した。
「これでいこう。あと、一応これとこれ、アザーで押さえておいて」
その声を聞いて、歩はホッとした。
どうやら使えるものがあったようだ。
すると、神楽坂がこちらを見た。
そしてにやりと口角を上げて言った。
「君、フォトジェニックだね」
「……え?」
「すごく可愛く撮れてるよ」
言われた瞬間、耳たぶに火が灯ったように熱くなり、歩はフードのパーカーに顎を埋めた。
——編集者とカメラマンの、阿吽の呼吸とでもいおうか。編集彼らは言葉を交わさずとも意思疎通し、その巧みな連携プレーに巻き込まれる形で、歩は服を替えられ、ふたたびレンズを向けられた。
神楽坂はこちらの緊張を解そうと「歩ー、かわいいー」などと言っていたが、撮影が進むにつれ、こちら側が撮られることにようやく慣れてくると、ふざけるのをやめた。
そして、かわりにまっすぐな視線を注いできた。
歩はかろうじてレンズを見つめてはいたが、遠くから彼の視線を感じると、高揚が渦となって全身を取り囲むような——妙な感覚にとらわれた。
神楽坂から注がれるそれが、苦手といえば苦手だった。
真っ直ぐに見つめられると、まるですべてを見透かされているようで、逃げ出したくなるような力強さがある。
しかし、強烈さゆえの、中毒性なのだろうか。
初めて駅前のロータリーで目が合ったときもそうだった。
また会いたい。
漠然と、そう思ってしまうのが不思議だった。
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