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再会 03
人との距離を縮めるのにアルコールが役立つのだということを、初めて知った。
こちらが勝手に追加したビールを渋々口にしていた神楽坂だったが、空にする頃にはすっかり体から力が抜けていた。
本人は酔っていないと言い張っていたが、顔が赤いことをからかうたびに、気恥ずかしそうにするのだった。
焼き肉屋でやりとりをする間に、歩は彼をあだ名で呼ぶことに慣れ、また彼も呼ばれるのに慣れたようだった。
腹が満たされた時には、敬語もぽろぽろと抜けてきていた。
——店を出てから、下りの電車に乗った。
最寄駅が同じであることはわかっているから、まだもう少し一緒にいられる。
金曜日の夜の車内は混雑していたが、神楽坂は歩を出入り口の脇に誘導してくれた。
乗客に押され、向き合ったまま彼が覆いかぶさってきたその瞬間、歩はひっそりと息を止めたのだった。
「お腹いっぱいになった?」
「最後の冷麺で一気に……」
腹をさすって見せると、神楽坂は眉尻を下げて笑った。
締めに食べた冷麺は一人前を分け合ったので大した量ではなかったが、そのほかにも肉をいろいろ食べていたし、2杯飲んだコーラの勢いもあり、胃は充分すぎるぐらいに満たされていた。
歩は手すりにつかまらず、座席の敷居に背をもたれてバランスを保っていた。
しかし、時折揺れて、そのたびに神楽坂の体にぶつかってしまう。
謝りながら体を離すという動作を何度か繰り返したのち、神楽坂は不思議そうに笑った。
「歩って潔癖症?」
「なんで?」
「定期的に除菌シートで手とかスマホ拭いてるし、今も手すり掴まらないからさ」
「すみません。何度もぶつかっちゃって……」
「あ、ちがうちがう。それはむしろ嬉しい」
酔ってはいるが、いつも通りの冗談めいた笑みを浮かべている。
「今、変態おじさんの顔になってますよ」
指摘すると、ますます嬉しそうに笑いながら「ひどーい」と言った。
「ひきますか? 神経質っぽくて」
「全然。不潔よりいいじゃない。でも、さっきはごめんね。一緒の冷麺つついちゃって嫌じゃなかった?」
歩は首を横に振った。
「恭ちゃんなら大丈夫」
本来ならば、苦手なのだ。
親以外の握ったおにぎりや手作りの菓子などは食べることができないし、たとえ友達同士でも回し飲みはできればしたくない。共用スペースを素手で触るのも抵抗があった。
三月なんかは、神経質な歩のふるまいを見て、呆れかえっていた。
「潔癖なのに彼女とアレしたりコレしたりはできるんだな」と揶揄われることさえあった。
そう、恋愛相手は別なのだ。
恋愛相手なら。
つまり、彼は————
「変態おじさんのエキスが入っちゃったかもよ」
神楽坂はわざとおどけて言った。
まるで歩に、眉をしかめて怪訝な顔で睨んでほしいとても言いたげだ。
「恭ちゃんの変態がうつっちゃったのかなあ」
「えぇ?」
「嬉しかったから」
含みをもたせて笑うと、神楽坂はなぜか困ったように首を傾げた。
こちらが距離を詰めようとするとき、彼はほんの一瞬、困惑を見せる。
微かな動揺と恐れを受け取るたびに胸が熱くなって、もっともっと困らせたくなるのだった。
そのまま、左腕にはめられた時計を指でつついてみる。
「かっこいいなー、この時計……」
手を握ってみたらどうなるんだろう。
指先を遊ばせながらそんなことを考えてみたりもしたが、ゆっくりと下ろした。
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