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「来ちゃった」
カウンターに両手をついて、やや見下ろすような体勢になりながら、神楽坂が言った。
眼鏡の奥が、いたずらっぽく緩んでいる。
——焼き肉を食べてから1週間弱。
帰宅後に歩からお礼のメッセージを送って、そのやりとりがひと段落すると、連絡は途絶えてしまっていた。
急な再会に慌ててしまい、笑みさえも繕えない。
「びっくりしました」
「びっくりさせたかったからさ」
予想通りの反応が見られてご満悦なのか、無邪気な笑みを浮かべている。
神楽坂は、神保町で会った時よりもどこかリラックスして見えた。
「歩、今日は10時まで?」
「はい」
「終わるの待ってるから一緒に帰ろう」
頷きながら、自転車でここまで来たことを思い出したが、潔く置いて帰ることにした。
通学にはバスを使っているし、2、3日なら自転車が使えなくてもさほど支障はない。
嬉しさのせいなのか、目の前のあらゆるものが滲んで見えた。
ぼんやりと注文を受け、ぼんやりとコーヒーを注いで渡すと、神楽坂はカウンターからよく見える席に腰掛けて、こちらに手を振った。
退屈だった数分前が、嘘のようだ。
彼に手を振り返しながら夢見心地でいると、手の空いた来海がこちらにやってきて、歩と神楽坂とを交互に見た。
「あの男の人、知り合いなの?」
「うん」
「どういう仲?」
どういう仲——問われてもう一度、神楽坂のほうを見てみると、彼はもう持参したノートPCを広げて、画面を見ていた。
「どうって、たまにごはんに行ったり……」
歯切れの悪い返事を返すと、来海はますます怪訝な表情を浮かべた。
「つっちー、もしかしてパパ活してんの?」
「してないよ! ほんとにただの友達!」
歩が慌てふためくと、来海は手を叩いて笑った。
「冗談だよー。でも友達の幅、広いんだね」
2人そろって神楽坂を見つめていると、彼は視線に気付いたのか顔を上げて、にっこりと微笑んだ。
来海はつられて笑みを返しながら、声を潜めた。
「ってか、フツーにかっこいいね。おしゃれじゃない? うちのお父さんと全然違うんだけど」
「うちとも全然違うよ」
俯きながら、上目遣いで彼の姿を盗み見た。
ほかの誰とも、全然違う。
パソコンに向き合う姿も、片手でカップを持ち、コーヒーを飲む仕草も——
「別におじさんに興味あるわけじゃないけど、あの人ならちょっとアリかな」
歩が目を見開くと、来海は手を振って否定した。
「あー、冗談だよ? 本人に言わないでね」
内心、嬉しかった。
同年代に神楽坂の魅力をわかってもらえることが、誇らしくもあった。
——彼から投げかけられる視線のせいで、その日の仕事は終始落ち着かなかった。
無意識に前髪を触ってしまい、そのたびに慌てて手を洗った。
彼になにもサービスをしていないことに気付いたのは、スタッフルームの更衣室で慌ただしくシャツを脱いだ時だった。
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