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「ここ、来たことあった?」
一見シンプルなようで、縫製にこだわったそのパンツの縫い目を見つめていると、履いている本人が窓の外に視線を向けたまま、唐突に言った。
歩はあわててグレンチェックの格子に視線を戻し、汗ばむ手のひらをすり合わせた。
「去年の冬、付き合ってた彼女と来ました」
あれは昨年のクリスマス。
せがまれるがままにてっぺんでキスをして、「ずっと一緒にいようね」などと誓い合った。
しかし、自分たちの「ずっと」の定義はわずか1カ月だったらしい。彼女は今ごろ、隣のクラスの田中君と新たな「ずっと」を築き上げている最中だろう。
「別れちゃったの?」
「はい。俺、付き合っても続かないんです」
「へー、なんで?」
「熱しやすく冷めやすいタイプだからかな。付き合うまではすごい盛り上がるんですけど……。好きになってから冷めるまで、いつもだいたい1カ月なんです」
言い切った後、背後でふたたび、叫声と轟音が鋭利なスクリューとなって絡まり合い、耳をつんざいた。
神楽坂はようやく正面を向き、そしてこちらの頭のてっぺんからつま先までを、まじまじと見つめてきた。
それは先ほど歩が彼に投げたものとまったく同じ、あてつけじみた視線だった。
「君、モテそうだもんね」
動揺と謙遜とが混ざり合い、不自然な咳払いとなって吐き出される。
妙な居心地の悪さに、歩はわけもなく腰を上げて、その硬くて平たい椅子に座り直した。
「モテないですよ。俺はいつも三月の尻拭いばっかさせられてます」
「そうなの?」
「めちゃくちゃモテるんです、あいつ。全然、愛想ないのに」
三月は今の相手に出会うまで、本気の恋愛をしたことがなかったのかもしれない。
流されるままに付き合っては相手を傷つけて、そのたびに自分が間に入った。
彼女側の相談に乗っているうちに「つっちーのこと好きになっちゃった」と告白されたのも一度や二度じゃない。
とんだ迷惑だ。三月とは親友だが、兄弟になるつもりなどさらさらなかった。
「——俺はアユ君の方がタイプだけどな」
神楽坂から突然言われて、別の方向に向かって浮遊しかけていた意識を必死に戻した。
「……えっ?」
「いや、変な意味じゃなくて。単純に、初めて見た時から君のほうがかわいいなって思ってたけど」
こちらを見つめながら、微かに笑っている。
黒縁眼鏡越しの視線から真意を読み取るのは難しくて、ひたすらに唇を結ぶしかなかった。
——不思議だった。
同年代相手にはどんなことを言われても涼しくかわすことができるのに、彼の前だとなぜか機転が利かなくなる。
「あ、ごめん。もしかして俺、変態おじさんみたいになってる?」
からからと笑ってはいるが、から元気というわけではなさそうだ。
たった1時間前、失恋したばかりだとは思えない。
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