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「ねぇーっ!」
すると、周がすごい勢いで駆け寄ってきた。
片手には変わらず流木を握りしめているが、もう片方の手のひらにはなにかを握りしめていて、クリームパンのように丸くなっていた。
「なに、どしたのよ」
神楽坂の声のトーンが、我が子に見せるそれに変わった。
周は一息つくと、クリームパンを開いて見せた。
中には黒いなにかがひと粒あるだけだった。
「これ、なんの種かな?」
目を凝らして見てみるものの、石なのかも種なのかも判別がつかない。
首を捻っていると、周は自信満々に言い放った。
「俺、ハツカダイコンの種だと思う。帰って植えてみる」
「ハツカダイコンなんてよく知ってるね」
「前に学童で植えた!」
おそらく、記憶に新しいのだろう。
彼がその粒をポケットに入れようとすると、神楽坂は手首を掴んで阻止した。
「やめな、汚いから。ネズミのフンとかだったらどうするの」
掴まれた手首を強引に振られて、黒い粒は白い砂のなかに落ちて、一瞬で見えなくなった。
周は砂を覗き込んだまま唇を尖らせていたが、やがてなにかを思いついたように顔を上げた。
その表情を見る限り、ふてくされた感情はきれいさっぱりと砂のなかに葬ったようだった。
「ねー、ハツカネズミとハツカダイコンって、仲間? なんで名前似てるの?」
相変わらずの唐突な質問に、思わず神楽坂と顔を見合わせた。
しかし、父親である彼は、周のその調子になれているのだろう。彼の疑問に応えようと、首を傾げた。
「ハツカダイコンは、20日くらいで実がなるからハツカダイコンでしょ。ハツカネズミはたしか……20日で死んじゃうからじゃなかった?」
突然振られて、歩はあわててスマートフォンを出した。
ハツカネズミの名前の由来についてなど、これまで考えたことがなかった。
「諸説あるみたいだけど、少なくとも20日で死ぬわけじゃなさそう。妊娠期間が20日程度らしいっていうのが通説らしいけど」
「そうなんだ。よかった」
「え、なにが?」
「寿命が名前の由来って、なんか悲しいじゃない」
神楽坂がひそやかに笑った。
問いかけてきた当の本人はすでに興味を失っているらしく、少し離れた場所でなにかを突いている。
「さー、そろそろ水族館行くよー」
神楽坂が声を張ると、周はやっと流木を波打ち際に放り投げてかけ寄ってきたかと思いきや、ふたりをすり抜けて、駐車場のほうへと走っていってしまった。
車に気をつけて!
神楽坂がふたたび声を張ると、周は駐車場手前でようやく足を止めた。
「じゃあ、本物のイルカ見にいこっか」
いたずらっぽく微笑んだ彼のシャツの襟が、勢いよくはためいた。
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