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ドライブデート 03
「歩、疲れたでしょ?」
小さな影がマンションのエントランスに吸い込まれていくのを見届けてから、神楽坂は振り返った。
彼の視線を受けて、歩は後部座席にだらしなくもたれかけていた体を慌てて起こした。一応、首を左右に振ってはみたものの、たしかに少し、疲れたかもしれない。
——あの後、水族館にいる間も、帰りの車中でも、周は歩の隣をくっついて離れなかった。夕食を取った後、帰りたくないとごねる彼を宥めて、どうにか送り届けたのだった。
車を降りた時も、何度も「また会えるのか」と確認をして、数歩進むごとに振り返ってはこちらに手を振った。子どもの相手をするのに慣れていなかったせいか多少の気疲れはあったが、そんな周を愛しく思った。
「周、かわいいね。恭ちゃんにそっくり」
「そう?」
「うん。最初は似てないなって思ったけど、やっぱそっくりだよ」
「……どんなところが?」
具体的に問われると思っていなかったので、しばし言葉に詰まった。
顔や性格ではない。なんというか————
「空気感かな」
「……空気感?」
「うん。顔とかじゃなくて、なんとなくの雰囲気。もってる空気感が似てる」
我ながらぼんやりとした回答だと思った。
また具体性を求められるかもしれないと構えたが、神楽坂はただ、ミラー越しに嬉しそうに笑っただけだった。
「朝、迎えに行った場所まで行けば大丈夫?」
「あ、うん。ありがとう……」
周が完全に見えなくなると、歩はみるみる緊張に飲まれてしまった。
車の中にふたりきり。
でも、ここから歩の家までは車で10分とかからない。
ようやく訪れたふたりの時間も、ほんのわずかだ。
神楽坂はハザードランプを消し、ふたたびシートベルトを装着した。その後ろ姿を熱っぽく見つめていると、バックミラー越しに目が合った。
すると、彼は一度ドライブに入れたギアをパーキングに戻した。
「助手席、来る?」
不意打ちの提案に、歩はふたたび体を起こした。
「いいの?」
「もちろん」
立ち上がると、外し忘れたシートベルトが腹部に食い込んだ。
彼は歩が慌てた手つきでベルトを外す仕草をミラー越しに見て、笑った。
「お邪魔します」
助手席に乗り込むと、神楽坂の体温や香りがさきほどよりも間近に感じられて、車が発進してもしばらくは緊張が解れなかった。
家に着くまではわずかな時間しかないのに、いざ隣に座ると言葉が出てこない。
自分から次の約束を取り付けなければ「今度はいつ会えるのだろう」と指をくわえて待つ毎日が続くのが目に見えている。
歩にはまだ、その曖昧な不安を楽しむ余裕はなかったし、せっかちな性分も手伝って、落ち着かなかった。
たいした会話もないまま、やがて見慣れた景色が見えてきた。
すぐ先の角を曲がれば、もう家だ———
「……まだ時間は平気?」
信号待ちで神楽坂が言った。
「平気!」
力んで返事をすると、神楽坂はやはり少し笑って、曲がるはずの角をそのまま通過した。
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