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「オトナって、冷静なんですね」
「なにが?」
「いや、辛くないのかなって……」
神楽坂は後頭部に手を当てて、じっとこちらを見た。
「君らみたいな若者よりも、大人のほうが辛いんだよ。傷が癒えるのに3倍の時間は要するからね」
——ライバルであるふたりが対峙した時、三月が優勢という結果になり、神楽坂が身を引く形で収束した。
まだ十代の子どもに突然、恋人を略奪されて、傷ついていないはずがない。
だからといって感情を必死に押し殺しているようにも見えないのだが。
「でも今回のことはさ、もういいんだ。元々、向こうは俺に本気じゃなかったし、俺も本気になるタイミングを見失なってたから。遅かれ早かれこうなってたよ」
本気になるタイミングを見失う——その意味が、歩にはよくわからなかった。
しかし、彼は多分、付き合っている時からたっぷりと時間をかけて諦めていったのだろう。
こうなる日が来ることを意識しながら過ごしていたからこそ、平静を保てているのかもしれない。
神楽坂は、戦いに挑むというよりは三月を半ば鼓舞するような形で後押しし、あっさりと身を引いたのだった。
「でもねー。まさか高校生にもっていかれるとは思わなかったけど」
呟いた一言はもったりと重たく、そこに彼の真意が乗っかっている気がした。
かけるべき言葉がなかなか思いつかない。
口腔内で何度か言葉を遊ばせたのち、出てきてきたのはなんとも薄っぺらな内容だった。
「次行きましょう。次」
「え?」
「失恋の傷を癒やすには、新しい恋ですよ」
神楽坂は目を丸くしてから、吹き出した。
「40にもなるとね、若い君らと違ってそんなすぐに次の相手なんか見つからないよ」
「そうかな。神楽坂さんならすぐに見つかりそうですけど」
「えー、根拠は?」
具体性を求められて、歩は頰をかいた。
「少なくとも、俺が知ってる40歳の男の人のなかで、一番かっこいいです」
歩が言っても、神楽坂は軽く笑みを浮かべたままで、眉ひとつ動かさなかった。
フォローにしては、あまりにも軽くてぺらぺらすぎただろうか。
その妙な間を持て余し、ふたたび頭頂部の髪をつまんで撫でた。
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