ドライブデート 03

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「それにさ、やりたいことなんて簡単に見つからないよ。それを探しながら目の前のことを頑張るのが中途半端だなんて、俺は全然思わないけどな」 神楽坂はメガネを外して、布でレンズを拭きながら言った。 黒いフレームが取り除かれた目元はやや窪んでおり、彫りが深い。びっしりと生えた濃い睫毛が瞬きによって動くのを、しばらく見つめていた。 「……恭ちゃんはやりたいことが見つかったからそう言えるんだよ」 神楽坂の大きな瞳がくるりと動いた。メガネがないと視線に迫力がある。 「見つかってないよ。40過ぎてもまだ探し中」 「編集の仕事は、やりたいことじゃないの?」 「うーん、どうだろ。適性はあったのかもしれないし、やりがいを感じることは多いけどね。努力もそれなりにしたし……。でも、やりたいことなのかって言われるとわからないなぁ」 スタジオにいるときの神楽坂はいきいきして見えた。 自分はこんな風に活躍できるのだろうかと、フラッシュを焚かれるたびに思ったものだった。 「それに、やりたいことがずっと同じだとは限らないしね。編集の仕事ってルーティンだからさ。雑誌、書籍いろいろやったけど、まぁ飽きちゃったんだろうね。だから新媒体つくったわけだし」 「でも、新しくやりたいことが見つかったから、今の部署にいるんでしょ」 「やりたいことっていうか、やりたいことを見つけるためだったのかも。仕事の場合はやりたいことだけをやるわけにもいかないしね。出すからには実売取らなきゃいけないし、広告モデルとか、儲ける仕組みも考える必要がある。まわりから色々言われるうちに、なにがやりたかったかなんて、わからなくなっちゃうこともあるし……」 最後のほうは半ば、独り言のようだった。顔はこちらを向いているが、視線はどこか遠くを捉えている。 歩が返答に困っていると、彼の目にふっと力が入った。 「ごめん。なんか愚痴になっちゃった。とりあえず、俺のやりたいこともまだ見つかってません。でも、やりたいことを探しながら経験を積んでいけば、やりがいを感じることは見つけ出せるんじゃないかなあ」 「そうかな」 神楽坂はメガネをふたたび装着すると、口角を上げた。 「歩は大丈夫。大事なスキルはもう持ってるから」 歩はそこで初めて、彼の目を真っ直ぐに見ることができた。 「スキルって?」 「世渡りスキル」 字面だけだと、あまりありがたくはない。 「例えば?」 「前も言ったけど、その末っ子気質だね。素直だし、甘え上手で憎めないところ。器用で、見た目も可愛い。それに———」 歩は口角をさげたまま、黙り込んでいた。 立て続けに褒められると照れてしまい、うまく表情をつくることができない。 「それに何?」 続きを催促したのは、単なる照れ隠しだった。 「癒やされる」 しかし、歩の言葉を受けて、なぜか彼のほうが照れたように微笑んだ。 「それは恭ちゃんの個人的な感想でしょ」 「うん。そうかも」 はにかんだ口元のあまりの可愛さに、ずっと燻っていた欲求が煙をあげながら燃え上がった。 手を伸ばし、神楽坂の左手をそっと握ってみる。 一瞬、彼の体が強張ったのを感じて怯んだが、しばらく繋いでいるとその戸惑いじみた反応は消失した。 「じゃあ、恭ちゃんだけたくさん癒やしてあげる」 自分よりもひと回り以上、大きな手を握るのは——幼少期以来だろうか。 爪はきちんと短く切りそろえられていて、ささくれひとつない。細かい部分まで身綺麗にしているところが、いちいち歩の心をくすぐるのだった。 「光栄だなー」 神楽坂はいつも通りの笑みを浮かべたまま、シートにもたれかかった。 こちらの決意に応じるというよりかは、したいようにさせてやっているといったように受け取れた。 彼の反応にむっとして、手のひらをきつく握り締めた。 暖房の乾いた空気が冷やかすように頬をなぞり——片手でそっと、通風口の向きを変えた。
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